スコットランドで唯一、薪を燃料にした直火式蒸溜器でつくるスピリッツ。家族経営のモファット蒸溜所を訪ねた2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

どこにでもありそうなスチール製の小さな倉庫。建築工事の現場で、作業員たちが工具を保管するのに使いそうな物置にも似ている。その倉庫に向かって歩き、ニック・バラードがドアを開ける。

室内にあるのは、建築工具ではない。現れたのは、2基の小さな銅製蒸溜器だ。稼働している1基の蒸溜器は、薪を燃やした炎で加熱されている。ここで蒸溜されたスピリッツは、ウイスキーの原酒になるのだという。

こんなにシンプルな構造の直火式蒸溜器は、これまで見たことがない。ここはグラスゴーから南へ約100キロの場所にあるモファット村。スコットランド南部の高地で、歴史ある温泉街としても知られている。

世界的にも極めて珍しい薪を燃料にした直火式のポットスチル(セルビア製)。小型で銅との接触が多く、残存糖分のカラメル化で豊かな香味を生み出す。

モファット蒸溜所のモットーは、「火の力で生み出すウイスキー」。まだ創業間もない蒸溜所ながら、珍しい直火式の初溜器を導入したことで同業他社と明確に一線を画している。実際に、石炭ではなく薪を燃料にした直火式の蒸溜は極めて珍しい。世界を見渡しても、先行事例は日本の静岡蒸溜所ぐらいだ。

この画期的なスコットランドのベンチャー企業を創設したのは、取締役兼蒸溜責任者のニック・バラードである。妻エリンと3人の子供たちを引き連れ、10年前に米国からモファットに移住してきた。

イングランドのノッティンガムで生まれたニックは、物理学の学位を取得した後に銀行業界でコンサルティングのキャリアをスタートさせた。そして1995年からアメリカに渡り、ニュージャージー、コロラド、カリフォルニア、ペンシルベニアと移り住んできた。

そして最後のペンシルベニアでエリンと出会い、2人は結婚することになる。製薬業界のコンサルタントとして世界中を飛び回っていたニックには、自宅でくつろぐような時間がほとんどなかったという。家族の生活を変えるため、夫婦はケンタッキー州でビール醸造所を創業しようかと検討したこともある。だが結局は英国に移住して、モファットで新しい家を購入することになった。

ひなびたモファットの村に定住した後も、ニックはコンサルティング業を継続するつもりだった。だがその考えはすぐに変わったのだと振り返る。

「モファットでの暮らしがあまりにも素晴らしいので、もう世界を飛び回っている場合じゃないと思いました。新しい仕事を始めようと心に決めたのです」

キャリアの転換を図ったニックは、モファットにウイスキーショップを開店させようと考える。だがさらに考えた結果、もっと面白そうなウイスキーのブレンド事業を始めることにした。この判断により、ニックは期せずして長い間途絶えていた家族の伝統を復活さることになった。彼の曾祖父は、ノッティンガムでウイスキーブレンダーとして働いていたのだ。
 

自然の力を借りた製造方針

 
ニックとエリンが設立した会社の名前は「ダーク・スカイ・スピリッツ」である。これはモファットが、ヨーロッパで初めて「ダーク・スカイ・タウン」に認定された村であることに由来する。環境に優しい街灯の設置により、光害が最小限に抑えられているためだ。

モファットに移ってから、初めての自社商品であるブレンデッドモルトウイスキーが2018年に発売された。ウイスキーをブレンドするビジネスから、自前の蒸溜所を設立するのは一大決心に思える。だが当のニック・バラードは「そんなに大きな決断でもありませんでした」と振り返る。

そしてついに設立された蒸溜所で、2023年からジンとリキュールを製造開始。同年の7月にはウイスキー観光客たちをビジターとして迎え入れた。

ニック・バラードの生産方針は、最初からユニークだった。

発酵槽に酵母を投入する創業者のニック・バラード。乳酸菌のはたらきで、エステル香の豊かなもろみに仕上げていく。

「ウイスキーのレシピと風味のプロフィールを定めるまでに、 1 年くらいかかりました。まずは素晴らしいビールづくりから始めたかったのです。そのまま蒸溜するにはもったいないくらい美味しいウォッシュのことです」

原料の大麦モルトはスコットランド産で、クリスプ・モルト社から仕入れている。現在使用している品種はローリエト種だ。マッシュビルは95%がウイスキー用モルトで、残りの5%にヘビリーピーテッドモルト、クリスタルモルト、チョコレートモルトを組み合わせている。この原料の方針についてニックが説明する。

「個人の農家を選んで大麦を調達し、大麦モルトの出自が畑レベルまで追跡できるようにしたいと考えています。そのためにも生産量を十分に拡大しなければなりません。私たちのウイスキーは、香味要素の多くがモルト由来です。だから大麦をコンチェルト種に切り替えたりするだけで、スピリッツの風味も大きく変わってしまうんです」

糖化で得られる麦汁は、バッチあたり300リットルだ。一般的な糖化の水温は63.5℃だが、モファット蒸溜所では65.5~66.5℃なのだという。

「あえてアルコール発酵しきれない糖分を引き出すためです。この糖分が、初溜時にウォッシュスチルでカラメル化されることを狙っています」

容量1,000リットルの発酵槽が5槽あり、それぞれ300リットルの麦汁を入れて発酵させる。発酵時間は気温によって異なり、夏は5日で冬なら8~9日ほどだ。ニックいわく、この発酵槽は熱心に掃除していない。

「発酵槽は洗いすぎないように気をつけています。定期的にゴシゴシこすって、水ですすぐだけ。乳酸菌は私たちの味方ですから」

乳酸菌はもろみに作用して乳酸と酢酸を生成する。これがニューメイクスピリッツでエステルの形成を促進するという考え方だ。

「発酵槽からは、バナナとトフィーの香りが漂っています。もろみのアルコール度数は11~12%とかなり高めになります」
(つづく)