1週間だけのウイスキー旅行:北スペイサイド編(1)ベンロマック蒸溜所
文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン
昨年の「1週間だけのウイスキー旅行」シリーズでは、オークニーと北ハイランドの蒸溜所を訪ねた。旅の終着地となったインバネスには、残念ながらウイスキー蒸溜所がない(かつて3軒のウイスキー蒸溜所があったものの廃業)。
第2回めのシリーズでは、そのインバネスから東に向かって旅を始めよう。スペイサイド地方はあまりにも多くの蒸溜所が密集しているため、1週間で多くをカバーするのは事実上不可能。そこでスペイサイドの中でも、特に北スペイサイド地方に絞り込むことにした。インバネスから電車でかんたんに訪ねられるフォレス、エルギン、キースの町である。
最初の訪問地は、ベンロマック蒸溜所だ。スペイサイド地方で、もっとも西に位置する蒸溜所である。蒸溜所はフォレス駅から徒歩わずか5分の距離にあり、魅力的なビジターセンタで毎日定刻のツアーを開催している。
ベンロマックは、19世紀末にスコットランド中で創設された数多くの蒸溜所のひとつである。建設は1898年に始まったが、1900年になってようやくウイスキーが生産された。その後、ベンロマックは20世紀の前半にさまざまな転換点を迎えている。所有者が3回変わった後で、ディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL、後のディアジオ)傘下になったのが1953年のこと。1968年に蒸溜所所内でのモルティングを廃止し、1974年にはキルンの屋根からパゴダが取り除かれた。
70年代後半から80年代前半にかけて、スコットランドでは「ウイスキーロッホ」と呼ばれるウイスキーの過剰生産が問題になった。ベンロマックもその煽りを受けた数多くの蒸溜所のひとつで、1983年には生産中止の憂き目を見る。同年の3月24日には最後の樽535本にスピリッツを詰め、蒸溜所長とチーム一同(税吏までいた)が壁にサインを書き残している。この時点で、ベンロマック蒸溜所の未来は永遠についえたかに思われた。
同様の運命を辿っていた蒸溜所が、ベンロマックの近所にあった。フォレスの中心地からわずか数キロ南にあるダラスデュー蒸溜所だ。最後の樽詰めはベンロマックよりも8日前のこと。共に閉鎖された2軒の蒸溜所を比べると、ダラスデューのほうが恵まれているようにも見えた。なぜならベンロマックの設備がディアジオの手で解体されて荒廃する一方だったのに対し、ダラスデューは気の利いた会計士が政府の支援を手にして旧蒸溜所をビジターセンターに模様替えしたのだ。
旧ダラスデュー蒸溜所はスコットランドの歴史的建造物に指定され、1988年に博物館として再オープン。1992年に蒸溜所設備がヒストリック・スコットランドに売却されると、ダラスデューの酒造免許は失効した。ここからが歴史の不思議である。蜘蛛の巣が張ったベンロマック蒸溜所にも、ダラスデューと同じ運命が待ち受けていると思われていた。だがベンロマックは歴史遺産にならず、再開への道を歩むのである。
チャールズ皇太子が復活を宣言
ベンロマック蒸溜所の新しい歴史は、ゴードン&マクファイルに買収された1993年にスタートする。蒸溜所長のキース・クルックシャンクが、当時の経緯を振り返ってくれた。
「法的な手続きと設備上の問題を整理するのに、数年がかかりました。やることが本当にたくさんありましたよ。古い蒸溜所の状態は散々で、引き続き使用できる以前の設備は数えるほど。なんとか取り戻した木材でウォッシュバックを造り、古いスピリッツレシーバーと貯蔵庫も使えることがわかりました。他に引き継いだものといえば、猫1匹くらいですね」
1998年10月15日、ベンロマック蒸溜所は操業を再開。公式な復活を宣言したのは、チャールズ皇太子だ。ゴードン&マクファイル社長のイアン・アーカートも、チャールズ皇太子も、近所にあるスコットランド有数の名門寄宿学校ゴードンストウンの卒業生である。キース・クルックシャンクが笑いながら回想する。
「チャールズ皇太子は、塗りたてのペンキの匂いがお好みだという有名な噂があったんだ。ベンロマックがその噂を証明したんだよ。皇太子がいつ来てもいいように、全員が蒸溜所の再開に向けて一生懸命働いていたから」
1998年の時点で、ベンロマックはスコットランドでもっとも小規模な蒸溜所のひとつだった。生産体制も質素で、週に5日稼働させて年間135,000L(純アルコール換算)ほど。だが2014年の設備投資で倍増され、2016年の夏には新しい発酵槽9層が古いキルン棟に設置された。この発酵槽は翌年から実際に使用され、さらなる生産増大に貢献している。現在の生産量は、年間約380,000L(純アルコール換算)。だが蒸溜所は将来の需要増も見越して設備を刷新しており、必要になれば現在の設備で年間約700,000L(純アルコール換算)のスピリッツを生産することができる。
