ヘブリディーズ “ウイスキー” 諸島【その2】
ウイスキーの蒸溜所が点在する美しい自然の残るヘブリディーズ諸島を訪れる。後半の今回はアベイン・デーグ蒸溜所のオープンも記憶に新しいルイス島までご案内しよう。
ジュラ島の南東にはラム、エイグ、マック、カンナの小島が浮かんでいる。カンナ島はナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(NTS)が所有し、保護区として管理している。ラム島は自然保護評議会(NCC)が所有し、アカシカ保護の重要な研究地だ。マック島とエイグ島はいずれも民間が所有する自給自足の共同体で、西海岸セーリング団体の季節的な停泊地として有名だ。
現代オーストラリアの「父」にして名付け親、ラクラン・マッコーリー総督の生誕地に近いマル島のフェリー・ターミナル、クレイグニュアからは、A848道路が海岸線に沿ってまるで絵葉書の絵のような風景のトバモリーまで延びている。海に臨むカラフルなこの町は、蒸溜所と1588年のアルマダ海戦で湾に沈んだスペインのガレオン船、そして英国の誰もが知っている子供向けTV番組「バラモリー」の舞台として有名だ。クレイグニュアから南東に向かうA849道路は、崖の上にある古いマクリーン家のデュアート城を過ぎ、神聖な静謐漂うアイオナ島に行くフェリーの港、フィナフォートに進む。
マル島の東10マイルほどの沖合には、岩の柱でできているように見える風変わりなスタッファ島が浮かんでいる。私はこの島の周りをセーリングする機会に2度恵まれ、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」を頭の中で鳴り響かせながら、神秘的なこの洞窟の奥深くを覗き込んだことがある。ヘブリディーズ諸島にはもう驚異がないなどと言える者は誰もいないだろう。マル島の南、スカルバ島とジュラ島の間の海峡では、世界で3番目に大きな渦潮コリーヴレッカン、別名「Cauldron of the plaid」の咆哮が聞こえる。モルトを楽しむには絶好の場所だ。
ヘブリディーズ諸島には古い言い伝えがある。聖書の大洪水のとき、バラ島のマクニール家当主は自分の船を持っていたというのだ。島の暮らしは昔も今も、独自の海洋文化を誇っている。今日でも第47代のマクニール家当主が、法学教授としてバラク・オバマ大統領に法律を教えたこともある父親の跡を継ぎ、この島に家を持っている。キャッスルベイの湾に浮かぶマクニール家先祖代々の要塞、キシムル城は、夏季には一般に公開されている。またバラ島は、有名な1954年のイーリング喜劇「ウイスキー・ガロア」の舞台にもなった。今の呼び物はトフィー菓子の製造工場であり、ボーヴに新たな蒸溜所の認可を得る計画もある。沖合には、やはりスコットランド民謡に歌われているミングレイ島の姿が見える。
今回の旅の最終地、ルイス島でも時代は変わりつつあり、賛美両論ある中で昨年から安息日にもフェリーと航空便が利用できるようになった。ルイス島の中心地でアウター・ヘブリディーズ行政区画自治体も置かれているストーノウェイは海運業が充実しているが、エドワード7世時代に石けんで財を成したレバーハルム卿がこの島を所有していた頃以降、不運にも非常に苦しい暮らしが続いたという評判だ。しかし近年では、地元の経済もITと小規模な風力発電を含めて多様化している。
またキャロウェイとショーボストには、世界でも有数の高品質で耐久性のある服地、ハリスツイードの工場が残っていて、適切な政府の融資と団結した動きがあれば、製造と販売を再開し、名声を回復できる状態にある。
ウイスキーもこの島の一部になった。アベイン・デーグ蒸溜所(ゲール語で「レッド・リバー」の意味で、別名Red Rier蒸溜所)がオープンしたのだ。ウィグのカーニッシュにあるこの蒸溜所はすでに最初のスピリッツをリリースしており、創設者のマーク・テイバーンはルイス島独自のウイスキーをつくって販売しようという決意だ。
ルイス島で私は、屋外でモルトを味わうため、そして紀元前2900年から風雨にさらされてきた立石群を観賞するために、必ずカラニッシュに足を向ける。記録もない過ぎ去った時代の遺跡は、自から崩壊しつつあるようなこの世界で奇妙に安心感を与えてくれる。晴れた日、観光センターの脇に立って南に目をやり、稜線が横たわる女性の横顔に見えることから神秘的な「眠れる美女」の山と呼ばれているハリスの丘の連なりを見ているうちに、煩雑な日常の些事は朝露のように消えていった。