アードベッグ革命の一杯
アードベッグが操業停止を終え、再び表舞台の流れに復帰してから15年以上の歳月が経過した。力強い復活劇を振り返る。
Report : ドミニク・ロスクロウ
近年ではいたる飲食店のメニューにでもウイスキーの文字を見る事が出来るようになったが、2007年頃までのウイスキー業界不遇の時代はまだ記憶に新しい。
再起の著しい兆しが見えた2008年を振り返ったときに、何が一番記憶に残るできごとだろうか。
それは蒸溜所の開所ラッシュだろうか、あるいは再開ラッシュ、空前の売り上げまたは売り上げの噂、もしくは新しいパッケージや優れた新ブランドの登場が2008年をとりわけダイナミックな一年と記憶させた。
2008年は活気と変化でみなぎった年だったが、私にとっての一番は迷うことなくアードベッグ蒸溜所だった。偶然の出来事も含めて、アードベッグとその親会社のグレンモーレンジィ/ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)は私の一年を充実したものとし、そして活き活きとした思い出を残してくれたからだ。
例えば私の初めての冬のアードベッグ訪問(それは初の冬のアイラ島訪問でもある)を思い出してみる。陰気で茶色の空の下、そして鞭打つような横殴りの雨の中で蒸溜所は冷たく静まり返っていた。蒸溜設備は整備のためにむき出しにされていて、Old Kiln Cafeはがらんとしていた。少なくはない選ばれた数杯と、新しいディスティラーのマイケル・ヘッズの歓迎の微笑をもってしても状況の打開は困難だったが、心の中に思い返してみれば笑いと明るさに満たされた得がたい経験であった。
また別の極端な例として、夏の夜明けに沖のヨットから眺めたアードベッグ蒸溜所が最も素晴らしいドラマチックな光景であったことが、脳裏に焼きついている。黎明の陽射しが海を貫くように照らし、船首に砕ける波が視界を一瞬覆ったかと思ううちに、うねりの上に再び蒸溜所の白い壁が顔を覗かせて来るのだ。
そして例のウイスキーが登場した。素晴らしい10年熟成。賞賛にふさわしい道筋を辿ってやってきたのだ。まずコミッティーボトリングのコリーヴレカンとして登場した。これはアイラ島のそばにある逆巻く渦潮にちなんで付けられた名前である。情熱的でスパイシーそしてフルーティなウイスキーの真珠を友人たちと分かち合った。そして遂にルネッサンスがやってきた。4年間を締めくくる、4度のボトリングを経た旅は、動乱の青年期から栄光への頂点へと向かうアードベッグの足跡を描き出してきたのである。
そして遂にはビル・ラムズデンからの驚くような内容の電話が掛かってきた(ラムズデンはウイスキーづくりと蒸溜の責任者である)。彼は家族と過ごす休暇中にフロリダのディズニーランドから電話してきたのだ。その内容はグレン・マレイの売却や、ブロックスバーンからの移動、アードベッグとグレンモーレンジィのためのボトリング施設ならびに熟成庫に対する投資計画などについてのものだった。
最も重要な事として思い出されるのは、グレンモーレンジィのオーナーであるLVMHによる自らのラベルと価値あるウイスキーオペレーションを手放すという決定、すなわちグレン・マレイの売却は、冷淡かつ計算ずくの商業的決定である。そしてその決定は、英国のスーパーマーケット業界とウイスキー生産協力者との間の破壊的かつ利己的な関係に終止符を打つ第一歩となることだろう。
アードベッグ蒸溜所は落ち着きを見せ、忠実で熱心なファンも増え、ラフロイグに匹敵する大衆的人気を広げている。
2008年に発売されたふたつのプレミアモルトに会社が注力した事で、アードベッグはモルト市場で確固たる地位を築き、今までアードベッグを知らなかった人々にも認知して貰うための自由と資金を与えることになる。
ハレルヤ!
