ルネサンスの男・ビル博士【後半/全2回】

June 29, 2013

本サイトのいたる記事にその名を連ねるビル・ラムズデン博士。彼が巻き起こす革命は業界を席巻する可能性を持っている。
Report:デイヴ・ブルーム

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先ほどまで、グレンモーレンジィアードベッグについて真剣に語り合っていたのだが、どういうわけか、話題は無名のスコティッシュバンドたちへと移っていった。
私がChou Pahrot(70年代の風変わりなックバンド)の名を挙げると、ビル・ラムズデン博士Abandon Your Head(「頭なんて捨てちまえ」という意味)の名を返して来た。それはウイスキー革新者の名前としてはぴったりだと言うと、彼は笑った。
「スコッチウイスキーの革新は容易じゃないね。なにしろ厳しい法律があるし。まあその法律がある理由も理解はしているけれど、慣習に縛り付けられているだけではいけないと思う。様々な樽によるフィニッシュと、チョコレートモルトの利用だけが過去20年にウイスキー業界で行われた革新だということもできるだろう。それらもとっくに昔の話さ」

「そして、今の我々はこの世界でまだ試みられていない事に挑戦しているんだ」

それってSWA(スコッチウイスキーアソシエーション)【SWAが示す姿勢を参照】と衝突するんじゃ?

「間違いなく。もしシグネットがチョコレートモルト100%だったら、既にそこで衝突していた筈さ」
それから彼は10樽ばかりのグレンモーレンジィをブラジルチェリーウッド樽に詰め替えたときの顛末を話してくれた。
「私はそれをザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(The Society)への説明用に詰め替えたのだけど、1週間もしないうちにSWAから手紙がやって来た。
『その行為が合法ではないことをご理解なさっていることを望む』と書いてあったね。すぐに返事を書いて、私はそうは思わないと述べたよ。ついでに私はウイスキーを退屈なままにしておく技術を追求している訳じゃないんだ、と書き添えたな」もしそれが効果を発揮していたらどうなっていただろう。

彼はただ微笑んで、一番新しいグレンモーレンジィ エクスプレッション(PX=ペドロヒメネスカスクでフィニッシュしたもの)をグラスに注いだ。レーズン、蜜蝋、トンカ豆、金柑、そしてブラックバナナがジンジャーのフィニッシュとバランスをとって混ぜ合わされている。これも悪くない。しかしフィニッシュは肯定的な革新であると同時に、災いの飛び出すパンドラの箱でもあり得る。ビル博士…あなたはパンドラなのだ。

「革新と呼ばれる行為の背景となる哲学は、いずれも強固なものであったけれど、しかし私の見るところこれまでも極端すぎるものに走った会社もひとつふたつ見受けられる。またあるものは単に馬鹿げているだけの変わった用語を提案しようとしていた」

もちろん、数えきれない位の、貧弱でぞんざいにつくられた試作品も世の中にはあったのでは。熟成の足りなさをフィニシュカスクでごまかそうというような?

「これまで本当にひどいものをひとつふたつテイスティングしたこともあったけれど、愚かで良心に欠けた人が不完全なものを生み出すことはなくならないだろうね。私なら本当に良いものだけを選びとって、それ以外はボトリングしないのだけれど

なにか他に秘蔵のものは?

「1度だけすべての手駒を会社に見せた事があったな」、と彼は笑う。「次の革新のために働いているけれど、そいつはおそらく5年から10年はかかる仕事なんだ。考えてみて欲しい。シグネットは24年かかったんだ!

革新のプロセスを支える品質が不景気で押さえられてしまうということはないだろうか? 産業全体では樽の品質を上げるのではなく、より品質の劣る樽が使われつつあるという議論が出ているが。

「我々が樽に対してとっているスタンスを、他の人々も真似てくれるものと楽観的に考えていたのだけれど、景気の後退と生産量の上昇によって、世の中では思ったよりも多くの『劣った樽』が使われている。これは将来に向けて問題を積み上げているようなものだ。我々は会社の理解のもとで、バーボン樽の購入数量を増やしているところだ。品質に対してはきちんと投資を続けている」

アスターの樽、商品の再構成、シグネットそしてアードベッグのルネッサンスは旧経営の下では不可能だったと思われるが、それはフラストレーションの溜まる経験だったか?

「もちろん。我々は皆ブランドを進めて行くべき方向を知っていたからね。モエ・ヘネシーはドアの錠を開けるための鍵だったのさ」

こうしたことはみなフランス人主導で行われているという噂もあるが?

「もちろんそうした要素もある。しかしこうした革新はすでに何年も前に始まっていたものだ。ということで、フランス人が我々の手をひいて導いてくれたわけではない。実際にはポケットに深く手を差し込んでくれているのさ。そうした(金は出しても口は出さない)やりかたこそが最も主要な貢献だね。本当に良い事だよ」

スコットランド人の二重人格同士の戦いは会社自身にもかつて見られた。
シングルモルトの会社にも関わらず、高級プライベートブランドを生産する部門も持っていたのである。そして本体のモルトは、その部門によってロスリーダー(コストを下回った価格で安く売り、他の利益率の高い商品へと誘導することを狙った商品)として扱われていた。商品のラインナップが再構成されると、それに続く数ヵ月の間英国内ではグレンモーレンジィのオリジナルを10ポンド引きで買う事ができたのである。
タイミングはこれ以上ない位に悪かった。会社がプライベートブランド部門とグレンマレイを手放したときにも必然的にディスカウントが行われたのである。グレンマレイは今や世界的な高級ブランドで、単なるスコットランドのベストセラーモルトではない。このことは心理的に大きな転換であった。贅沢とウイスキーの関係は必然であるのか否かといった疑問を引き出して、やがてさらなる金持ち趣味の議論へと移り、液体の話はおざなりになって行った。

我々はウイスキーディスティラーであってファッションハウスじゃないぞ、という自覚を失う訳には行かないさ。ゲランじゃなくてグレンモーレンジィなんだ。そしてスコッチウイスキーをつくっているのさ」スーパーノバを注ぎ、息を吸い込みながら彼は微笑んだ。この“科学者ビル博士”“ウイスキー愛好家ビル”の間の創造的な緊張感が私を魅了するのだ。

「1980年代を振り返ると、白いコートを来て、気持ちよいポスドクの世界でぬくぬくと働いていただけだったな。そしてウイスキーがやって来たんだ」彼はグラスを啜る。「科学は全てを白か黒かで説明しようとする。しかし事物をさまざまな方向から眺めるような創造性も持てたら素晴らしいことなんだ。創造性が様々な選択肢を広げてくれる、科学と同様にね」

空港に向かう途上でも、スーパーノバは口の中にずっと残っていた。大きく、力に溢れ、ヤチヤナギ、塩、保革油、チリとタール、広大で複雑な矛盾するフレーバーたち……素朴で優美、荒々しくそして精緻。

おそらくそれはビル自身に似ているのだろう。ビル・ラムズデンの精緻さ、話し方や、服装の趣味、複雑な化学を説明する際の忍耐強い姿勢に似た部分が。しかし常に別の側面も存在する。興奮して叫んだり、笑い好きだったり、くだらないことが好きだったり、なんといってもウイスキー愛好家でありギャンブラーだ。

Abandon Yer Heid?(頭なんて捨てちまうか?)。Aye(もちろん)、でも冷静に。

まったくもってスコットランド人だ。

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