家族経営の力学 その1【全4回】

July 5, 2012

この新連載では、家族経営がどうビジネスにおいてキーとなっているかを見極めるために世界中からいくつかの事業体に焦点を当てる。家族経営の方が巧妙で進取の気性に富み、適応力があるのか、あるいは将来の世代に重圧を及ぼしているのか? 過去から続く家族全体の力、その苦闘と成功は、未来を活気づけることができるのか? まずはデイヴ・ブルームが概論を語る。

ウイスキーはそもそもの始まりから家族的な性質を持っていた。最初期の蒸溜業者は大企業ではなく、自家用、おそらくは(小さな)共同体向けの製品を作っていた農夫たちだった。1823年にスコットランド、そしてアイルランドのウイスキー界が変化したとき、ウイスキーの大発展をもたらしたのは主としてこの農夫たちのような人々だった。彼ら先駆者の一部は今でもウイスキーをつくっている。しかし、ウイスキーづくりの家系という概念はスコットランドに限ったものではない。ビームはジェイコブ・ボームがケンタッキーにやって来た1788年からウイスキーを蒸溜している。7世代を経て、パーカー・ビーム及びおよびクレイグ・ビームは(家族所有の)ヘヴンヒル蒸溜所で今もバーボンをつくり、フレッド・ノウはジム・ビーム自体のためにアンバサダーのごとく勤めている。ほぼすべてのバーボンのブランドまたは蒸溜所をちょっと調べてみれば、どこかの段階で必ずビーム家の人間が関わっているだろう。

ケンタッキーの別の場所では、サミュエルズ家(1783年以来の蒸溜業者)がメーカーズマークに関わり続け、ブラウン家の第5世代は、ジャックダニエル、アーリータイムズ、ウッドフォードリザーブおよび他の一群のアルコール飲料の所有者である強力なブラウン・フォーマン社を今も支配している。言い換えると、ウイスキーは多国籍企業の領域と思いがちであるが、ダフタウンのグラント家、ルイビルのブラウン家、大阪の鳥井家などからひとつだけの蒸溜所操業まで、あらゆるレベルで家族企業はまだ存在している。当初思ったほど意外でもなく、ウイスキーは家族の投資に適している。

「ある意味、スコッチウイスキー業界は安定した家族経営に不思議と向いています。生産から販売までの『リードタイム』という点で、他のほぼすべての製造業と異なるからです。ウイスキー製造業では一般的に長期戦略の方が短期的な利益追求主義より望ましいのですが、公的な蒸溜事業の経営を担う役員は、先を見越した取り組み方ができるほど贅沢な身分ではない場合が多い」とガヴィン・スミスは本連載の次回の記事で述べている。

私はゴードン&マクファイル(G&M)のフォレス熟成庫でデービッド・アーカートと一緒に70年モノの樽を見下ろしながら、さらに70年先に使用する予定の樽を彼の世代が今仕込んでいるという話を聞いていたことを思い出す。彼の兄は「私たちは家族会社として、今日仕込んだものが遠い将来に利益になると分かっています。長期の展望があるのです。現在提供しているシングルモルトの多くは、父と祖父が仕込んだものです」と語っていた。6代にわたるグレンファークラスの後見人、バリンダロッホのグラント家も同様で、グレンファークラスのファミリーカスクシリーズは長期にわたりストックを仕込み続けてきた一家の流麗な証しだ。こういった稀少なボトルは、ダンネージ式熟成庫の暗がりに忘れられていた樽のものではなく、計画されたものだ。

家族経営の方が良い、あるいはより良いウイスキーができると言っているわけではなく、家族経営の場合は時間という要素が異なり、迅速な行動と反応が可能なために、異なった原動力の事業になるということだ。ウイスキーは企業を所有する人々だけでなく、第三、第四世代の職人、スティルマン、マッシュマンと樽職人、そしてリチャード・パターソンのようなブレンダーなど、そこで働く人々のものでもあるため、家族の物語はさらに膨らんでゆく。ウイスキーはその本質が家族的なのだ。このビジネスモデルは生き残ることができるのか? その答えは、表面的には「古風な」価値観がいまだに支配的なキャンベルタウンとスプリングバンク蒸溜所を見てみれば分かる。スプリングバンク蒸溜所は時代遅れではなく、新世代独立系蒸溜業者の見本として機能している。21世紀を迎えて、ウイスキーの未来はどうなるのか? 新しい小規模な独立系およびほとんどが家族経営の蒸溜業者というニューウェーブが世界的に発生しつつある。至る所1820年代の再来のようだ。おそらく10年の内には、誰かがタスマニアのラーク家、秩父の肥土家、テネシーのベル家について書いていることだろう。

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