デイヴ・ ピッカレルを偲んで【前半/全2回】
文:ジム・レゲット
デイヴ・ ピッカレルが亡くなった。訃報が届いた時は呆然とし、しばらく信じられなかった。つい数日前にインタビューしたばかりなのに。現実を受け入れるまでに時間がかかった。
ニュースやSNSには、哀悼の言葉が次々と寄せられていた。ウイスキー界の大御所、小規模のクラフトメーカー、デイヴが育てたウイスキーブランドの熱烈なファンたち。誰もが知っているロックスターもメッセージを発した。
心のこもった数々のコメントを目にしながら、自分の気持ちをうまく言葉にできずにいた。デイヴの半生について書こうとしたウイスキーマガジンの記事は、期せずして追悼記事となってしまった。
机の上には、発売されたばかりのウイスキー「メタリカ・ブラッケンド」が置かれている。ボトル1本ごとにデイヴがサインした特別限定品だ。メタリカの公式なコメントを読み返してみる。
「友人であり、パートナーでもあるデイヴ・ ピッカレルの訃報に驚いています。メタリカのファミリー一同、信じられない気持ちでいっぱいです。デイヴはメンターであり、仲間であったばかりでなく、メタリカのメンバーでもありました。たくさんのことを教えてもらいましたが、一緒に過ごした時間は本当に短すぎました。大切な親友であるデイヴが旅立ち、大きな喪失感に打ちひしがれています」
生前のデイヴ・ ピッカレルは、「蒸溜所とウイスキー工場は別物だ。私は蒸溜所でしか仕事をしない」と語っていた。アメリカンウイスキー界のジョニー・アップルシードと呼ばれた開拓者。その圧倒的な才能のおかげで、デイヴは業界を超えた有名人になった。サイン入りのボトル、バレル、ナプキンまでが高値で取引されるほどのマスターディスティラーは、この先もう現れることはないだろう。
メタリカとのコラボが生まれたいきさつ
アメリカンウイスキーマガジンが、故人に敬意を表してデイヴの最後のインタビューを掲載していた。そこにメタリカと共同でつくったウイスキー「ブラッケンド」の裏話が語られている。
「基本的には、バンドからの依頼だったんだ。アーティストからアーティストへの共演依頼だ。目標は、ファン層にマッチした味わいのウイスキーをつくること。ウイスキーと音楽、両方の世界で認められるような、価値あるウイスキーをつくってほしいと頼まれた。そこで私からも要求した。ウイスキーができたら、それが本当に価値のあるものなのかどうか、真心から奇譚のない意見を交換する場を設けてほしいと。最後にバンドから正式な許可が降りて、『ブラッケンド』が誕生したんだ」
メタリカには17世紀のフォークソングをロックにアレンジした「ウイスキー・イン・ザ・ジャー」という曲がある。今思えば、あの曲はロックバンドがオリジナルのウイスキーをつくるという構想のきっかけになっていたのかもしれない。
この待望のウイスキーが生まれた背景を辿っていくと、さまざまな人生の物語に行き着くことになる。魔術師マーリンのような錬金術。巨大なモラー社製のパイプオルガン。クラシック音楽も一役買っている。
デイヴ・ ピッカレルには、実にさまざまな顔があった。名門ウエストポイント陸軍士官学校で学んだ士官候補生。化学の教授。無類の音楽愛好家。そしてもちろん、メーカーズマークや数多くのクラフトディスティラリーで活躍した稀代のマスターディスティラー。生前、サンフランシスコへ向かう飛行機の中で、ウイスキー業界に入ったいきさつを聞けたのは幸いだった。
陸軍士官学校の巨大オルガン
メタリカと親交を結ぶ以前より、デイヴ・ ピッカレルは音楽に造詣の深い人物だった。音楽でウイスキーを熟成するという画期的なアイデアは、若い頃の音楽体験がもとになっている。
名門ウエストポイント陸軍士官学校の士官候補生となり、化学と原子力工学を専攻したデイヴ。アッシャー&アコライト協会という教会関連のサークルに入っていたので、よく陸軍士官学校のチャペルに入り浸っていた。そこでオルガン奏者のデイビス博士と友達になったのだという。
「ある日曜日、教会の礼拝が終わった夕方にデイビス博士から呼び出された。『いいから黙って聴いてくれ』と演奏してくれたのが、バッハの『トッカータとフーガニ短調』だった。あの名曲を、電気など使わない壮大なオルガンの音で見事に弾いてくれたんだ。『この音を味わってくれ。この和音は、本当はこういう風に鳴らすんだ』ってね。低音がチャペル全体に響き渡って、ステンドグラスの窓が震えていた。本当に感動で立ちすくんだね」
デイヴは熱っぽく回想してくれた。ウエストポイント陸軍士官学校にあるモラー社のパイプオルガンは、1911年に製造されて教会に設置された。874個のストップで23,236本のパイプを制御するという壮大な楽器だ。広い音域と鮮やかな音色のおかげで、すべてのパイプオルガンの祖と目されている。
「内臓に響いてくる振動を、はっきりと感じられるオルガンだ。反響があまりにもパワフルだから、ずっと鳴らしておくと建物にヒビが入ってしまうほどの楽器だよ」
天にも舞い上がるようなバッハの音響や、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」のフィナーレに感動した日々。当時はこんな体験が、メタリカの音楽で熟成したウイスキーに結実する日が来ようとは、デイヴも予想だにしていなかったであろう。
(つづく)