その道は吹きさらしで壁は冬の強風で壊れているが、威厳に満ち偉大なラガヴーリンと、力強く鼓動を打つ世界的な成功者ラフロイグと共にピーティ蒸溜所の3層サンドイッチの1層をなしているのである。
アードベッグは小さな蒸溜所である。その中庭にはいまや有名なOld Kiln Cafeがあり、売店も備わっている。古いモルト小屋は質素な佇まいで田舎の魅力を見せている。壁に残る60年前からのチョーク跡が面白みを添えている。これは蒸溜所の作業員が、作業中に少しのウイスキーを楽しむことが許されていた、古き佳き時代(ドラムタイムス)の名残なのである。
モルト生産の観点から見ればアードベッグは、とある歌の中に出てくる少女のようである。「♪彼女は優しいときはとてもとても優しい。でもそうじゃないときは彼女はとても恐ろしい♪」。彼女—アードベッグは疑いなく「彼女」である—は複雑で難しい女性である。そして癇癪もちである。冬に蒸溜設備が解体されていたのは偶然ではない。そして彼女の再生以来、ある形に落ち着くまでには何度も停止と再開を繰り返してきた。厄介な女性だったのだ。
しかし、それがアードベッグを特別なものとしたのである。当時スティルから滴り落ちるスピリッツのユニークで特別なスタイルに対する真の説明は行われなかった。
多くの蒸溜所と肩を並べて、アードベッグは努力を重ねている。一年に100万ℓ以上のスピリッツを生産しているのだ。ビル・ラムズデンはもう少しなら搾り出せると言うものの、蒸溜所の一対のスティルにはそれほどの余裕はない筈である。
アードベッグはある週に13回マッシュを行い、翌週は14回行うというシステムで運営されている。そして毎週22,000ℓから23,000ℓのスピリッツを生産しているのである。材料のモルトは週に2度もしくは3度60トン単位で届けられる。生み出されたモルトのppmはおよそ55となる。
発酵は6基のウォッシュバック(それぞれは23,500ℓの容量)で55時間かけて行われる。しかし最終スピリッツの特徴的な複雑で甘い性格はほぼ確実に堂々としたスピリットスティルに由来するものである。スティルの古いベントレーのエンジンは不機嫌で年老いたライオンのように蒸溜所のオペレーションを見守り続けている。アードベッグのカットはたっぷりと取られる。4時間半かけて半量以上が集められるのだ。アルコール濃度74%から62.5%まで減少するところまでが対象であり、最終的に63.5%で樽に詰められる。全カスクの1/4 ほどが蒸溜所で熟成に入るが、LVMHの投資のおかげでその量は増えていくことだろう。
こうして得られたスピリッツは当然ながら、どこにもないものとなる。アードベッグは昔のものとは違ってしまったという者もおそらく居るだろう。しかしそう言う者は多くはない。そして私からは逆に、わずかながらの欠点を持ちながらも最高品質のモルトを何度も繰り返し一貫して生産してきた蒸溜所はほんのわずかしかないのだということを主張しておきたい。
蒸溜所が再開されたこの15年から16年の間に、化粧直しされて再起動をかけられ、最高級のモルトを生み出すべく確立されてきたのだ。これは偶然ではない。グレンモーレンジィは既に、アードベッグコミッティーの中で存在感を増すことによって忠実なアードベッグファンの心も掴んでいる。そして注意深いビル・ラムスデンの管理下で、会社はモルトたちがその理想の近くに確かに留まることができるように気を配っているのである。
前回蒸溜所を訪問したときには、マイケル・ヘッズは少し変わった素晴らしいカスクを生み出していた。未使用の焦がしたオークを使い、様々なワインフィニッシュを行い、そしてどれもこれもみな魅力的な仕上がりとなっていた。しかしそのどれもがそのままこの世に出てくるわけではないようだ。少なくともそのままの形では。実際ラムズデンはグレンモーレンジィでできることと、アードベッグでやっていることの間に区別をつける道を歩みだしているようだ。
「アードベッグ自身の持つウイスキーの性質はとても異なるものなのです」と、ラムズデンは語る。「ピーティなので、グレンモーレンジィで行っているような様々なフィニッシュを行う余地がありません。なぜなら単に効果が出ないからなのです。新しいことを試みないという意味ではなく、その試みはアードベッグの全体的な性質に合うものでなければなりません」
2008年はアードベッグにとってはとてもとても素晴らしい一年であったし、とてもとても素晴らしい思い出を私に残してくれたのだ。