ウォーターフォード蒸溜所の興亡【後半/全2回】

文:マーク・ジェニングス
テロワールにこだわるあまり、バリエーションが複雑化しすぎたウォーターフォード。生産部長のニール・コンウェイは、内部からの変革に着手した。特別ボトルだらけのラインナップではなく、まずは中核となるアンカー製品を定めなければならない。シンプルなストーリーを伝え、ウイスキーファンが直感的に惹きつけられる価値を提示するのだ。
「私たちは『ウォーターフォード キュヴェ』がアンカー製品になると話し合っていました。いわばプロジェクト全体の理念を凝縮したような定番商品です。でもそこに到達するまでに、時間をかけすぎてしまいました」
欧州市場では、ウォーターフォードへの期待と人気が高まっている。だがその他の地域では、すでに亀裂が生じ始めていた。特に米国で発売した商品は失敗の連続だった。
「パレット単位で米国にウイスキーを送り、営業チームも準備万端でローンチに臨みました。新たなディストリビューターとも契約済みです。でもいざ発売してみると、市場の反応はありません。どんな手を打っても効果はありませんでした。今でもウイスキーは倉庫の中で売れ残っています」
ウォーターフォードにとって、これは痛烈な打撃だった。ようやくブランドのメッセージを確立したタイミングで、マーケティング上の不調が明らかになったのだ。計画では「キュヴェ コフィ」と「キュヴェ アルゴ」がブランドを次の段階へと導いてくれるはずだった。どちらも素晴らしい風味を前面に押し出し、わかりやすいブランディングながら明確な個性を持ったウイスキーだったからだ。
「ウイスキーはどんどん良くなっていました。消費者に伝えるアイデアも、よりフォーカスが定まってきた矢先です。でもその時点までに、すでに貴重な時間を失っていたんです」
その間にもエネルギー価格は急騰し、原材料コストは上昇した。会社の負債はどんどん膨らんでいく。
「コロナ禍の最中も、コロナ禍が一段落した後も、コストは高くなる一方でした。でも私たちは原酒の蒸溜を続けました。今は苦しくても、ブランドが飛躍すればいずれ原酒が必要になる。そう信じていただからです。でもそんな方針が、事業に多大な負担をかけてしまいました」
ニールはそう言って言葉を詰まらせる。
「あと一歩で乗り切れるところまで来ていました。最悪の時期が過ぎていたのはわかりましたから。でも時間切れだったんです」
破産に向けた管財手続きは、2024年11月下旬から正式に始まった。それまで約10年にわたって生産チームを率いてきたニールは、今でも当時の成り行きを事細かに覚えている。
「翌年の1月には、全員に通知書が届くと言われていました。つまり職を失うことを知りながら、クリスマスを過ごさなければなりません。人生で最悪のクリスマスでした。パーティーも別れもなく、ただ通知を待つだけの日が続きました」
従業員は次々と職場を去り、残った一部の者たちが知らせを待ち続けた。ニールは投資家対応を補助するために残った。一時は、事業継承に60社以上の関心が集まっていたとも言われている。
「でも事態が長引くほど、状況は悪化していました。トランプ関税が買い手を怯えさせたんです。何事も起こらず、ずっと沈黙が続きました」
春が来る前に、ニールはディアジオでの新たな職を受け入れた。
「私も前に進む必要がありました。家族がいますから。でもウォーターフォードの未来について、一日たりとも考えない日はありませんでした」
頓挫した物語のゆくえ
この記事を執筆している時点で、ウォーターフォード蒸溜所は休業中だ。貯蔵庫には約5万本の樽に入った原酒が眠っており、その未来は不透明である。
「本当の恐怖はそこにあります。大量生産用のバルク原酒として、多国籍企業に売却されるのだけは避けてほしい。ウォーターフォードの物語が消え去ることが辛いんです」
ニールは今でも自分たちが丹精込めてつくり上げたウイスキーの価値を信じている。
「自宅には、孫の代まで飲み続けられるほどのウォーターフォードがあります。ボトルを開けるたび、これこそ理想のウイスキーなのだと感じます。ウォーターフォードは、人々のウイスキー観を変えてくれるはずでした」
もし蒸溜所が復活したら、現場に復帰するつもりはあるのか。そうニールに問いかけると、慎重な答えが返ってきた。
「たとえ戻るとしても、適切な人物が事業を引き継ぐ場合に限ります。しっかりとしたビジョンを持つ人でなければなりません。私たちが築いたものを尊重してくれる人です。ただ大量のスピリッツを生産するためだけに、あの場所に戻るつもりはありません」
ウォーターフォードの運命は、アイリッシュウイスキー業界だけの問題ではない。なぜなら世界中の蒸溜所経営者が注視しているからだ。
ウォーターフォードの破産は、不運なひとつの事例に過ぎないのか。それともウイスキー事業が構造的に抱える脆弱性を示しているのか。ニールは仲間たちに注意を促す。
「苦境に立たされている蒸溜所は、他にもたくさんあります。私たちだけが苦しんでいたわけではありません。これから同じように倒れてしまう仲間がいるかもしれません」
ウォーターフォードには、時の運がなかったともいえる。もっとも大切な時期に、コロナ禍、戦争、関税、インフレが立て続けに起こったのだ。しかし他のメーカーには、ウォーターフォードの崩壊が厳しい問いを投げかける。際立ったブランドの個性と品質は、どうやって事業としてスケールできるのか。高邁なビジョンが、ビジネスモデルの限界を超えると何が起きるのか。
「ウォーターフォードに、消費者を騙すような不誠実さは微塵もありませんでした。品質管理も完璧だし、取引上のスキャンダルもありませんでした。ただ最終的に、収支が合わなかっただけです」
結局のところ、ウォーターフォードは壮大な実験だった。向こう見ずで、大胆な実験だ。大麦と土壌と工程を厳密に管理することで、ウイスキーは独特の個性を生み出せる。そんなアイデアを実現不可能だと疑う人もたくさんいたが、その狙いの正しさは証明できたはずだ。
ニール・コンウェイにとって、ウォーターフォードで過ごした時間には尊い意味があった。それは信念を具現化するためのシステム構築であり、理想の正しさを証明する試練であり、個人的な挑戦の旅路だった。
「今はまだ静かに眠っていますが、ウォーターフォードの物語はまだ終わっていません。私たちが目指したウイスキーの未来を語り続ける限り、完全に終わることはないはずだと信じています」