蒸溜所の再稼働にあたって、ゴードン&マクファイルは1950〜1960年代の古いスペイサイド流のウイスキーを復興させたいと考えていた。そのスタイルは、繊細かつ優雅なスモーク香を特徴とするもので、現在のスペイサイドのイメージとはかなり異なる。50~60年代はシングルモルトの売上がほぼ皆無だったので、クラシックなスペイサイドのスタイルについて知る人は少ない。だがゴードン&マクファイルには実地の知識があった。保有する幅広い原酒のストックから、特定の時代に遡ってウイスキーのスタイルを探ることができたからだ。
ベンロマック蒸溜所で使用される大麦は、スコットランドで栽培と製麦をおこなっている。これはベンロマックが大切にしているアイデンティティーのひとつだ。大麦はピートで燻され、フェノール値10〜12ppmのモルトができる(蒸溜されると約4〜5ppmのニューメイクスピリッツになる)。
モルトを粉砕するのは、改修された1913年製の古いボビーミルだ。かつては糖化棟だった粉砕室で、古風な4ロール型のミルが1バッチ1.5トンの大麦モルトを処理する。粉砕されたモルトは、旧ボイラー棟の糖化室へ。1回目のお湯(6,000L)は、64.5°Cで投入される(昨年ほんの少しだけ温度が上げられた)。2回目のお湯(2,350L)は78°Cで、3回目のお湯(5,450L)は90°C。これが次回のバッチの1回目になる。濁った麦汁を見れば、ビスケットのようなニューメイクスピリッツのモルト香が即座に連想されるだろう。キース・クルックシャンクが説明する。
「糖化は1サイクルで6時間。この6時間というのは、将来需要が増えたときに1日4サイクルで回せる理想的な長さでもあるんだ。現在は日曜の夜から金曜の正午まで、14サイクルの糖化をこなしている。2012年には毎週18サイクルに増やす予定で、ウイスキー市場が成長を続けていたら更に増やすよ」
1回の糖化サイクルからできた7,500Lの麦汁は、熱を冷まして13槽ある発酵槽のひとつに送られる。古い4槽の発酵槽はスコットランド産のカラマツ材で、2016に新調した9槽の発酵槽はスコットランド産のカラマツ材。新旧の発酵槽はまったく同じサイズである。
「週末は休むので、発酵時間には短めと長めの2種類がある。5日のうち3日は、ウイスキー酵母を主体にしながらエール酵母も少しだけ混ぜて発酵させている。これは再開時から一貫して続けている方法で、ウイスキーに複雑さと特有のフレーバーを加えてくれるんだ」
蒸溜所の生産システムは、きっちりと割り切れる分量で進行する。糖化1回分の麦汁が、発酵槽1層分。発酵1回分のもろみが、初溜釜1回分(7,500L)。初溜液1回分が、再溜釜1回分(4,500L)。最終的には、アルコール度数70%のスピリッツ約900Lになる。
「シェリー樽熟成に負けないように、十分なボディーを持ったスピリッツが必要だからね」とキース・クルックシャンクが力説するする。カットポイントは大麦モルトの種類によって変えている。標準のライトリーピーテッドはアルコール度数61%、有機栽培のノンピート大麦モルトは62.8%、へビリーピーテッドはアルコール度数58%でカットする。
この蒸溜工程には、スペイサイドのウイスキー史を垣間見れる面白い設備もある。スピリッツセーフが、もともとミルバーン蒸溜所で使用されていたものなのだ。ミルバーンといえば、かつてインバネスにあった3軒の蒸溜所のひとつ。さらに現代の蒸溜所ではほとんど見られない木製のフェインツレシーバーや、木製のSRWV(貯蔵庫用スピリッツレシーバー)もある。どちらの容器もフレンチオーク製だ。
アルコール度数70%のニューメイクスピリッツは、加水で63.5%にまで希釈してから樽詰めする。通常は蒸溜7セットごとなので、樽詰め作業は1週間に2回やってくる。年間の生産量は約2,500本。その内訳は最多の約70%がシェリー樽で、主にヨーロピアンオークのバットとホグスヘッドだが、一部アメリカンオークのシェリー樽も使用する。樽の供給源はヘレスにある旧知のボデガ3軒で、密に連絡を取り合いながら3年間シーズニングした樽を送ってもらう。残りの30%はバーボン樽(主にジムビーム)、ワイン樽、オーク新樽などだ。
昔ながらの手作業を維持する
