海を超えたケルト文化への誇りを胸に、フランス独自のテロワールを表現するケルティックウイスキー蒸溜所。ブルターニュの旅情が、1杯のウイスキーに宿っている。

文:マルコム・トリッグス

 

ケルティックウイスキー蒸溜所で蒸溜責任者と熟成責任者(セラーマスター)を兼ねるアエル・ゲランは、ブルターニュ出身者としては珍しくコニャック業界で経験を積んできた人物だ。親会社となったメゾン・ヴィルヴェールの創業者ジャン・セバスチャン・ロビケについて語ってくれた。

「ジャン・セバスチャンと私は、完全に同じビジョンを共有しています。私を採用するときも、フレンチウイスキーの代表ブランドになることを望んでいました。私たちは互いにアイデアを補完しあっています。私の役割は、技術的な専門知識と短期的なビジョン。ジャン・セバスチャンは長期的な戦略的ビジョンで物事を進めています」

蒸溜と熟成を管轄するアエル・ゲラン。コニャック業界で経験を積み、ブルターニュのテロワールを生かしたウイスキーづくりを実践している。

蒸溜所から海岸沿いを少し歩くと、岬の突端に蒸溜所の貯蔵庫がある。屋内では樽が土の上に2段組で積まれており、鉄板の壁、空気の匂い、ウイスキーの味わいなどに独特なテロワールを感じる。

海沿いという熟成環境だけでなく、試飲したサンプルの多くには豊かな穀物の香りと独特のクリーミーなテクスチャーがあった。かすかな塩気と相まって、あえていうならバターを塗ったブリオッシュやマイルドな山羊のチーズのような印象も感じられる。

創業者がアイラウイスキーに傾倒していたから、ブルターニュにあるケルティックウイスキー蒸溜所はピートへの関心が高い。生産されるウイスキーの大半が、ピートの効いたスモーキーな味わいだ。

その代表がフラッグシップ製品のシングルモルト「コルノグ」(ブルトンで「西風」の意味)である。その他の主力製品には、ノンピートのシングル モルト「グランアーモー」(同じく「海辺」の意味)、最新の 「グワラーン」(同じく「北西風」の意味)がある。また蒸溜所のモルトウイスキー、ドイツ産のライウィスキー、アイラ産のモルトウイスキーを独自にブレンドしたユニークな製品「ケルティックウィスキー ブレンド」も発売されている。

蒸溜所の独自性について、アエル・ゲランは語る。

「ケルトの世界観をさまざまな形で表現しています。私たちは、世界最高のウイスキーを目指している訳ではありません。本流とはどこか違うもの、多かれ少なかれフランスらしさを感じさせるもの。スコッチとは異なるスタイル、独自に受け継がれた専門知識、そして何よりも味わった人に他のウイスキーとは一線を画した味わいを実感していただくのが目標です」
 

海が育てたウイスキー

 

貯蔵庫の向かいには、レ・ブショー・デュ・シヨン・タルベールという会社がある。オーナーのジョエル・ジュケルが手掛けるのは貝の養殖だ。倉庫で次々と貝が選別され、コンクリートのタンクに割り当てられる。何年もかけて育てられた貝は大西洋の海中に移され、最終的には収穫されて世界中に流通することになる。

スチルに刻印された蒸溜所のシンボルは、ここブルターニュに色濃く残るケルト文化を表現している。

牡蠣とウィスキーの相性の良さは有名だ。私もそれを否定しようとは思わない。しかし今回ジョエルが提供してくれたのは、英国でよくある気取った牡蠣とウィスキーのテイスティングではなかった。

テーブル上の食器には氷が盛られ、その場で養殖された新鮮な牡蠣を手渡される。これは試食ではなく、ジョエルとアエルの習慣だ。毎週金曜日の夜に、友人たちとブルターニュ人のアイデンティティを祝う儀式なのだとアエルは語る。

「ブルトン(ブルターニュ人)であること。それは海に向かい、毎週日曜日に市場で新鮮な牡蠣を求め、夜にはケルト音楽を楽しむことです」

ジョエルとアエルの仕事には、長い時間がかかる職人技という明確な共通点がある。だがもっと重要なつながりは、このテロワールを共有していることなのだとジョエルが力説する。

「海のすぐそばで生きているということが、私たちの存在を定義しているんです」

ジョエルとアエルの仕事は、どちらも水、天候、風などに左右される。この岬は水産業の特区であり、海洋関連事業のために確保された土地だった。ケルティックウイスキー蒸溜所がここに貯蔵庫を構えているのは、地元の役人がウイスキーを海洋産業の一種であると認めたからなのである。

ブルターニュの旅は、パインポールというコミューンで締めくくろう。かつてアイスランドやニューファンドランドまで航海するタラ漁師たちの港として賑わった古い漁村だ。夏場は観光客で賑わうが、冬になると静まり返る。

ニューメイクスピリッツの度数を検証中。職人気質の人々が多いブルターニュは、もともとウイスキーづくりにぴったりの素地があった。

鏡のようなマリーナの水面には、ヨットが上下対称に映っている。それは海の底に広がる別世界のようでもあり、隔絶されたブルターニュらしい風情を感じさせる。

ブルターニュの人々は首都パリに背を向け、いつも海の向こうに目を向けてきた。そして今夜も、眠たげなパインポールの村の灯りの向こうでは、波のうねりに乗った牡蠣の袋が灯台の光に照らされている。

魔女のモルガン・ル・フェは、この海峡を渡ってコーンウォールに住む異父弟のアーサー王に会いにいったという。そんな伝説を生んだのも、何十億もの小石でできたシヨン・ド・タルベールの魔術的な地形に違いない。この海に含まれる果実のような塩は、風に乗って何千エーカーもの沿岸湿地帯を渡り、パン、バター、キャラメル、ウィスキーなどのブルターニュ名物に沈殿している。

ものづくりが盛んなブルターニュは、職人が多い土地柄だ。職人的な産業だけでなく、精神的な意味でもクリエイティブな人々を輩出してきた。ビートニクの作家ジャック・ケルアックは、「海の魚はブルトンを話す」と書いた。自分の先祖がブルターニュ人であることを知って狂喜し、「すべての道がローマに通じているなら、すべての海は最終的にブルターニュに通じる」と信じていた。

パリからの列車が境界線を超えてブルターニュに入るとき、私はいつもケルアックの言わんとすることが理解できたような気がするのである。