アイリッシュの伝統を照らすボアン蒸溜所【後半/全2回】

文:ガヴィン・スミス
クーニー家の人々は、真に本格的なシングルポットスチルアイリッシュウイスキーを製造すべく努力している。その方針の一部には、失われたアイリッシュウイスキーの伝統復活を見据えた試みもある。たとえば2020年12月におこなわれた実験は、フィンナン・オコナーとのコラボレーションだ。
フィンナン・オコナーはアイルランドの作家で、歴史に埋もれたさまざまなビンテージのマッシュビルを発見したウイスキー史家でもある。彼はボアン蒸溜所とともに、1800年代初頭から20世紀半ばまでに実践されていた10種類のマッシュビルを掘り起こした。そして各レシピを再現し、各2,000リットルのスピリッツが蒸溜されたのである。
この特別なマッシュビルのスピリッツは、シェリー樽、ラム樽、バーボン樽、そして新世代樽(樽材の表面を削って再びトーストしたボルドーワイン樽)で熟成中である。これら10種類のニューメイクスピリッツは5clのミニボトルに入れられ、「ボアン ビンテージ マッシュビル テイスティングセット」として販売されている。消費者として、古いマッシュビルの味わいが実際に比較できるのはとても嬉しい。
ボアン蒸溜所は、2024年の夏に初めてのコアレンジを構成する3商品を発売した。いずれもシングルポットスチルウイスキーで、現在の規制に従ったマッシュビル(大麦モルト40%、未製麦の大麦55%、オート麦 3%、ライ麦 2%)を使用している。それぞれマルサラ樽、マデイラ樽、ペドロヒメネスシェリー樽で4年半にわたって熟成させたウイスキーだ。
このコアレンジの発売にあたって、パット・クーニーは次のように語ってくれた。
「この3種類のウイスキーは、アイルランドが世界のウイスキー市場を席巻していた時代を表現しています。いわばアイリッシュウイスキーをかつての地位に戻す旅の始まりとでもいいましょうか。このプロジェクトを実現できたことに、大きな喜びを感じています」
シングルポットスチルアイリッシュウイスキーこそが、アイルランドでつくられるウイスキーの真髄であるとパットの説明には熱が入る。
「シングルポットスチルは、アイルランドだけの神聖な存在です。私たちボアン蒸溜所のビジョンは、失われたアイルランド各地の蒸溜所たちが築き上げてきた伝統を復活させ、地元の原料を使って歴史的なマッシュビルを蒸溜すること。最新の技術を用いて、アイルランドのウイスキー蒸溜の伝統と未来を融合させるのが目標です」
ボアン蒸溜所でスピリッツの蒸溜が始まったのは、2019年12月にさかのぼる。最初のスピリッツは、それぞれ9種類の樽(新世代樽、ペドロヒメネスシェリー樽、アルマニャック樽、ソーテルヌ樽、モスカテル樽、シャルドネ樽、ボルドー樽、ラム樽、マルサラ樽)に詰められた。サリー=アン・クーニーは、この樽熟成について次のように説明している。
「私たちは50種類の異なる樽でスピリッツを熟成させています。だいたい65~70%がバーボン樽ですが、さまざまな珍しい樽も使用してきました。国外での販売を担当している兄のピーターが、興味深い樽をいろいろ調達してくれるんです」
調達できる樽のなかでも、特に多いのがスペインの樽だ。スペイン南部のJ・L・ロドリゲス社と提携し、100年前に組み上げたボデガ樽も調達したのだとサリー=アンは言う。
「つまり100年前のレシピで製造したウイスキーを、100年前の樽に詰めて熟成したウイスキーということになります。樽にあわせてマッシュビルを調整し、最適な風味プロフィールを生み出しています。フィニッシュで別の風味を足すよりも、マリッジによって複雑な風味プロフィールを構築していくのがボアンらしさです」
アイリッシュの伝統と未来を同時に追求
ボアン蒸溜所には、20人の従業員が勤務している。クーニー家はティペラリー県のクロンメルでもボトリング施設とアイリッシュクリーム(リキュール)の製造施設を運営しており、65~70名の従業員が常勤しているのだという。
このアイリッシュクリームは、「ザ・ホイッスラー」シリーズの一環として販売されている。この「ホイッスラー」(口笛吹き)をいうシリーズ名は、社長のパット・クーニーが作業中に口笛を吹く癖があることから名付けられた。ボアン蒸溜所の「ザ・ホイッスラー」シリーズは、キャッシュフローが乏しい事業の創設期に重要な収入源となり、事業が軌道に乗った現在も人気が衰えていない。
現在のラインナップには、さまざまなカスクフィニッシュを加えたブレンデッドウイスキーや、シェリー樽で熟成させた3回熟成のシングルモルト2種も含まれる。さらに面白いのは「トリロジー」シリーズだ。
このシリーズは、「ダブルオークブレンド」「ビーキーパーズセレクト アイリッシュハニー」「ブレンダーズセレクト アイリッシュクリームリキュール」からなる。特にアイリッシュクリームリキュールは、世界で初めてのシングルポットスチルアイリッシュウイスキーを使用したウイスキーリキュールだ。最近はさらに新製品のブレンデッドウイスキー「トリプルオーク アイリッシュ」もラインナップに加わっている。
サリー=アン・クーニーは次のように述べている。
「2025年の末から2026年の初頭にかけて、カフェ、バー、ビジター体験施設の整備が完了する予定です。いよいよ一般のお客様をボアンにご案内できるようになります。新しい貯蔵庫も建設し、クロンメルにあるボトリング工場を改善するために500万ユーロ(約8億5000万円)を調達しました。貯蔵庫には4つの独立したスペースがあり、それぞれ樽6,500~7,000本が収納できます。さらに新しい貯蔵庫を1棟建設する計画です」
この貯蔵庫で熟成されるスピリッツについて、ボアン蒸溜所のメンバー一同が誇りに思っている。それは「本物のシングルポットスチルアイリッシュウイスキーで勝負している」というワクワクや達成感なのだとサリー=アンは言う。
「私たちは『ソルスティス』 という名前でシングルカスクプログラムを開始しました。直近では2024年のクリスマス向けに、GI 基準に準拠しない製品も開発しています。この製品には1892年に実用されていたボアンのビンテージマッシュビル第1号を使用したもの。大麦モルト30%、未製麦の大麦60%、オーツ麦10%を配合したマッシュビルで、オロロソシェリー樽(ホグスヘッド)で 4年近く熟成させています」
ボアン蒸溜所では、さまざまな風味を強調するために特別製品を発売している。その発売のタイミングは、「ソルスティス」が意味する冬至と夏至の年2回だ。
「現在の需要が極めて高いため、私達は『ソルスティス』のボトルをシングルカスクではなく通常の数量限定商品にする方向で検討しています。ボアンらしく、先駆者としての地位を確立したいという考えからです」
古代遺跡のニューグレンジで、冬至の朝に太陽が差し込む時間はわずか17 分。だがここボアン蒸溜所では、ウイスキーへのスポットライトが消えることはない。最高の伝統を継承したシングルポットスチルアイリッシュウイスキーは、長い年月を超えて再び進化の時代を迎えている。