マルスは生きている!【全2回/後半】
2013年のWWAで最高賞を受賞したマルスは山梨から鹿児島へその場所を変えながら操業をしてきた。後半では現在の所在地、信州での活動に目を向ける。
山梨、鹿児島と蒸溜所の場所は移り、最終的にマルス蒸溜所はアプローチを変えることになった。設立場所は、ゆっくりと穏やかな熟成を可能にする標高の高い場所、さらに花崗岩を通過した純粋な水が得られることを考慮して、十分に検討された上で長野県上伊那郡に決定。つくられるウイスキーのスタイルも同様に変化した。新しいマルスは、へビーでピーティーなシングルモルトにこだわらず、1980年代の日本人に好まれたライトな味覚に合わせたスタイルのウイスキーをつくることになっていた。「私たちは新しい蒸溜所で、新しいウイスキーをつくりたいと思いました」
そのサンプルをテイスティングしてみると、日本のシングルモルトのなかでも特に甘みの感じられるウイスキーであると思われた。ジューシーな重みがあるので舌の真ん中に留まる。蜂蜜っぽく、存在感がある。
しかし、今度もまた時期が難しかったようだ。現在からみれば1984年はウイスキーブームが極まった年だとみなせるが、実際には蒸溜所は10年間操業しただけだった。その後、バブル崩壊にともない、国内のウイスキー生産は大幅に衰退した。ブランデーは2002年まで生産されたが、マルスは何とか在庫をやりくりし、一部はヴァッティングして保管される一方、シングルカスクとして少しずつ市場に出荷された。
悲しいウイスキー物語である。昨今のウイスキーブームによるマルスの再出発は3度目の正直ということだ。
「ウイスキーの全市場は全盛期の約5分の1まで落ち込みました」と彼は説明する。「しかし、2008年に底を打ち、必ずやもう一度上昇する動きがあると予測しています。現在は4万ℓを蒸溜する計画をたてています。ただし、これは過去の生産量の1/3以下ですけどね」
これは何か新しいことを試す良い機会だろうか? 「その通りです。ライトながら程良いピート香のあるスタイルのウイスキーをつくり、さらに、蒸溜用と醸造用の両方のイーストを使うことを計画しています。これまで醸造用イーストを使ったことがありませんので、結果が楽しみですね。(南信州ビールがこの地にあるということは当計画に役立つことは間違いないだろう)また、岩井氏が残して下さったものを忘れず、そのスピリットを継承しなければなりません」
スーツ姿の彼を見る。「会社の中で、この地でウイスキーをつくるということがどういうことなのか知っている唯一の人間、それは私です。55歳で蒸溜を再開することに少し神経質になっていますが」
しかし、彼の満面の笑みは実はそう思っていないことを物語っている。
スコットランドでモルティングした大麦は、清潔な1トン用のマッシュタンで(設備はすべて改修されている)糖化される。次に麦汁の一部をひとつめの小型タンクに移し、そこでイーストを加えて発酵する。その後、残りの麦汁と一緒に5つあるウォッシュバックのうちのひとつに移される。
そこで最低3日間発酵されるが、「醸造用イーストを使った場合、発酵時間が長くなるだろうと思っています」
スティルハウスは小さく、底が深くてやや四角張ったスティルが隅に鎮座している。ウォッシュスティルはコンデンサーにつながっているが、それより少し大きいスピリットスティルにはワームタブがついている。珍しいセットアップだ。「それは岩井方式ですね。山梨で彼が設置したものです」と谷口さんが言う。
古いマルスの在庫も残っているが、すぐに貯蔵庫は新しい樽でいっぱいになるだろう。おもに450リットルの新しいアメリカンオーク樽に加え、いくつかのシェリーバットも含まれている。そして、現在上の段に置かれている満タンの5つのミズナラ樽。これにより谷口さんがまたインスピレーションを発揮し、マルスウイスキーはよみがえるだけでなく、新たな生命を得ることだろう。
そこを後にして、私たちは眩しい日光の中へ戻った。パゴダが活気に溢れてギラギラ輝いているのも当然である。