パターソンの嗅覚【後半/全2回】

July 18, 2013

一度でもリチャード・パターソンのマスタークラスに参加した事があれば、彼のユニークかつ深い知識と経験を忘れる事は不可能だろう。その魅力に迫る。

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リチャードマスターブレンダーとしての自らの役割を、ディナーパーティのホストに喩えた。ゲストは彼のブレンドに参加する個々のウイスキーである。選ばれて共に腰掛けることに同意し調和を生み出す。
リチャードは自身のウイスキースタイルをどのようにまとめてくれるのだろう? 「しっかりとしたバックボーンは欲しいのですが、同時に繊細さ暖かさが終わりまで残るウイスキーを愛しています。花のように始まって欲しいですね、そして個性を発揮して、なかなか立ち去らないしっかりとして官能的な調子が続く必要があります

リチャードのやり方であるダブル・マリッジ(モルト同士をブレンドしてから樽で寝かせ、その後さらにグレーンウイスキーをブレンドしもう一度樽に戻す方法)も、ホワイト&マッカイスタイルの要である。そこではブレンド済みのモルトと、グレーンが混合されるのである。もちろん高くつくやり方ではあるが(会計士の心配を他所に)リチャードは品質と一貫性のためにこのやりかたを主張しているのである。

著書にサインするリチャード

著書でも説明されている通り、ブレンダーが隷属的に従わなければならない、唯一のレシピなんて存在しない。蒸溜所は閉鎖されウイスキーも変化する。このためブレンダーは製品の一貫性を保つために、常に前もって考え在庫を調整している。もしひとつの材料であったウイスキーがなくなってしまう場合には、ブレンドから外され、同様のスタイルのものがシームレスにブレンドされるようになる。

その卓越したブレンドのスキルによって、リチャードはまたウイスキーと愛飲家のための最も偉大な「外交官」でもある。世界中のウイスキーショーで披露される演劇的ショーマンシップはあまりにも有名だ。
そこではいつも氷のバケツと、風車と、パーティークラッカーが使われて彼のショーを彩っている。
「氷を投げたりして、目立ちたがり屋だ、と言われるかもしれません。でももし私がより大きなインパクトを与えて聴衆の記憶に残るようなことができるなら、それこそが私の目指していることなのです」

著書の表紙にも使用されている写真

リチャードは、彼のつくったウイスキーを飲む人達と直接会って会話する事をとても大切な仕事の一部だと考えている。「人々が耳を傾け始め、純粋にウイスキーを学び味わおうとする瞬間が、なによりも私への賛辞なのです。一番興奮するのが、テイスティングしている人が途中で動作を止めて考え始めたときですね。これは素晴らしいことで、目が輝き始めるのです」

魅力的な話者であるがゆえに、彼がかつてはこうした話をすることを畏れ、また今でも少しナーバスになるということは信じられないかもしれない。セミナーやショーにおいて最悪なのは無関心である。「単に酒をあおりたいだけの人はわかります。そうした人が氷の標的になるのですけどね」
手間暇をかけて技術の解説をしたあと、受講者があまりに早くグラスを置いてしまうと彼は落ち着かない。そこで急がすじっくりと楽しむ事を促すのだ。「鼻と舌をもっと使って下さい。使うためにあるのですから! ウイスキーは探れば探るほど、沢山のものが返ってきますよ」

知識を広める事の大切さを理解しているので、リチャードは雑誌やショーを通してウイスキーの普及活動をする機会を逃さない。「そういった機会はスコッチウイスキーのイメージを世界中にアピールしてくれるのです。その価値は非常に高いのです」

そして彼は、そうした努力に対して常に助力してくれるわけではない、いくつかの企業についての落胆を口にした。またウイスキー産業は他のスピリッツに対抗してもっと自らを盛り立てる必要がある、自己満足している余裕はない、という感覚も述べてくれた。

とはいえ、彼がより楽観的でいられるのは、消費者の興味が盛り上がっているからである。「今はちょうど波頭に乗っているところです。私はずっとこの業界に関わってきましたし、沢山の隆盛を目撃しましたが、今回がウイスキーにとってもっとも素晴らしい時代ですね」

業界全体の利益に向けてのウイスキー会社間の協力体制つくりに、ここ数年努力してきた。「ウイスキーにはいつも良くして貰ってきました。だから私もウイスキーに良くしてやりたいのです」と彼は説明した。同様の仕事をする相手に対して敬意をはらう事は勿論だが、彼はあまり脚光を浴びない樽職人や、ピート掘削者達も讃える。「前線で働くこうした人たちの働きなしには、何も生み出す事ができないのですから」

リチャードはまた、アンドリュー・アッシャー(Andrew Usher)チャールズ・ドイグ(Charles Doig)といった人たちが創始に貢献した過去の重要なスタイルも意識している。「ブレンドの父であるアッシャーは私の偉大な先輩です。しかし彼はほとんど忘れられています。それが2002年に“アンドリュー・アッシャー・ランチ”を行った理由なのですよ。そのときは、これまでの歴史で初めて、企業の垣根を越えてブレンダー達が集まりました」

「1960年代に私がこの仕事を始めたころには、同業界の他の会社の人と話す事は許されていませんでした。閉ざされた扉だったのです」

著書に使われた挿絵

「今回の本を書くに際して、一番悲しいことは何だったかのと考えてみると、それはもっと父に様々な事を聞いておくべきことだったということです。それでも、父のよき友人であったスペイサイド蒸溜所ジョージ・クリスティーにいろいろ話を聞く事はできたのですが」

彼が、わずかに引退を匂わせる一方、読者はまだまだ書いてもらわなければいけない章があると感じることだろう。著書は既に、インドの億万長者ビジャイ・マリヤによるホワイト&マッカイの買収について記述するために増補されている。リチャードによれば90年代半ばの暗黒時代は、「会社は舵のない船であり、嵐の中を船長なしに漂い、船員は混乱し疲弊していた」ということである。これは前身であるキンダール社による失敗である。ホワイト&マッカイは今や方針を変え、リチャードという至宝の価値をはっきりと認識しているのである。

同じく著書に使われた挿絵

レア・アンド・プレステージウイスキーシリーズの開発と、ダルモアを会社の王冠を飾る宝石のようなモルトの位置へと再び戻すことによって、リチャードが最良の手を打った事が明らかになりつつある。酒販店の扱い量は増加している。特にリチャードが熱心に取り組んだ、超熟のウイスキーが。これは時間と忍耐への報酬である。

「この仕事での最も大きなスリルは、例えば40年といった長期間に渡ってウイスキーを熟成させ、その仕上がりが素晴らしかったときなのです」

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