ヘブンヒルとバーボン業界の絆【後半/全2回】
文:アンドリュー・フォークナー
火災発生の日の夜に、シャピラは会社の将来を決める経営会議を招集した。ボトリングのラインと出荷施設に被害はなく、貯蔵庫も37棟は生き残っている。蒸溜所で働いてきたすべての人々のために、会社が責任を持って仕事を見つけることを決意した。
翌朝になり、経営陣は全従業員を集めて計画を伝えた。ヘブンヒル再建の道のりは遠い。だがこの戦いに、思いがけない援軍が名乗りを上げ始めた。現在ヘブンヒルの会長を務めるマックス・シャピラは当時を振り返る。
「火事から数日後、バーボン業界の競合他社から電話がかかってくるようになりました。みんな『同じような事故が、いつ自分たちに起こってもおかしくはない。今回の火事は、バーボン業界の全員で対処すべきものだ』というような理由で援助を申し出てくれたんです」
ヘブンヒルズの偉大なマスターディスティラーとして知られる故パーカー・ビームは、オーラルヒストリープロジェクト『ケンタッキー・バーボン・テイルズ』で次のように語っている。
「誰もが私たちを助けるために歩み寄ってくれた。みんながヘブンヒルのためにウイスキーを生産すると言ってくれたんだ。そんな約束を言葉通りに実行してくれた」
ジムビーム、ブラウンフォーマン、ユナイテッド・ディスティラーズ(現ディアジオ)、その他の数社が、余剰の生産設備や貯蔵庫のスペースを提供し、熟成されたウイスキーまで供与してくれた。
現在ヘブンヒルのマスターディスティラーを務めるコナー・オドリスコルは、ブラウンフォーマンに入社した2004年当時のことを回想する。
「ブラウンフォーマンに就職したのに、私の仕事の7割くらいがヘブンヒル用のウイスキーづくりだったことを今でも憶えています。こういうライバル企業同士のつながりや友情は、今でもバーボン業界全体に広がっています」
人間関係が濃密なケンタッキーバーボン業界は、ヘブンヒルの火事を身内の不幸のように感じてショックを受けていた。バーボン業界の人々はみな顔見知りで、一緒にお酒を酌み交わしながら情報交換を続けてきた仲だ。ポンプなどの設備が故障すれば、同業者の仲間から借りて急場を凌ぎ、後でお返しをすることも珍しくなかったとシャピラは言う。
「ニューメキシコ、アラバマ、モンタナ、ケンタッキーなどの州では、小さな町の酒屋で最後の1瓶を売るために競い合っているライバルです。でもひとたび仲間が窮地に陥ったら、すぐに助け合おうとする同胞意識がありました。このような関係は今でも失われていません」
ユナイテッド・ディスティラーズは、急遽ルイビルのベルンハイム蒸溜所を整備してヘブンヒルのために稼働させた。シェンリー・ディスティラリーズの買収でベルンハイム蒸溜所を手に入れたユナイテッド・ディスティラーズは、敷地内に最新鋭の蒸溜所を建設して1992年にオープンしていた。その後、ヘブンヒルは1999年にこの蒸溜所を購入することになる。そんな歴史をシャピラは説明してくれる。
「ベルンハイム蒸溜所は長い歴史のある施設で、ヘブンヒルもさまざまな改修を加えながら設備を使ってきました。現在は生産能力のマックスまで稼働させているので、もう増産のためにこれ以上設備を拡張することができないほどです」
バーズタウンで念願の蒸溜所が復活
現在バーズタウンでは、ヘブンヒルズが2年半にわたる計画の末に新しい蒸溜所を建設中だ。計画が予定通りに進めば、2024年後半には開業できるという。オリジナルの蒸溜所(1935年建設)に敬意を表し、名称は設立時と同じオールド・ヘブンヒル・スプリングス蒸溜所となる。
この2億米ドルを投じた蒸溜所は、生産の自動化、効率化、水の消費削減などを通じてサステナブルな機能を徹底させている。保水池は多様な植物の生息地として環境を整備し、ヘブンヒルが1,000本以上の広葉樹(ケンタッキー州原産)を植える予定だ。
オドリスコルによれば、昨年のヘブンヒルはルイビルの蒸溜所だけで3,000万プルーフガロン(約45万バレル)に近い生産量を達成した。新しい蒸溜所では、まず年間で約15万バレルのスピリッツを生産する予定である。長期的な計画では3段階で15万バレルずつ増やし、ルイビルとバーズタウンを合わせて年間で90万バレルという生産量にまで拡張する予定だ。
オドリスコルが特に楽しみにしているのは、生酵母の使用を復活させることだ。これはオドリスコル自身が、かつてウッドフォードリザーブ蒸溜所でヘブンヒル用の原酒を製造していたときに実践済みの方法なのだという。
「酵母はすべてのアルコール発酵をつかさどり、たくさんの香味成分も生み出します。酵母を高度にコントロールできるようになれば、それだけ収率や品質が向上し、生産性が安定してきます。だから生酵母を使わない手はないと思っているんです」
ヘブンヒルのオリジナル酵母が入った容器は、火災後に運よく無傷で発見された。当時の蒸溜技師だったパーカー・ビーム、クレイグ・ビーム、チャーリー・ダウンズの3人が、蒸溜所の焼け跡に入って可能な限りのものを救い出したのだ。木製の階段が焼け落ちていたので、彼らは果物の収穫に使う脚立で2階に上がった。そして冷蔵庫の中に、奇跡的にまだ冷えたまま保存されている酵母を見つけたのだ。
この生酵母のサンプルは培養され、非公開の場所に分けて保管されてきた。その保管場所のひとつが、バーズタウンの酒屋「トディーズ・リカーズ」の冷蔵庫だと噂されている。火災の後は市販の酵母会社がオリジナルの酵母株から培養したドライイーストを供給してきた。それが新しい蒸溜所では、酵母の管理もヘブンヒルの手に戻ることになるのだ。
コナー・オドリスコルは、感慨深げに火災からの復活を総括してくれた。
「あの火災によって、ヘブンヒルは廃業に追い込まれてもおかしくない状況でした。でもバーボン業界が力を合わせて、それぞれできることをやってくれたのです。熟成済みのウイスキーを提供し、貯蔵庫のスペースを解放し、生産設備まで使わせてくれました。そしてご覧のようにヘブンヒルは生き残り、繁栄を謳歌しています」