首都ダブリンでアイリッシュウイスキーを革新するティーリング蒸溜所。創業者の兄弟に、これまでの成果と将来へのビジョンをたずねる2回シリーズ。

文:マーク・ジェニングス

 

ちょうど今から10年前に、アイルランドのダブリンでは新しいウイスキー蒸溜所の創設が話題を呼んでいた。それ以前に、ダブリンでウイスキーがつくられていたのは125年も前のこと。長い空白期を終わらせ、再び首都でアイリッシュウイスキーをつくり始めたのがティーリング蒸溜所である。

ダブリンでウイスキーづくりを復活させることは、ジャック・ティーリングとスティーブン・ティーリングの兄弟による大胆な挑戦でもあった。ウイスキーをつくるだけでなく、2人はアイリッシュウイスキーの歴史を書き換えようと大志を抱いていたのである。

蒸溜所の創設前から、兄弟の計画は始まっていた。ジャックとスティーブンは、アイリッシュウイスキーに革新をもたらすという明確な目標を掲げ、2012年に独自のウイスキーブランドを立ち上げている。その3年後にみずから蒸溜所を建設し、アイリッシュウイスキー復興の最前線に確固たる地位を築くのである。

ダブリンでウイスキーづくりを復活させることは、かつての伝統に思いを馳せながらまったく新しい歴史を始めることでもあった。メイン写真は蒸溜所を創設したジャック・ティーリング(右)とスティーブン・ティーリング(左)。

当時を振り返りながら、ジャックが口を開く。

「ウイスキー事業に乗り出した頃、まだアイリッシュウイスキー業界は小さな世界でした。ウイスキー業界そのものが、多国籍企業に支配されている状況だと感じていました。まずはそこに新しい風を吹き込みたかった。だからすでに確立された有名ブランドと競合するより、真新しくてモダンなアイリッシュウイスキーのあり方を提案したかったのです」

ジャックとスティーブンは、その生い立ちからウイスキーの世界に深く根ざしていた。父親のジョン・ティーリングは、アイリッシュウイスキーが最も低迷していた1987年にクーリー蒸溜所を設立した人物。そのクーリー蒸溜所は、やがてアイリッシュウイスキー復活の立役者となった。

樽や蒸溜器に囲まれて育った兄弟は、起業家精神と品質への献身を自然に学んでいた。不屈の精神は父譲りだが、最初からウイスキー事業を継続すると決まっていたわけではない。業界に参入したいきさつについてジャックが説明する。

「私はもともと金融業界にいたので、父が働いていたウイスキー業界を継承しようと考えていませんでした。でもクーリー蒸溜所で働いているうちに、自分でも気づかないほどウイスキーに夢中になっていたんです。そしてただ誰かの遺産を継承するのではなく、自分自身の事業を創って残したいと思うようになりました」

ビーム社がクーリー蒸溜所を2012年に買収したタイミングで、兄弟はみずから事業を立ち上げるチャンスが到来したと考えた。しかしそれは決して容易なことではなかったとスティーブンは振り返る。

「クーリーでは多くの苦難も味わって、その失敗が後を引いていました。立ち上げたブランドがうまくいかず、戦略やキャッシュフローについて厳しい教訓を学びました。数多くの失敗を経験しましたが、そのおかげで自分たちのやりたいことと、避けるべきことを峻別するロードマップが見えてきたんです。今度こそうまくやろうと心に誓っていました」
 

伝統を踏まえながら新しい歴史へ

 
ダブリンに蒸溜所を設立するという決断は、地理的な理由だけによるものではない。かつてアイリッシュウイスキー生産の中心地であったダブリンのスピリッツ製造は、20世紀初頭までに衰退していた。当時のダブリンは1世紀以上にわたって、稼働中の蒸溜所がない都市である。だからこそ、ここで事業を立ち上げることにしたのだとジャックが語る。

「ダブリンは私たちの出身地ですが、それよりもアイルランドの首都にウイスキーづくりを復活させることが重要だったのです。そもそもダブリンのウイスキーづくりには多くの歴史があり、蒸溜所のルーツは1700年代にまで遡ります。でも過去を再現するだけでは不満でした。現代や未来の世代のウイスキー愛好家にとって、意味のあることを始めたかったのです」

父が保有していたクーリー蒸溜所でウイスキーづくりの基礎を学んだ。その成功と失敗の経験から、ティーリングの画期的な方針を導き出している。

かつて数十軒もの蒸溜所が存在した歴史あるリバーティーズ地区で、ティーリング蒸溜所は操業を開始した。ダブリンのウイスキー復興の象徴として、瞬く間に注目を集めるようになる。

「ティーリングは、125年以上ぶりにダブリンの町でウイスキーをつくり始めた蒸溜所です。参考にできる前例はなく、完全に未知の領域でした。 ダブリンで蒸溜所の創業許可を申請した人は、1世紀以上もいなかったのですから。建設計画への許可を得るだけでも大変でした」

ジャックも口を揃えて言う。

「ある時、設計チームが蒸溜所を自動車のショールームみたいにしようと提案してきました。自分たちが創ろうとしているものを理解してもらうため、私たちはいろいろ知恵を絞る必要がありました。伝統への敬意を維持しながら、モダンな空間を造ったのもそんな努力のひとつです」

ジャックとスティーブンは、2012年に独自のウイスキーブランドを立ち上げていた。当時のアイルランドでは、ウイスキー市場を数社のグローバルブランドが独占している状態だった。そこで兄弟は革新性と多様性を積極的に取り入れている他国のウイスキーカテゴリーを参考にして、現状を打破するチャンスを見出したのだという。スティーブンが当時の戦略を説明する。

「ウイスキーの世界は変化していました。消費者の好奇心が、どんどん広がっていた時期です。新しいウイスキーファンは、特定のブランドやスタイルに固執せず、アメリカンウイスキーやジャパニーズウイスキーを試してみたり、スウェーデンなどの新しい産地にも目を向けていました。だから私たちもアイルランドから新鮮な発見を提供して、ウイスキーのカテゴリーに深みと幅を加える存在になりたいと考えるようになったのです」
(つづく)