南アフリカのマスターディスティラー【前半/全2回】
南アフリカ産ウイスキーの主唱者アンディ・ワッツ氏へのインタビューを2回に渡ってお届けする。
多くのヨークシャー男と同じく、アンディ・ワッツもティーンエイジャーだった頃、クリケットのプロ選手になることを夢見ていた。彼はバッツマンと中速ボーラーとしての才能に恵まれて夢を叶え、「ダービーシャー・カウンティ・クリケットクラブ」に所属する「ファーストクラス・クリケット(WMJ註:クリケットの国際的な国のランクで、イングランドをはじめとする一流10ヵ国。国代表の公式戦を行うことができる)」の選手になった。
その後ワッツは南アフリカのケープワインランド郡を本拠地とするチームでプレイするために移住し、最終的にその地に落ち着いて家族を持った。
30年が経ち、53歳になってもバットの扱いはまだまだ達者なこのイギリス人は現在、ウェリントンにあるジェームズ・セジウィック蒸溜所のマスター・ディスティラーとして、また南アフリカ産ウイスキーの第一人者として広く知られるようになった。
―― 南アフリカに住むようになってから、どういういきさつでジェームズ・セジウィック蒸溜所で働くようになり、マスター・ディスティラーになったのですか?
アンディ 自然にそうなってしまったんですよ! 簡単に言えば、「ちょうど良い時にちょうど良い場所に何度も居合わせた」ということです。
そもそも私が南アフリカに来たのはクリケットのためでした。ボーランド地域中の学校でコーチを務め、ウェリントンとボーランドの選手としてもプレイしました。その段階で、私はもうプロスポーツマンになるという夢を叶えていたんです。その先に何が待っているのかは知りませんでしたが。
ジェームズ・セジウィック蒸溜所に至る旅は1986年に始まりました。親睦会のような集まりで、当時私が働いていたステレンボッシュ・ファーマーズ・ワイナリー(以下SFW)とビジネス関係にあるモリソン・ボウモア・ディスティラーズの役員たちと出会いました。
この出会いがきっかけで技術交換が行われることになり、その一環として私がスコットランドに行って、しばらくの間彼らの蒸溜所で働くことが決まりました。そして1988年に2回目の滞在を終えて戻ってから、ジェームズ・セジウィック蒸溜所に異動になり、SFWのウイスキー事業をステレンボッシュにある小さな蒸溜所からウェリントンに移す仕事を手伝いました。その後、1991年にマネージャーに任命されました。
ウイスキー業界では、「マスター・ディスティラー」という肩書きは普通、仲間から与えられるものです。定評のある学術的な資格とかキャリアではありませんが、一般的に言って、ウイスキーづくりの全ての過程を深く、綿密に理解していることを表しています。正直なところ私はまだ学んでいる段階ですし、肩書きというものは何であれそれだけのもの、ただの肩書きに過ぎません。自分自身とチームを常に向上させようと努めていなければ、何の意味もありませんよ。
――ご自分がマスター・ディスティラーと呼ばれるに足る味覚と嗅覚を持っていると気付かれたのは、SFW(現在は「ディスティル社」)で仕事を始めてどれくらい経った頃ですか?
アンディ ディスティル社で働いてもう29年になりますから、取り敢えず実務経験は豊富と言って差し支えないでしょうね。ウイスキーはとても主観的なものですから、 ブレンドのスタイルは私の好みに沿って進展してきました。ですから、私がアイラ島のボウモアで数年間働いた後、戻って間もない1991年にスモーキーでしっかりした「スリー・シップス 5 年」が発表されたのもただの偶然ではなかったわけです!
インタビューや栄誉を受けるのは私ということになりがちですが、とてつもない才能と情熱を持ったチームと一緒に働いていますから、成功は私だけの力ではありません。ひとりの人間が毎日同じようにテイスティングできるとは思えないんです。天候、周りの空気、食べたもの、あるいはこれから食べようとしているもの、自分の気分、そのほか数限りない要素がテイスティングに影響を及ぼします。だから私たちはチームで働いているんです。
――お仕事で一番楽しい部分はどこでしょう?
アンディ この22年間で驚くべきことは、同じような年が2年と続いたためしがないことです。常に何らかのプロジェクトやアップグレードが起こっていて、私には止まる暇もありませんでした。現在でさえ、いろいろな事が絶えず変化していて、ちょうど今も、蒸溜所に新たな熟成庫2基を完成・稼働させる大きなプロジェクトが進行中です。この先も、引退するまで十分に忙しくしていられそうです。
――ジェームズ・セジウィック蒸溜所は最近アップグレードと拡張を行ったと聞いていますが、主な改良点と変更点は?
アンディ 蒸溜所が最大生産力の限界に達しつつあった為、2009~2010年に拡張プロジェクトを開始しました。基本的に材料の荷下ろしと貯蔵、蒸溜機材まで、生産過程全体を再検討しました。その結果に基づき拡張を行い、現在は品質と量の点で次のステップに進める装備が整っています。
――蒸溜所での製造プロセスの面では、スコットランドのウイスキーづくりとは何か違うことをなさっていますか?
アンディ ウイスキーづくりに関する南アフリカの法律はスコットランドとほぼ同じです。もちろん、南アフリカにはスコットランドのような500年に及ぶウイスキーづくりの歴史と伝統はありません。その伝統にはこの上ない敬意を払いますが、だからと言って尻込みしたりはしません。ですから、この蒸溜所ではステンレス鋼と最新技術がより多く使われていると思われるかもしれませんね。
――熟成方針について、少し聞かせてください。どのようなカスクを使用しているのですか? そして南アフリカの暑い気候がウイスキーの熟成の仕方にどんな影響を及ぼしているのでしょう?
アンディ 私たちはスコットランドと全く同じように主にアメリカンオークを使いますが、時折シェリーカスクの木材とヨーロピアンオークも使っています。南アフリカの暑い気候によって、確かに「天使の分け前」は北半球より相当に多くなりますが、木材、スピリッツ、空気の相互作用が活発なために熟成過程が確実に加速されるという利点もあり、熟成年数の割に成熟して滑らかに感じるウイスキーができあがります。
――大麦麦芽はどこから調達しているのですか? ピーテッドもあるのでしょうか?
アンディ 私たちは英国を基盤とする精麦業者と長い間にわたる関係を築いています。えぇ、うちの大麦の一部はピーテッドですよ。スコットランドの蒸溜所はほとんどがひとつのスタイルだけのモルトウイスキーをつくっていますが、私たちは様々なブレンドが作れるように、数種類の異なるスタイルのものを生産しています。
それでは後半ではどのようなブレンドが生まれたのか、その製品に迫ってお伝えしよう。