ケンタッキー州バーズタウンの蒸溜所を1996年に消失し、廃業目前にまで追い込まれたヘブンヒル。今だからこそ、奇跡の復活を振り返る2回シリーズ。

文:アンドリュー・フォークナー

 

あの28年前の大事件も、他業界、他州、他国の人々にとっては遠い世界のニュースに過ぎなかったかもしれない。だがケンタッキー州の住民、とりわけバーボン業界関係者にとっては、今なお忘れることなどできない。

それは1996年にヘブンヒルを襲った大火災だ。物心がつく年齢のケンタッキー州民なら、テレビであの悲惨な映像を見たときに自分がどこにいたかを覚えているものだ。あれほど有名な火災だったのに、ヘブンヒルが苦境から立ち直っていく過程については、なぜかこれまであまり語られてこなかった。

運命の日に時計を戻そう。あの1996年11月7日、バーズタウンは季節外れの暖かさに包まれていた。強い低気圧が通過中で、雷雨と時速80kmの突風に見舞われた。

火災の日を回想するヘブンヒルのマックス・シャピラ会長は、1935年にオールド・ヘブンヒル・スプリングス蒸溜所を設立したシャピラ兄弟の息子であり甥である。

バーズタウンの蒸溜所を焼失した1996年11月7日。強風に煽られた炎に7棟の貯蔵庫が焼け落ちた。

「いつもと同じような日で、何も変わったことはありませんでした。いつものように、オフィスでそれぞれ受け持ちの仕事に取り組んでいる平凡な日でした」
その平凡な日が、突然一変したのは午後2時頃のことだった。

「私は貯蔵庫などの施設を見下ろす2階のオフィスにいました。すると誰かが『貯蔵庫から煙が出ている』と言うので、『何だって?』と窓に駆け寄ると、もくもくと煙が立ち上っています。すぐに玄関から階下に降りて、何が起こっているのか確認しようとしました」

蒸溜担当者のクレイグ・ビームは、すでに無線機を持って外に飛び出していた。従業員に貯蔵庫を閉めて避難準備をせよと伝えているところだった。貯蔵庫の電力も遮断するように命じた。

だがそれから数分もしないうちに、くすぶっていた貯蔵庫が炎に包まれる。貯蔵庫はどれも木枠に樹脂の波板を張った構造で、1棟あたり約2万本のウイスキー樽(容量240L)が貯蔵されている。内部は熟成環境を最適化するため、樽の周辺は風通しが良い構造なのだとシャピラは説明する。

「木造の倉庫で、樽にはアルコール度数約65%の液体が詰まっています。つまり貯蔵庫全体が、絶好の火種でもありました。最初に火が出た貯蔵庫は、猛烈に燃え盛っていました。空中に火花が舞い、そして運悪く風がとても強い日だったのです」

隣の貯蔵庫の屋根にも火の粉が降りかかる。シャピラによると、建物の屋根も油分の高い建材を使用していた。そのため貯蔵庫から貯蔵庫へ火が燃え移る絶好の燃料となってしまった。強風は火花を運び続け、あらゆる木片に引火した。

「隣の貯蔵庫が燃え上がり、さらに別の貯蔵庫からも火の手が上がる。気づくとまた別の貯蔵庫にも燃え広がっている。建物が火の勢いで倒壊すると、ウイスキーの樽が転がり出て、火のついたまま丘を転がり落ちました。いくつもの樽が、最終的には燃え盛ったまま蒸溜棟にも激突したのです」
 

バーボン史上最悪の火災被害

 
ルイビルのテレビ局「WHAS11」が撮影したヘリコプター映像には、炎に包まれる蒸溜所の様子が映し出されている。嵐の中でも、37キロ離れた地平線の上に炎が舞うのが見える。

ヘリコプターが現場に近づくにつれ、レポーターたちは驚くべき光景を実況し始めた。貯蔵庫内でいくつものオーク樽が爆発し、窓から飛び出しているのが見えたのだ。

突風にあおられた炎は、地上100メートルもの上空に舞い上がった。現場の温度は推定で900ºCにも上るため、消防士たちも火元の100メートル以内には近づくことができない。

ケンタッキー州を震撼させたバーボンメーカーの大火災。ヘブンヒルズの運命はここで潰えてもおかしくはなかった。

蒸溜所のそばを流れるローワン・クリークという名の水路には、燃え盛るアルコールが流れ出してきた。消防士たちは隣接する建物に引火させないよう、それ以上の延焼を食い止めるのに精一杯だった。

地方紙のルイビル・クーリエ・ジャーナル紙は、この火事を次のように報じている。

「125人から150人の消防士が、バーズタウン南部の郊外で炎と格闘した。当局は延焼を防ぐために消防士を長時間にわたって所定の場所で待機させ、蒸溜所が自然に燃え尽きるのを待つことにした」

鎮火するまでの4時間で、400万ガロンのバーボンが焼失した。これは当時の世界のウイスキー供給量の約2%にあたる。消失した7棟の貯蔵庫には、樽を締める金属製のタガが山のように残された。

シャピラの父と叔父が建てた蒸溜所の建物は、無惨にも破壊された。被害額は3,000万米ドル。現在の貨幣価値に換算すると、ほぼ6,000万米ドル(約940億円)と見積もられる。発火の原因は、いまだに究明されていない。シャピラは当時を振り返る。

「気掛かりだったのは、従業員たちのこと。火に包まれた蒸溜所に、仲間の誰かがいなかったのか。でも幸いなことに、怪我人は一人も出さずに済みました。車が燃えたり、いろんな財産が台無しになりましたが、物損だけで収まったんです。あれほど大規模な火災で、誰も怪我をしなかった。それが確認できた安堵の気持ちは、火事よりも強く憶えています」
(つづく)