バーボンを救ったジミー・ラッセル【後半/全2回】

流行にあわせて消えていく者もあれば、変化を拒んで生き残る者もある。ジミー・ラッセルの選択は、ウイスキーブランドが手本とすべき本質を映し出している。
文:ブレア・フィリップス
定番品である「ワイルドターキー 101」を同じ方法で製造し続けるというジミー・ラッセルの決断は、決して頑固さの反映によるものではない。バーボンが低迷していた1980年代にも、ジミーは変化の流れに乗らずに伝統を堅持し続けた。
これは一見すると変化に抵抗するようなふるまいだが、他の分野におけるジミーの革新を多くの人が見落としている。そう指摘するのは、ジミーの孫にあたるブルース・ラッセル(現アソシエイトブレンダー)だ。
「製造工程は変わっていませんが、その過程でジミーは他の多くのことを変革しました。それは良い方向への変化だったと思います」

そして他の蒸溜所が次々と姿を消していく中、ジミー・ラッセルの製品群はバーボン業界の標準としていっそう輝きを放つようになった。
ジミーは「ワイルドターキー レアブリード」や、「ワイルドターキー ケンタッキースピリット」などを発売してラインナップに加えた。特に「ケンタッキースピリット」は、当時ブラントンでしか知られていなかったシングルバレルウイスキーのコンセプトをバーボン業界にも広げた商品である。
このようなジミーのアプローチは、その後のバーボンの高級化に大きく貢献することになった。またバーボンリキュールを市場に初めて投入したのもジミーである。ウイスキーづくりを続けながら、アンバサダーのように世界を旅した。特に日本やオーストラリアをしばしば訪れ、バーボンの風味に魅了された人々にみずからのバーボンを紹介してきた。そんな活動を息子のエディ・ラッセル(現マスターディスティラー)は振り返る。
「当時のバーボンメーカーは、みなウォツカと競うためにアルコール度数を下げたり、レシピを大きく変更したりしていました。そんな時も、ジミーは『いや、俺はやらない』の一点張りです。変えないことが、現在の大きな成長の一因になりました。あのときの判断の正しさが、今ならよくわかります」
しかしそんなジミーの態度が、息子のラッセルは厄介に感じていたこともあったのだという。
「私は自分のやり方でウイスキーを変革してみたいという希望も持っていました。でもジミーに提案すると、いつも『ノー、ノー、ノー』の繰り返し。最初の10年間は、父の『ノー』を聞くたびに自分が否定されているような気分でした。でもやがて、父こそがワイルドターキーのブランドを確立させた人物だと悟ったのです」
ジミーが築いたものを変えてはならない。だがここでも自分の道は切り拓ける。伝統を守りながら、ラッセルは異なる製品を生み出すべく一歩を踏み出した。
「オールドファッションドやマンハッタンを楽しむ男女に、バーテンダーのコミュニティを通して新しい香味のウイスキーを提案していきました。やがて息子のブルースがここで働き始めたましたが、彼には初日から繰り返し言い聞かせています。『私のウィスキーは台無しにしてもいいけど、ジミーのウィスキーを台無しにしたら一生呪い続けるぞ』ってね」
時代に流されない強さ
ワイルドターキーが生き残ることで、バーボンというカテゴリー全体も生き延びたという見方もできるだろう。そして今、ルイビルのバーを訪ねるとさまざまな素晴らしいバーボンが楽しめる。すべては時代におもねらず、大切な品質を堅持したジミー・ラッセルのおかげなのだ。
モハメド・アリがトレーニングしたヘッドライン・ボクシング・ジムは、ボクシングファンにとって聖地のような場所だ。アリが「私を倒そうなどと夢見る暇があったら、さっさと目を覚まして俺に謝った方がいい」と語ったジムである。ジムはなくなったが、跡地にある「クレイトン&クルーム」というレザーグッズ店にはアリのファンが世界中からやってくる。
モハメド・アリの精神は、レザー店のあちこちに反映されている。バーボンコースター、レザー巻きのガラスフラスコ、ロックグラスなど、多様なレザー製品のデザインとして採用されているのだ。
ショップの脇には、「スティッチ」という名の秘密めいたバーがある。バーの名前は、アリのスパーリングパートナーを務めたルデル・スティッチにちなんでいる。ここでは「ワイルドターキー 101」をベースにした絶品のオールドファッションドが名物だ。
店内にはオレンジとレザーの香りが入り混じる。オールドファッションドを口に含むと、柑橘系のオイル香が蝶のように舞い、バーボンのスパイスの刺激が蜂のように刺す。
イーストマーケット地区にあるバー「セブン・カクテルズ+バーボン」では、「ワイルドターキー 101」を使った樽熟成のブールヴァルディエを提供している。通り沿いにあるイタリアンレストランバー「ベッティ」では、オリジナルカクテル「ライ・ナー」(ワイルドターキー 101 ライとチナールアマロを混ぜてチャー済みのオーク樽で4 ヶ月間熟成させたカクテル)を提供している。また「ニート・バーボンバー&ボトルショップ」では、入手困難なワイルドターキーのボトルを味わえる。
ジミー・ラッセルがウイスキーづくりを始めた1954 年に、デターミンという名の馬が第80回ケンタッキーダービーでヘイスティロードを破った。まるでチャーチルダウンズ競馬場が、その後の未来を見通していたかのような大勝利だった。
現在のワイルドターキー蒸溜所には、ジミー・ラッセルの孫にあたるブルース・ラッセルがいる。ジミーの物語は、今でも途切れなく続いている。独自の道を切り開いたジミーは、息子のエディにその魂を受け継いだ。そして今、ブルースはジミーとエディが築いたスタイルに新しいアイデアを注ごうとしている。
新しいトレンドは、移り変わりも早い。だがあえて変えないことで、未来に向かって繁栄を約束できるものもある。ラッセル一族が見守る中で、ワイルドターキーは今後も繁栄の道をしっかりと歩み続けるだろう。