約1世紀ぶりにウイスキーづくりの伝統が再開するグラスゴーの歴史地区。野心に満ちたクライドサイド蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。

文:ピーター・ランズコム

 

スコットランド最大の都市グラスゴーで、クライド川のほとりに立つ。クイーンズドックの岸壁は、現代のグラスゴーを象徴するモダンな風景に囲まれている。

川の上流には、色とりどりのライトに包まれた音楽ホール「ハイドロ」やスコットランド展示会議センターがある。後者はシドニーのオペラハウスを思わせるノーマン・フォスター設計の建築で、「アルマジロ」の愛称でも親しまれている。

スコットランド随一の貿易港として栄え、現在も多様な文化が行き交う国際都市。クライドサイド蒸溜所は、そんなグラスゴーの魅力を体現した存在だ。メイン写真は、アリステア・マクドナルド蒸溜所長。

その対岸にはグラスゴー科学センターがあり、ガラスと金属で格子を組んだBBCやSTVのテレビ局と向かい合っている。下流にあるリバーサイド博物館の屋根は、心電図検査のようにギザギザだ。

今から150年ほど前、クイーンズドックはグラスゴーにおける国際貿易の中心地だった。ここからウィスキーを積んだ船が出航し、大西洋の対岸を目指したものだ。係留された船と倉庫が立ち並ぶ岸壁があり、行き交う船を見張るように石造りのポンプハウスが建っていた。

そのポンプハウスの建物は、2017年からウイスキーの蒸溜所になっている。ウイスキー製造が途絶えていたグラスゴーで、100年以上ぶりに開業したウイスキー専業メーカー。それがクライドサイド蒸溜所だ。

スコッチウイスキーを代表する輸出拠点でもあったグラスゴーには、かつて数多くのウイスキー蒸溜所が存在した。それが禁酒法によって勢いをそがれ、世界の蒸溜酒産業に不況の波が押し寄せたことでウイスキーづくりの灯が徐々に消えていった。グラスゴーでのウイスキーづくりは、もう過去の物語だと考える人もいただろう。

だがグラスゴーには、今や新しいウイスキーの製造拠点がある。この復活の物語を辿れば、そこには蒸溜所を築いたアンドリュー・モリソン社長がいる。

アンドリューを生んだモリソン家は、何世代にもわたってスコットランドのシングルモルトウイスキーに欠かせない一族だった。モリソン家が営む独立系ボトラー「ADラトレー」のルーツは1868年にまで遡る。
 

スコッチの名家がウイスキーづくりを再開

 
モリソン家は1963年にアイラ島のボウモア蒸溜所を引き継いだ後、1970年にはアバディーンシャーのグレンギリー蒸溜所を傘下に収めた、さらには1984年に下流のクライドバンクにあるオーヘントッシャン蒸溜所も買収した。

そして1989年になると、モリソン・ボウモアにサントリーが資本参加。その5年後、モリソン家は会社の事業をすべてサントリーに売却した。この大きな決断に関わったのが、アンドリューの父のティムと叔父のブライアンだ。

サントリーへの売却によって、ティム・モリソンはADラトレーが保有する原酒のポートフォリオ構築に専念できるようになった。しかしスコッチウイスキー市場が再び成長し始めると、需要が急増して在庫の補充がどんどん追いつかなくなる。

その当時、現社長のアンドリュー・モリソンはカリフォルニアにあるパシフィック・エッジ・ワイン&スピリッツ社で働いていた。ADラトレーにとっては、米国の輸入窓口になる会社だ。シングルモルトスコッチウイスキーの人気が高まる様子に気づき、アンドリューはモリソン家がウイスキーづくりを再開するための準備を始めた。

ウイスキーづくりの名家として知られるモリソン家が、一族に縁の深いグラスゴーで待望の蒸溜所を建設した。ウイスキーファンの期待を感じながら、アンドリュー・モリソンは着実にクライドサイド蒸溜所の生産力を拡大している。

クライドサイド蒸溜所の賑やかなカフェでお茶を飲みながら、アンドリューが蒸溜所建設の経緯を説明してくれた。

「この場所は、ほとんど即決で選びました。クライドサイド蒸溜所は新しいメーカーですが、この場所にはすでに豊かなウイスキーの伝統があると感じたんです。モリソン家はグラスゴー出身で、この街と強いつながりがあります。そして川沿いの場所は、きっと観光客が気に入ってくれると直感しました。ありがたいことに、その直感が正しかったことはもう証明されています」

今年だけでも、蒸溜所は約10万人の来訪者を迎える見込みだ。そのうち5万人から6万人は各種ツアーの参加者で、約80%が海外からの観光客である。市内を巡るバスツアーや、クライド川の河口にあるグリーノックから上陸するクルーズ客のツアーが特に人気を呼んでいる。

新型コロナウイルスの大流行もあって、アンドリューはいったん休止していた観光客誘致を一からやり直すことになった。それでも英国政府による一時支援制度のおかげで、大半のスタッフを雇用し続けることができたという。

同じウイスキー観光でも、ハイランドなどの田舎にある蒸溜所ではビジター対応の欠員補充に苦労している。だが大都市のグラスゴーは、その点で接客経験の豊富な従業員を雇いやすい。アンドリューはグラスゴーらしいホスピタリティ人材の充実に満足の様子だ。カフェの店員でキャリアをスタートさせ、その後にツアーガイドや蒸溜所オペレーターの仕事に就いたスタッフも何人かいるという。

アンドリューが最初に蒸溜所スタッフとして採用した一人が、アリステア・マクドナルド蒸溜所長だ。生まれ故郷のアイラ島で、ボウモア蒸溜所の見習いからウイスキー業界でのキャリアをスタートした人物だ。その後、アリステアはモリソン・ボウモアの重要生産拠点であるオーヘントッシャン蒸溜所の蒸溜所長にまで出世している。

ガラス張りの蒸溜棟は、クライド川を一望できる場所にある。建物に収められているのは、スペイサイドのロセス村でフォーサイス社が製造したポットスチル2基。蒸溜所の建設は2016年に始まったが、 アリステアはその翌年に入社して残りの設備導入を指揮した。当のアリステアが当時を振り返る。

「このプロジェクトに惹かれた理由のひとつは、モリソン家がただ単にウイスキーをつくりたいというだけでなく、プレミアム品質のウイスキーをつくろうという意欲に満ちていたから。世の中に蒸溜所長はたくさんいますが、蒸溜所の立ち上げから携わってチームを作り上げるチャンスはめったにありません。たいへん光栄なことです」

アンドリューはアリステアについて次のように語っている。

「アリステアに会ったときから、完全な自主性がある人物だとわかりました。最高のウイスキーをつくるための手順を教えてくれて、それを中心にビジネスプランを組み立ててくれたんです」

品質へのこだわりとは、まず発酵時間を長くすること。大規模な蒸溜所では48時間が業界標準だが、クライドサイドでは72時間もかける。さらには蒸溜速度を遅くすることだとアリステアは笑いながら説明する。

「製造チームの全員に、この原則をしっかりと教え込みました。みんな受け入れていますよ。金曜日の樽入れ時間を前倒しするため、蒸溜を急かすようなことは決してありません」
(つづく)