ジャパニーズウイスキーのふるさとへ 【その1・全2回】

December 28, 2012


サントリー山崎蒸溜所特集 第1弾
蒸溜、樽熟成により生まれる生命のスピリッツ

世界に認められたジャパニーズウイスキーの産地「山崎」へ

日本初の本格ウイスキーづくりがスタートし、来年で90年を迎える。日本は、スコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダと並び、ウイスキーの五大産地のひとつに数えられている。ジャパニーズウイスキーの立役者であるサントリーは、2012年11月に開催された酒類コンペティション「第17回インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC:International Spirits Challenge)2012」において、大会史上初めて最高賞である「トロフィー」をダブル受賞ジャパニーズウイスキーの品質と可能性を知らしめた。今回、WMJはジャパニーズウイスキーのふるさと・山崎蒸溜所を訪問し、世界のトップブレンダーの一人・輿水精一氏へインタビュー。Part1は大正に始まる国産ウイスキーづくりの歴史を紐解き、Part2では輿水氏へのインタビューを中心に展開。近年、ウイスキーメーカーとして世界に認知されるサントリーのつくりのこだわりに迫る。
text: 水口海 協力:サントリー山崎蒸溜所

 

天王山の麓・神々が鎮座する地でつくられる日本の洋酒  

寒風吹きすさぶ12月。JR山崎駅に降り立ち、ふと見かけたのは、カメラを持って佇む外国人観光客の姿。オフシーズンに、敢えてこの地を選ぶのは、よほどの歴史マニアかウイスキー好きに違いない。山崎は、さかのぼること約430年前、羽柴秀吉が織田信長の弔いに、明智光秀と天下を分けて戦った地でもある。

サントリー山崎蒸溜所へ向かう道すがら、目に入るのは、石清水八幡宮の元社にあたる離宮八幡宮。山崎蒸溜所の付近には、聖武天皇の打出の小槌を奉納された宝積寺、酒解神社など、寺社・仏閣が多く存在する。 北に天王山を背負い、その前で桂川・宇治川・木津川の三川が合流する山崎。湿度が高く、ウイスキーづくりに好立地という。

快晴の青空、天王山の紅葉をバックに、煉瓦貼りの建物が並ぶ山崎蒸溜所。入り口に立つと、一本の道がまっすぐに伸びている。その先にあるのは、椎尾神社。奈良時代の僧侶・行基が寺院を建立し、現在では地元の氏神が祀られている。

「信治郎さんは、とても信仰心が篤い人だったそうです。」

株式会社壽屋(現サントリー)創業者・鳥井信治郎氏についてそう話すのは、山崎蒸溜所に長年勤務し、世界のトップブレンダーの一人に数えられる、サントリーチーフブレンダーの輿水精一氏。 信治郎氏は蒸溜所建設にあたり、村人たちと協力し、椎尾神社の復旧を率先して行ったそうだ。以来、ウイスキーづくりが始まった日時に因み、毎年11月11日11時11分に祭礼をし、ウイスキーを奉納。 人智を超えた存在に感謝し、畏敬の念を持って迎えている。ウイスキーは長い熟成を経て生まれる酒。様々な要素が重なり合って生まれるものなのだ。

舶来の酒を「いかにして、日本人の舌にのせるか」

「日本初の国産ウイスキーづくりは、赤玉ポートワインの成功があってのものでした」と、チーフブレンダーの輿水氏。赤玉ポートワインは、サントリーの前身・壽屋の大ヒット商品。スペイン産の優良ワインをベースにした混成酒である。初代マスターブレンダーの鳥井信治郎氏が日本人の舌に合うよう、古今東西あらゆる種類の甘味料と香料を集め、きき酒と調合(ブレンド)を重ねた末に生まれたものだ。その成功で得た資金をもとに、信治郎氏は日本人の繊細な味覚に合うウイスキーをつくることを決意。「ウイスキーは洋酒の王者であり、洋酒業界に志を立てた以上、ウイスキーをやってみるべき」という信念から1923年(大正12年)、蒸溜所の建設に着手。 全国各地の水を取り寄せ、水質検査と試験を繰り返した後、選ばれた地が山崎だった。信治郎氏は、天王山の麓から湧き出る良質の水に恵まれた、手つかずの自然の中にウイスキーの理想郷を見出した。そして、スコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝氏を招聘して、山崎蒸溜所工場長に任命。スコットランドの蒸溜所を手本として、ポットスチル(単式蒸溜釜)は大阪の銅鉄工所でつくり、淀川を遡って山崎に運び込まれたのだそうだ。その第一号ポットスチルは現存する。創業者である鳥井信治郎氏、そして二代目マスターブレンダー佐治敬三氏の銅像と共に前庭に並んでいる。

現在の蒸溜室には、形状、サイズの異なる銅製ポットスチル、6対12基が向かい合うように並ぶ。熱気に包まれた室内の中央にはスピリットセーフが配備され、2度蒸溜された透明な液体「ニューポット」が流れ出る様を見ることが出来る。

この透明な液体が琥珀色に変わるまで保管されるのが、原酒の宝庫・貯蔵庫。仄暗い室内には、オークの香りが漂い、そこはかとなくウイスキーの息遣いが感じられる。1924年に初めて樽詰めされたシェリーカスクをはじめ、多くのカスクが眠る聖域だ。 釘を使わず、「輪木」という木製のレールを敷き、樽を並べ、その樽の列の上に「輪木」を敷き、樽を重ねる 「輪木積み」(ダンネージ式)という職人技で収められ、大きな震災も無事に乗り越えてきた。モノクロームな貯蔵庫から一歩外へ踏み出すと、視界が一変。緑と光あふれる裏庭では、生命の息吹きを感じる。貯蔵庫の出口は、蒸溜所の敷地の最北、山麓にあるという。山崎の水は天王山を含む西山を源流とする。 山崎は、いにしえより神饌にも用いられる聖なる「離宮の水」が湧く“水生野(みなせの)”ともいわれる名水の地。 『ウイスキー』という名称は、スコットランドの古語・ゲール語の “uisce beatha(ウィシュケ・ベァハ)”、すなわち『生命の水』であると思い出した。

 

洋酒報国―日の丸ウイスキーの独創と継承 「洋酒づくりで国に報いたい」

創業者・信治郎氏の信念からつくられた生命の水は、熟成のときを経て、本場のウイスキーと並び称されるほどになった。ISCやWWA、SWSC等の国際的な品評会で最高賞を相次いで受賞し、世界でも有数のウイスキーメーカーと認知されている。サントリーウイスキーは世界的なブランドに成長し、現在、山崎蒸溜所、白州蒸溜所、滋賀県の近江エイジングセラーを合わせて約80万樽のカスクを所有する。そのすべてを把握するチーフブレンダーの輿水氏は、「ウイスキーは未完の酒」と話す。 「ウイスキーに完成形はありません。日々、リファインを繰り返していくのです」。あくなき進化と成長を求めるフロンティアスピリッツは、ブレンドの秘技と共に今も継承されている。
参照文献:「美酒一代 鳥井信治郎伝」

 

次回は、世界のトップブレンダーの一人 輿水精一氏インタビュー サントリーウイスキーのこだわりに迫る

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