古くは密造酒の産地として知られ、スコッチウイスキーの歴史に埋もれてきたカブラック。新しい蒸溜所の建設で、地域の経済が再生の兆しを見せている。

文:ピーター・ランスコム
写真:ピーター・ジョリー

 

エルギンから幹線道路のA941号線を南へ走ると、間もなく道標にスペイサイドでも特に名高い蒸溜所の名前が次々と現れ始める。マッカラン、グレングラント、ベンリアック、ロングモーン。スコッチウイスキーの紳士録を思わせるリストが、幹線道路に沿って延々と続いていく。ロセス村の南にはクライゲラキへと向かう分岐点があり、ここに新しいウイスキーブランドが加わることになる。その名は「ザ・カブラック」だ。

カブラックという地名は、古くからウイスキー界でひそかに知られてきた。スコットランド北部で生まれ育った年配の人々なら、聞き覚えのある人も多いだろう。そんな懐かしい名前が、今後はさらに多くの人々に知られることになる。

ジョナサン・クリスティ(カブラック・トラスト最高経営責任者)は蒸溜所建設を推進した立役者だ。雇用と収入を増大させ、カブラックの地域再生を目指している。©Peter Jolly

ハイランド産ウイスキーの価格が1823年の酒税法改正によって引き下げる前、カブラックは高品質なウイスキーの密造地として知られていた。歴史家たちが推定するところによると、18世紀にはカブラックの丘陵地に100基を超える蒸溜器があり、人目を避けながらスピリッツを蒸溜していたのだという。

だが一部の地主は、密造に手を染めていた小作人たちに酒造免許の取得を促した。そうやって合法的に運営を認められたのが、トムナーベン蒸溜所、レスマーディ蒸溜所、ブラックミデンズ蒸溜所の3軒だ。これらの生産拠点は、付近の丘が雄鹿のような形をしていたことから、後にまとめて「ザ・バック」と呼ばれるようになった。

だが近隣のスペイサイドで有力なウイスキー蒸溜所が次々に隆盛したことから、販売競争に敗れた3軒の蒸溜所は1851年までにすべて閉鎖されることになった。知る人ぞ知る高品質な密造酒に関わってきた蒸溜技術者たちは、仕事を求めて他の地域へ移住したのである。

現在のカブラックは、人口100人に満たない村だ。かつてはダフタウン南部の谷全体に1,000人を超える住民が住んでいたこともあったが、第一次世界大戦によって人口が激減した。練兵所に蔓延した伝染病で亡くなったり、戦場で敵の爆撃によって命を落とした若者も多かった。働き盛りの人々が消えたカブラックは、生ける戦没者記念碑のような場所としても知られるようになった。

ゆっくりではあるが、そんな過去の物語も新たな章を語り始めている。そのきっかけになったのは、2011年に設立された「カブラック・トラスト」という名の団体だ。衰退した村の経済を再生すべく、雇用と住宅をこの地に創出することで、人々をカブラックの谷に呼び戻す取り組みを進めてきた。
 

動き出した地域再生のプロジェクト

 
カブラック・トラストの創設者は、グラント家の一員であるグラント・ゴードンだ。グラント家はウィリアム・グラント&サンズのオーナー一族である。ウィリアム・グラント&サンズは、シングルモルト「グレンフィディック」や「バルヴェニー」さらには「グラント」や「モンキーショルダー」などの卓越したブレンデッドおよびブレンデッドモルトを擁する。スコッチを代表する企業のひとつだ。

グラント・ゴードンは今もカブラックの谷に自宅を構え、カブラックの学校教師だった曽祖父チャールズ・ゴードン以来、この土地との深いつながりを保ってきた。それがウィリアム・グラントの娘イザベラと結婚したことをきっかけに、ウイスキーを家業とする立場になった。

チャールズ・ゴードンは世界中を旅し、グラスゴー、ロンドン、ニューヨーク、シンガポールなどのさまざまな都市でウイスキーの地位を確立させた人物としても記録されている。各国の市場でウィリアム・グラント&サンズのブランド認知を高め、スコッチというカテゴリーそのものを築き上げた人物だったようである。

グレンリベット蒸溜所でマスターディスティラーを務めたアラン・ウィンチェスターが、ウイスキーの品質を統括する。理想の香味を目指した生産設備の導入を指揮し、新しいウイスキーで故郷に錦を飾る。©Peter Jolly

そんな地域再生の物語の中心には、雇用創出と税収の増加を目的とした開発プロジェクトがある。その目玉事業が、カブラック蒸溜所の創設なのだ。カブラック・トラストは、まず2011年にロウワーカブラック地域のインバーハロック農場と周辺の土地を170エーカーほど購入した。さらに2015年にはエルギンの政府機関であるマレイ・カウンシルから古い小学校、市民ホール、コミュニティセンターの譲渡を受けている。

蒸溜所の建設は計画されたものの、工事は遅々として進まなかった。それが一気に加速したのは、2021年にジョナサン・クリスティがカブラック・トラストの最高経営責任者(CEO)にしてからだ。クリスティは慈善団体「ザ・ウッド・ファウンデーション」で10年間の経験がある。ザ・ウッド・ファウンデーションを創設したのは、石油ガス業界の巨頭として知られるイアン・ウッド卿である。

インバーハロック農場の2年前を思い返すと、そこには風雨が吹き荒れるなかで屋根のない石造りの建物があるだけだった。この場所がウイスキー蒸溜所に変貌する姿は、なかなか想像するのも難しいものがあった。だがある5月の朝に、クリスティは本気で蒸溜所建設の計画に取り組み始める。資金を調達し、糖化槽、発酵槽、蒸溜器などの生産設備が置かれる場所を指示したのである。

そして今春になって、ようやくそのビジョンが現実のものとなった。蒸溜所の建物は、アイル・オブ・ラッセイ蒸溜所やリンドーズ・アビー蒸溜所と肩を並べるほどの見事な景観を誇っている。低層のダンネージ式貯蔵庫も、密造酒で名を馳せた往時の魔法を伝えるかのような風情である。

このビジョンを実現するために、ウイスキー業界の著名人が招集されている。それが地元出身のアラン・ウィンチェスター(グレンリベットの元マスターディスティラー)だ。蒸溜所とスピリッツのスタイルを設計したのは、このウィンチェスターである。そしてスコッチ業界を代表する銅機器メーカーのフォーサイス社が製造設備を制作した。リチャード・フォーサイス・シニアが、伝説的なロセス村の工房ですべての機器をしつらえたのだ。

アラン・ウィンチェスターは、農場の建物を蒸溜所に再生した経緯について次のように説明している。

「新しく創設される蒸溜所の多くは、生産設備を設置しやすい空っぽの倉庫を再利用しています。これはいわば新品のキャンバスのように、設備の配置を自由に決められる利点があるから。でも私たちはカブラックに残されていた建物の風情が気に入ったので、その古色を損なうことなく改装したのです」
(つづく)