201年目の飛躍 ジュラ蒸溜所
ジュラ島でただひとつの蒸溜所は、ウイスキーづくり200周年を祝ったばかり。伝統を受け継ぎながらも大胆な変化を求め、強力なポートフォリオで新しいファン層を獲得している。アイラ島のライバルたちに堂々と対峙する、生まれ変わったジュラの未来を占う。
文:ドミニク・ロスクロウ
ウイスキー製造200周年を迎えた2010年は、アイルオブジュラ蒸溜所にとって変革の年であった。もちろんこの蒸溜所は何世代にも渡って成熟したウイスキーをつくり続け、モルトウイスキーの出荷量も充分。すでに知名度も高く、経営状態も良好だった。しかしスタンダード品の「ジュラ10年」は、ちょっと不本意なポジションにいたことも否めない。つまり一般的にはかなりの支持を集めているものの、コアなウイスキー愛好家から見ればやや平凡で、同業者たちから真の愛着や尊敬を勝ち得ているわけではなかったのだ。
しかしそんなイメージも、今では過去の話となった。ジュラにはこの数年で劇的な転換があったのである。オーナーであるホワイト&マッカイは旧来のやり方を一新し、蒸溜所の大改造を完遂した。昨年、ジュラは2世紀に及ぶモルトウイスキーづくりの締めくくりとして、「良質な味」というテーマに的を絞ったポートフォリオを生み出した。おそろいの衣装でお披露目された新しいラインナップは、見事に成功を収めている。蒸溜所マネージャーのウィリー・コクランは、嬉しそうにその成果を語る。
「かつてのジュラ10年がいまひとつ好みではないという人はたくさんいたので、まだ変化に気づいていない人もいると思う。でもアイラ島とジュラ島を結ぶフェリーを運行しているアイラ島の住民から、『おいウィリー、君がいったいジュラ10年にどんな魔法をかけたのかわからないけど、今はあれ以外のウイスキーを飲まなくなったよ』と言われたんだ。現在のジュラ10年に使っているのはバーボン樽のモルトだけ。以前よりさらに良質なウイスキーをつくるようになったことを、消費者が証明してくれている」
変わったのは「10年」だけではない。麗しき「16年」。軽くピートを施した折衷的な「スーパースティション」。創業200年を記念した素晴らしい「21年」。そして一連のカスクストレングスのシリーズである「ブティックバレル」。さらにアイラモルトよりアイラらしいと評判の「プロフェシー」。洗練されたパッケージに包まれた新顔たちは、みな驚嘆を持って迎えられたのである。
海峡の向こうはアイラ島
200年の伝統があるとはいえ、アイルオブジュラ蒸溜所の歴史は決して順風満帆ではなかった。蒸溜所が初めて1810年に創設されたときの名前は「スモールアイル蒸溜所」。創設から21年後に、ようやく「アイルオブジュラ」を名乗るようになった。その後は順調に蒸溜を続けていたが、1901年に閉鎖されて取り壊しの憂き目に遭い、1963年まで当地でウイスキーのスピリッツ製造を休止したという過去もある。
波瀾万丈の歴史を経験した蒸溜所は、現在4つのスチルから年間2,200万ℓのウイスキーを生産している。洒落た新しいパッケージが新しいファンの心をつかみ、過去最高の経営状態を維持して注目を集めているのだ。
現在のジュラは、多様なスタイルのモルトウイスキーを生産しようというスコッチ業界全体の取り組みを自ら体現している。島を訪れる唯一の方法は、ジュラ海峡を行き来する小さなカーフェリー。アイラ島とジュラ島を隔てるこの海峡は、潮の流れが速いことでも有名だ。そのため大型トラックで麦芽を運び入れ、なおかつモルトスピリッツや産業廃棄物を運び出すためのコストは甚大であり、いつも経営者の悩みの種だった。しかし不平を言っても切りがない。これからは魅力的なウイスキーをいかにして世界市場に供給し続けるかという、より大きなテーマに向かって知恵を絞っている最中である。
増え続ける訪問者
新しい船出の成功に、島中が活気づいている状況をコクランは嬉々として説明する。
「ジュラ島の住民たちは、自ら好んで『16年』を飲む。でも『10年』も驚くほど好調で、新しい『プロフェシー』もたくさんの愛好者を獲得した。この島では、今までピートの利いたウイスキーは飲まれなかったんだ。この1本をつくったお陰で、強力なポートフォリオができたよ」
高まる需要に追いつこうと、蒸溜所は今年の休暇を例年の4週間から2週間に減らした。コクランとスタッフたちは、昨年同様に大勢の来訪者を見込んでいる。昨年は6,500人の来客があった。グレンフィディックなどに比べたら大した数字ではないと思われるだろうが、この島に到達するまでの距離や、アイラ島とジュラ島を結ぶ小さなカーフェリーの運行頻度、蒸溜所へのアクセスの悪さなどを考えると、まさに驚異的な来客数であることは間違いない。コクランは蒸溜所観光への期待に夢を膨らませている。
「僻地にあることを逆手にとって、利用している面もあるんだ。ここまでわざわざやってきてくれる人たちのために、精一杯の努力をしているのはそのためだよ。ツアーは無料だし、来訪者全員にウイスキーを用意している。宿泊してジュラ島民の仲間入りをすれば、ホテルで楽しむ1杯も蒸溜所からのサービスだ」
大自然の神秘と共に生きる
35年前にグラスゴーを後にしたときは26歳。以来、コクランはずっとこの蒸溜所で働いてきた。昨年の創業200周年でさらに高い目標を掲げ、またとない機会の到来を感じている。長い冬を乗り越え、この蒸溜所の運命がまた前進する期待に満ちあふれているのだ。コクランは、ジュラ島の魅力がさらに多くのウイスキー愛好家を魅了することを半ば確信している。
「ここはとても特別な土地だ。冬はやや寒くて荒涼とするけど、それでも朝起きると海から太陽が昇り、ジュラ島のシンボルであるパップス山脈の向こうに沈んでいく光景を見ることができる。朝には車も走っていないし、静寂の中で鳥の歌声が聞こえるだけだ。息子はグラスゴーでジャーナリストをしているけど、よく故郷を懐かしがっているよ。彼はジュラについての本を書きたがっているんだけど、実現すればいいね。この島は魔法のように魅惑的なんだ」
ジュラ島の魅力は、まさしくコクランの言葉通りである。そしてこの島は堂々たるウイスキーをいくつも産出している。今年のフェスティバルでは、さらに新しいシングルカスクが瓶詰めされ、ジュラの名声をまた一段と高めることになるだろう。
歴史は塗り替えられ、未来へと続く。200年の節目を越え、新しい一歩を踏み出したばかりのアイルオブジュラは、いま創業以来最高の栄華を謳歌している最中だ。