軽井沢の終焉とこれから

October 10, 2012


多くの人々に愛された軽井沢蒸留所。閉鎖直前に訪問したデイヴ・ブルームがレポート

心の準備をしていなかったわけではない。残っているものは少ないだろうと思ってはいたが、それでも貯蔵庫の光景は衝撃的だった。残りのストックは貯蔵庫を埋めるほどもなかった。軽井沢蒸留所の44年にわたるウイスキーづくりで残されたものは、数百丁の樽だけだった

蒸溜所のDNAは物理的な出生地と樽の両方に存在する。片方が風味を創り、もう片方が生来の可能性を何年もかけて育み、完全なものにする。そのすべてを監督するのがディスティラーだ。ウイスキーづくりは活動的で、生命を持ったプロセスであり、ディスティラーは活動的な参加者だからだ。ディスティラーがいなくなると、蒸溜所は息絶える。その結果がこの光景だった。

私は数字を調べながら歩き回り、関係を見分けようとした。ステンシルはかすれ、末尾の一部は歪んで、剥がれかけたペンキの隙間からたまに「Glenlivet」「Tokyo via Yokohama(横浜経由東京)」などの文字を読み取ることができるだけだった。

時は軽井沢へ行く前日にさかのぼる。私は秩父にいた。軽井沢蒸留所は空になり、残されたストックは、すべてここ秩父蒸溜所に保管されている。過去から現在へ、古い流儀から新しいやり方へのバトンタッチ。しかし、こうして秩父蒸溜所に立って軽井沢樽番号3692に手を置いていると、なぜバトンを渡さなければならなかったのだろうとやはり考えてしまう。それは元軽井沢蒸留所マネージャーの内堀さんにも、完全には分からないことだろう。

軽井沢蒸留所の新しいオーナーが蒸溜ライセンスを返上し、ウイスキーづくりがもしかすると、本当にもしかするとだが、再開されるかもしれないという最後の希望を打ち砕いてしまったと知らせてくれたのは内堀さんだった。

「悲しいです」と彼は言った。「私はあそこで50年勤めました」
「どのような日々でしたか?」
「50人以上が働いていました。樽修理工もいました。1日3交替制で働き、良いウイスキーをつくりました。幸せな日々でした」
彼は語り止め、頷く。もう何も言う必要はなかった。

「私たちは良いウイスキーをつくりました。幸せな日々でした」

 

翌日、私は軽井沢蒸留所を訪れる最後のグループに加わっている。かつてはワイン醸造所だったが、1956年からウイスキーをつくるようになった建物は静まりかえっている。2000年以降は一時操業停止していたものの、マルス蒸溜所のように、不況が終われば再開するかもしれないという必死の願いが常にあった。

とにかく、メルシャン社買収の一環として2006年にここを購入したキリンは、すでに御殿場蒸溜所でウイスキーづくりの経験があった。何という組み合わせになったことだろう。御殿場は富士山を、軽井沢は浅間山を控えているから、ライトとヘビーのふたつの「火山」ウイスキー。しかし、そうはならなかった。

私たちは皆それぞれの居場所を見つけ、黙りこくっている。胴がくびれて、まるでディオールの「ニュールック」を着こなした女性たちのように見える4個の小型スティルをぼんやりと撫でる。何を探しているのかもよく分からないままに貯蔵庫をさまよい歩き、空の樽に鎖がぶつかる音が時折響く。笑おうとしても、場違いの陽気さには無理がある。

前夜、ヘルムズデール軽井沢で一杯やりながら、ウイスキーを信じることを止めたらどうなるかという話になった。それが消費者でも十分に良くないことだが、オーナーであればさらに深刻だ。不況のまっただ中では一時操業停止が必要な理由も分かるが、市場が大いに活況を呈し、軽井沢蒸留所も世界中にファンができているというのに売ってしまうとは、ビジネス上理に適っていない。

軽井沢ウイスキーはちょうど良い時にちょうど良い場所にいたが、どのオーナーも輸出しなかったし、国内でもほとんど知られていなかった。それを愛した人たち、つくった人たちは、影響力のある立場にいなかった。影響力のある立場にいた人たちは、どうやらウイスキーの魂を持っていなかった。軽井沢ウイスキーはかつてラベルに3人のつくり手の顔が印刷されていた。形だけの敬意だったのかと思うと、抑え難い怒りを覚えてしまう。

ウイスキー愛好家は、一連の軽井沢シングルカスクが出そうな見通しに両手をこすり合わせて喜ぶかもしれないが、それは悲しみを帯びた興奮のはずだ。数百丁のカスクが捨てられずに取っておかれたことは確かに素晴らしいが、それがなくなってしまったら、軽井沢は息絶える。

確かに、もっと多くのウイスキーがつくられていることに期待する方がいい。

私は別れの挨拶に、バッティングして製品化された軽井沢「Asama」を数滴地面に落とし、皆でボトルを回した。最後のふたりの従業員にボトルを贈呈する。ラベルの背後にいた人たち、自分の職場が目の前で空になるところを見た人たちだ。内堀さんのように、彼らの表情が多くを語っている。最後にひと目見ようと振り返ると、もう彼らの姿はなかった。オフィスの明かりが消えた。

 

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