バーボンの伝統を築いた男たち【第3回/全3回】

文:クリス・ミドルトン
ジェームズ・クロウが最高級アメリカンウイスキーの設計者であるなら、エドモンド・テイラーは最高の建築家であり、稀代の興行師であり、ウイスキー業界全体のスタンダードを底上げしたロビイストでもあった。とりわけ1897年のボトルド・イン・ボンド法と1909年のタフト大統領によるウイスキーの定義は、テイラーの熱心なロビー活動によって実現している。
またエドモンド・テイラーのショーマンシップには、ウォルト・ディズニーに先駆けたようなアイデアがたくさんあった。中世のお城を模したエンターテインメントセンターとして蒸溜所を設計し、周囲には82エーカーの見事な庭園を造成した。業界に先駆けて早期から蒸溜所ツアーを実施し、演劇公演を開催し、独創的な消費者向けマーケティングプログラムを主導したのもテイラーだ。 ジェームズ・クロウの後継者として、これほど忠実で有能な後援者は他にいなかった。
だがそんなウイスキーの黄金時代も長くは続かなかった。世紀の変わり目である1900年には、操業中のウイスキー蒸溜所が全米で302軒にまで減少。各州による禁酒条例が強化され、1917年にはさらに198軒にまで減った。このような嫌酒ブームの流れによって、何千人もの熟練した技術者が業界を去ることとなった。そして1917年のレバーフード法によってスピリッツの蒸溜が禁止され、1920年には有名な禁酒法が施行される。
この禁酒法は1934年に廃止されるが、業界に戻ってきた熟練工はほとんどいなかった。ウイスキーづくりには、長い年月の見習い期間と世代間の技術継承が必要だ。だが禁酒法に至る一連の流れによって、そのようなノウハウの連鎖が途切れてしまったのである。
伝統的な訓練を受けたブルーシャツの従業員たちは去り、やがて白衣を着た大学の卒業生たちがウイスキーづくりを担うようになった。近代的な企業文化、最先端の技術、工学と生物学的を活かした合理的な製造工程、大規模な集中生産がウイスキー業界を変えていく。ウイスキーを定義する連邦法などの制定によって、禁酒法後のウイスキー業界は様変わりした。
それはアメリカのウイスキー業界にとって新たな時代の幕開けであった。1936年までに、ナショナル・ディスティラーズ・プロダクツ、シェンリー・ディスティリング、ジョセフ・E・シーグラム&サンズ、ハイラム・ウォーカー&サンズ・ディスティラリーの4社が米国内のウイスキー生産の90%以上を占めるようになった。
そしてナショナル・ディスティラーズが、オールド・クロウを1934年に買収し、翌1935年にはオールド・テイラー蒸溜所も傘下に収めた。同時期に買収した蒸溜所やブランドは他にもたくさんある。ナショナル・ディスティラーズは新しい蒸溜機(新型ビアコラムを備えた近代的な設備)を導入し、新しいスタッフを雇用し、コスト削減のために多くのブランドを中央製造拠点で一括生産するようになった。大企業の寡占時代には、統合、均一化、コスト効率が推進された。
伝承されるクロウとテイラーの理想
このようなウイスキー業界の統合を経験したのは、アメリカだけではなかった。20世紀を通じて、世界の主要なウイスキー生産国はみな業界再編、合併、国際市場への拡大を経験し、その結果として多くの中小蒸溜所が閉鎖されている。さらには1970年代から始まったウイスキー不況により、主要生産国で多くの蒸溜所が休止または転用を余儀なくされた。

スコッチウイスキー業界では、かつて業界の半分以上を支配していた巨大企業のディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL)が主導する形で大幅な経営統合が進められた。このDCLの経営方針は、モルト蒸溜所ごとの特徴的なスタイルを守るために各蒸溜所の運営を分離し、自社のブレンデッドウイスキー製造や他社への原酒販売を促進しながら、従業員への情報流出を防ぐというものだった。
そして1990年代になると、シーグラムが米国、スコットランド、オーストラリア、ニュージーランドでウイスキー蒸溜所の買収と建設を進め、カナダ資本が一時的に世界のウイスキー業界を席巻する。またアイルランドの生産拠点はアイリッシュ・ディスティラーズが所有する2軒の蒸溜所を残すのみとなり、オセアニア地域ではほぼ完全にウイスキーの蒸溜が廃れてしまった。
だが21世紀に入ると、ウイスキー製造の復活と小規模な蒸溜所の建設ブームが到来する。そこに参入してきたのは、家族経営の事業家や個人投資家たちだ。既存のグローバル企業各社も、それぞれ有機的な成長、合併、買収によって拡大していく。新たな企業文化では秘密主義が後退し、ベストプラクティスの共有や次世代への新たな企業バトンの引き継ぎに重点が置かれるようになった。よりオープンな哲学と知識の普及を奨励することで、ウイスキー業界の発展を導いているのだ。
エドモンド・テイラーが隆盛させたジェームズ・クロウ流の先駆的な蒸溜所は、残念ながら禁酒法時代を生き延びることはできなかった。それでも2人の功績は、間違いなく現在のバーボン業界の基礎を築いたと断言できる。今日の新たな企業にもそのバトンは受け継がれ、高品質のバーボンが生産されている。特にバッファロー・トレース蒸溜所(旧オールド・ファイヤー・カッパー蒸溜所)やウッドフォード・リザーブ蒸溜所(旧オスカー・ペッパー蒸溜所)がその好例である。