ハイランドパーク オークニーの魂【全2回/後半】
あなたのウイスキー人生に「魔法」をもたらしてくれるのはハイランドパーク蒸溜所である事は前半でお伝えした通り。後半では蒸溜所の佇まいだけではなく、その風味に注目する。
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ハイランドパークはずっと特別な場所だったのだが、今はさらに特別な場所になっている。
もし蒸溜所が単に世の趨勢に沿う為に改装したのではとお疑いならば、モルトアンバサダーのジェイソン・クレイグとジェリー・トッシュとの熱心な説明を聞いて欲しい。数分のうちに心配は雲散霧消する筈だ。
ハイランド パークはマーケティング戦略を変更しつつあるように見える。シングルカスク・アンバサダー・セレクションなどはその例のひとつである。
「あのシリーズの発売はとても大切なのですよ。なにしろハイランド パークは市場の成長率に比べて低い成長率しか示せていなかったのですから」とジェイソン・クレイグ。「ジェリーがシングルカスクの提案をしてブランドを立ち上げてくれましたが、私たちは今は別の試みをしています。もし毎年最高のカスクを選んでいったとしたら、残りのストックは平均を少しばかり上回る程度のものになってしまいます。これは私たちの望ましい方向ではありません。特別で一度限りのことをするよりも、全体として進もうと考えたのです」
ハイランド パークのチームはたくさんのプロジェクトを企画している。それらのいくつかには異論もある。たとえば「日本送還ボトル」。これは1977年200周年記念ボトリング694本(元々の発売は1998年)を日本調の木箱に収めて250ポンドで発売するというものである。この高い値段付けに怒りを表した者もいる。
「このボトルは日本で見つかったものなのです」とジェリー・トッシュ。「1977年200周年記念ボトリングが最初にリリースされた際に、サンプルとして利用するために東京に託送されたものでした。しかし早々と売り切れてしまったために、これらのサンプルボトルは脇に置かれてそのまま忘れられていたのです。そこで私たちはそれらを送還してもらうことにして、リパッケージを行い、そしてこの本当に貴重なウイスキーを味わっていただく機会を提供させていただくことにしたのです」
別の試みとしては、21年、25年そして30年のアルコール度数を引き下げるという決定がある。トッシュとクレイグはこの決定に尻込みはしていない。デイヴ・ブルームと私に新商品に向けての判断を行うためのテイスティングさせてくれただけでなく、オリジナルバージョンとの直接比較もさせて貰えたことは幸いだったと思う。しかし実のところエドリントンは少しばかり度数を引き下げざるを得ないのである。
「かつては多くの強い度数の古い樽に助けられてきたのですが」と、ジェイソン・クレイグが説明した。
「しかし現在の私たちの状況では、強い度数のウイスキーを充分な量だけ用意することが難しくなってきたのです。度数を下げることによって、より多くの出荷をすることができるようになります」
刺激的で特別なハイランド パークへの需要を意識して、チームはまた「特別豪華」モルトも用意している。例えばヤーッタ(Hjarta=スウェーデン語で”ハート”という意味である)ボトルがある。これは蒸溜所とスウェーデン市場でのみの発売となる。カスクストレングスの12年モノである。ビンテージボトリングシリーズもある(最初の2種は1964年と1968年のものである)。各年ストックの量に応じて600から2,000本のボトルがリリースされる。
そして、ハイランド パーク50年のリリース。ハイランド パークにマッカラン、ダルモアそしてグレンファークラスと同じような重みを持たせようという試みだろうか? おそらくは。
「総力で取り組んでいます」とジェリー。「出来映えに確かな手応えを感じていますし、その時が来たとも思っています。そしてハイランド パークを台北のセンターステージに置いたときに、会社として私たちの意志を示せると思っています。スコットランド人のわずか1%がオークニーを訪れるだけですが、台北101のショッピングモールには毎日1万人が訪れます。私たちはそこでハイランド パークの展示を行います。蒸溜所のレプリカを用意してピートとピートの煙を炊き、そして台湾の最も有名なモデルを招待しました。台湾は重要な市場です。ハイランド パークはそのなかで主要な役割を勤めるのです」
どうやらエキサイティングな時代がやってきそうだ。ハイランド パークは栄光に包まれているところである。
しかし新しい商品たちは受け入れられ、不動の地位を築けるのか。いずれ分かる。プディングだって食べてみなければ出来は分からない……
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