アイル・オブ・アランの30年とウイスキーの未来【前半/全2回】
創立30周年を迎えたアイル・オブ・アラン・ディスティラーズから、マネージングディレクターのユアン・ミッチェル氏が来日。これまでの道のりと未来への展望を訊ねた独占インタビュー。
聞き手:ステファン・ヴァン・エイケン
ウイスキー業界で働き始めたきっかけは?
エディンバラ大学で、スコットランド史を学びました。卒業後の計画も特にありませんでしたが、地方新聞の「ザ・スコッツマン」で、ウイスキー販売の研修生を募集する求人広告を見つけて、面白そうだと思ったんです(新聞の求人広告なんて、いま思えば懐かしいですね)。雇い主はウィリアム・ケイデンヘッド社(J&A・ミッチェル社傘下)で、そこからキャンベルタウンやスプリングバンク蒸溜所との縁が始まりました。ケイデンヘッドには7年にわたって勤務し、業界のあれこれを学びながらシングルモルトの販売活動で世界中を旅しました。
アイル・オブ・アラン・ディスティラーズに入社した経緯は?
アイル・オブ・アラン・ディスティラーズは、いくつかの国外市場でスプリングバンクと同じ流通網を利用している関係でした。ドイツで開催されたウイスキーの展示会で、個人的にアランのマーケティングディレクターと親しくなったんです。その彼が、アランで働かないかと誘ってくれました。新しいシングルモルトをゼロからつくり上げるチームなので、その一員になるのはワクワクするような挑戦でした。それが2003年のことで、以来ずっとこの会社で働いています。
ロックランザ蒸溜所(旧名アラン蒸溜所)は、今年で創設30周年を迎えます。アイル・オブ・アラン・ディスティラーズの成功に貢献した人々は?
ロックランザ蒸溜所は、ウイスキー業界で長年の経験を持つハロルド・カリーによって1995年に設立されました。私が入社した2003年にはハロルドも引退していましたが、何度か実際に会ったことがあります。とても魅力的な人物ですよ。
最初の蒸溜所長はゴードン・ミッチェルで、現在のスタイルを確立した功労者です。ゴードンは良い意味で「昔気質」なところがあり、ワイン樽熟成や新奇なマーケティング手法などにはまったく興味がありませんでした。自分が「シンプルなウイスキー」と定義する品質を心から愛していたんです。
そのゴードンが2007年に引退し、後任にはジェームズ・マクタガートが就任しました。ジェームズは樽熟成の構成を改善し、ボトリング時の品質がより高度な一貫性を保てるようになりました。そのジェームズは2019年にデイビッド・リビングストンに蒸溜所長の座を譲り、プロダクションディレクターを経て愛するアイラ島に戻りました。その後、後任のデイビッドも故郷のアイラ島に帰っています。現在の蒸溜所長は、スチュワート・ボウマン(2021年11月に就任)。極めてプロフェッショナルに、重要な役割をまっとうしています。
創立以来の30年では、どんな苦労がありましたか?
初期にいちばん苦労したのは、熟成年数が若いウイスキーに対する人々の認識です。私が2003年に入社した当時、アランでいちばん古いウイスキーは8年物でした。当時のウイスキーファンは最低でも10年や12年は熟成すべきだと考える人が多く、年数表示なしで若いウイスキーを売ること自体に大きな課題があったのです。
だから実際にグラスで味わってもらうことで、人々の信頼を勝ち取っていく必要がありました。すぐに成果が出たわけではありませんでしたが、最終的には困難を乗り越えられたと思います。ウイスキーづくりは、短距離走ではなく、マラソンと同じ。結果を急いではいけなかったんです。
離島に製造拠点を置いたことは、私たちの最大の強みであり、同時に最大の課題でもありました。アラン島に発着するフェリーサービスは、ここ5年間だけ見ても混乱の連続です。原料のモルトや樽の配送も予定通りにいかず、ウイスキーを本土のボトリング工場に送る物流面での困難も絶えませんでした。本土まではフェリーで1時間ほどですが、時には何百キロも離れているように感じられます。
スコッチウイスキー業界では、私たちも小規模な独立系メーカーの部類に入ります。その利点は、迅速な意思決定ができてチームの結束が強いこと。でもその反面、大企業のようなキャッシュフローなどの恩恵を受けにくいという中小企業ならではの悩みもあります。
ロックランザ蒸溜所の歴史で、特に重要な瞬間として思い出される出来事を3つ挙げてください。
まず1つ目は、2005年に初めて10年熟成のウイスキーを発売したこと。これは私たちの「成人式」とでも呼ぶべき重要な瞬間であり、ようやくアランがウイスキー業界で一人前のプレイヤーとして注目されるようになりました。この時から、現在も続く進化の旅が始まったと思っています。
そして2つ目は「ユアンズ・カット」の発売です。アラン島で合法的に製造されたウイスキーを、150年ぶりに試飲するという1998年の記念イベントに俳優のユアン・マクレガーが来てくれました。そのときユアンに贈呈したカスクを、2024年にボトリングしたのが「ユアンズ・カット」です。当社の要請に応じて、ユアン・マクレガーはこの貴重なウイスキー150本を慈善団体に寄付してくれました。おかげでスコットランドの子供向けホスピス慈善団体「CHAS」に、15万ポンド(約3千万円)以上の寄付金を提供できたんです。
最後の3つ目は、まさに30周年を達成している今年です。ロックランザで最初にスピリッツを蒸溜してから30周年を迎えられたことに、関係者全員が感動しています。勤続20年以上の従業員もいるので、1995年から現在までの成果を振り返ると本当に驚くべき道のりでした。
製造面において、ロックランザ蒸溜所で過去30年間に大きな変更がありましたか?
ロックランザ蒸溜所でつくるウイスキーに関しては、ほとんど何も変わっていないといえるでしょう。スピリッツの品質とスタイルは、この30年間も一貫しています。でも蒸溜所自体には、多くの変化がありました。2016年にはポットスチルを2基から4基に増やし、生産量を倍増させています。また2024年には、蒸溜所拡張工事の一環としてエレベーターを設置し、障害のある方でも生産フロアに立ち寄れるようになりました。このときにウォッシュバック4槽も追加されています。
クラシックなシングルモルト「アラン」は、ノンピートの大麦モルトのみから製造されています。それでも2004年から2017年にかけては、ロックランザ蒸溜所でピーテッドモルトの原酒も断続的に生産されていました。当初は14ppmのライトリーピーテッドをほんの少量だけ生産する程度でしたが、2012年以降は生産量が増加し、ピートの強度も20ppmや50ppmが含まれるようになりました。ロックランザ蒸溜所でのピーテッドモルトの蒸溜は、ラグ蒸溜所の構想が始まった2017年に終了しました。
(つづく)