1950年代にウイスキー蒸溜所で働いていた人が、タイムスリップして樽詰め中の蒸溜所にやってきても違和感は感じないだろう。ここではあらゆることが昔ながらの手法でおこなわれている。樽詰めも、計量も、天板の型抜きペイントまでも手作業だ。現代ではほとんどの蒸溜所が旧式の型抜きペイントをやめて、データベースに連動したバーコードを天板に貼り付けている。そんな文明の利器もベンロマックには無縁だ。
「バーコードなんて、便利すぎてベンロマックの魂を失ってしまいそうだ。それに天板の型抜きペイントは格好いいし、大して時間がかかる訳でもないからね」
樽詰めが完了したスピリッツは、敷地内にあるダンネージ式貯蔵庫(全5軒)のどこかに運ばれる。貯蔵庫全体で、約15,000本の樽を貯蔵できるという(取材時)。だが訪問した数日後(11月4日)に、 蒸溜所の隣の敷地で新しい貯蔵庫2棟を建設する計画が始まったようだ。
現在のところ、ベンロマックは「ベンロマック10年」「ベンロマック10年カスクストレングス」「ベンロマック15年」がコアレンジになっている。キース・クルックシャンクが説明する。
「ベンロマック10年は、2009年の発売。原酒はファーストフィルのシェリー樽とバーボン樽だ。ベンロマック15年が発売されたのは2015年。シェリーの要素を強調する路線で、まろやかなフルーツ香が増している。どちらもチルフィルターを施しているけど、丁寧に扱っているよ。温度は決して0°Cを下回らないようにしているんだ」
そして「ベンロマック10年カスクストレングス」は、2014年秋に発売された「ベンロマック10年 100プルーフ」の復刻版なのだという。
「100プルーフという言葉が、国によって混乱の原因になることがわかってね。英国ではアルコール度数57%を意味するんだけど、米国では50%の意味になる。そこで今年になってから商品名を変更して、ビンテージバッチシリーズのひとつとして再発売した。中身は同じ10年熟成のカスクストレングス。ちょうど『2008年 バッチ1』が発売されたばかりだ」
10年と15年の間にあるバリエーションを味わってみたい人には「ベンロマック12年」もある。ただし台湾市場限定の商品だ。そしてコアレンジから離れると「コントラスト・ウイスキー」と呼ばれる商品もある。キース・クルックシャンクが説明する。
「コントラスト・ウイスキーと呼んでいるのは、コアレンジと大きく異るアプローチの商品だから。例えば『ベンロマック オーガニック』は、ノンピートの大麦モルトを蒸溜して、アメリカンオークの新樽で熟成している。2006年に発売されて、英国土壌教会から初めて完全なオーガニック商品と認可されたウイスキーになった。当時は大麦も単一の農場から調達していたけど、今は数軒の農家が協力してくれるようになった。毎年ベアーズ社に50トンの大麦を送って、製麦した40トンの大麦モルトを送り返してもらう。これをいつも新年に約90本のホグスヘッドに詰めるんだ。他のコントラスト・ウイスキーには、『ワインウッドフィニッシュ』と、3回蒸溜したユニークなスピリッツの商品もあるよ」
限定エディションの商品は、まだ他にもある。
「1998年のビンテージを2018年に瓶詰めして、20周年記念ボトルをつくった。ただし20年熟成という訳ではなく、実際には19年熟成だった。3,000本限定で、とっくに完売してしまったよ。チャールズ皇太子が来訪時に署名した『カスクNo.1』も完売して、収益はすべてチャリティーに寄付した。発売から72時間以内に、575本のデキャンタが全部売れたんだ。そして今年の9月には、1969年ビンテージのベンロマックをリリースした。シェリーの古樽(ホグスヘッド)で熟成したシングルカスク商品だけど、50年もののウイスキーとして誕生日の翌日から発売した」
ウイスキーだけでは手持ち無沙汰だとでも言わんばかりに、ベンロマック蒸溜所のチームはジンづくりにも乗り出している。キース・クルックシャンクは微笑みながら語る。
「良質なウイスキーをつくれるなら、ジンだってつくれるはずさ。手作りの少量生産でロンドンドライスタイルのジンをつくっている。ジュニパー、アンジェリカルート、レモンの皮、オレンジの皮、地元産のセイヨウナナカマド、シーバックソーン、ヒースなどのボタニカルを使っているよ」
ジンの銘柄は「レッドドアジン」。蒸溜所の目印でもある赤いドアをヒントに名付けられた。2018年7月に発売されて評判は上々だ。ジンづくりに焦点を当てたビジター体験も用意されているので、グループ訪問なら二手に分かれて別々のツアーに参加するのも面白いだろう。
次の目的地は、グレンバーギー蒸溜所。共に旅を続けよう。
(つづく)
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