安積蒸溜所の一日【前半/全2回】
ビジターセンターを訪ねて、蒸溜所ツアーが体験できる機会も多くなった。だが1時間のツアーでは見落としている細部もきっとある。稼働中の蒸溜所に押しかけ、始業時から現場に密着する新シリーズのスタート。第一弾は、福島県郡山市の笹の川酒造にある安積蒸溜所だ。
文:ステファン・ヴァン・エイケン
「蒸溜所の一日」と題した新しいシリーズを始めることにした。これは特定の蒸溜所に始業から就業まで滞在し、ウイスキーづくりのアプローチを実地で理解するための試みである。ウイスキーづくりを蒸溜所ごとに比べると、大枠ではだいたい似たような印象を受ける。だがひとたび細部に注目すれば、そこには必ず人間が直接手を下す工程があり、結果として蒸溜所ごとに異なったウイスキーを生み出す要因になる。
シリーズ第1回めの場所は、安積蒸溜所に決めた。前回の訪問時には設備がまだすべては揃っておらず、届いたばかりのスチルがビニールを被っている状態だった。あれから1年以上が経ち、安積蒸溜所は初年度のシーズンを終えようとしている。
6月の最終月曜日に蒸溜所を訪ねた。現地に着いてすぐに、これ以上ないほどの理想的なタイミングでやってきたことがわかった。なぜならその日は、夏季にノンピーテッドモルトを蒸溜する最終日。そして翌日には、ピーテッドモルト(50ppm)のバッチ第1号の蒸溜が控えている。すなわちピーテッドモルトの糖化と発酵も間違いなくおこなわれている日だったのである。
8:03
安積蒸溜所は、とてもコンパクトな蒸溜所だ。粉砕から樽詰め前の加水まで、一つ屋根の下にある広いスペースでおこなわれる。ウイスキーづくりの現場で働くメンバーは2人。蒸溜所内に入ると、スチルマンの田浦大輔さんが忙しそうにポットスチル(単式蒸溜器)とスピリットセーフ(検度器)の外壁を掃除していた。ウォッシュスチル(初溜釜)には2,001Lのウォッシュが投入され、今シーズン最後のノンピーテッドモルトである「バッチ155」の初溜がおこなわれようとしている。スピリットスチル(再溜釜)では、これから「バッチ154」の 再溜を準備中。昨日の初溜でできた650Lのローワインと、前回(バッチ153)の再溜の残り分(約400L)をあわせた約1,000Lのローワインが入っている。
8:47
一方、マッシュタン(糖化槽)では「バッチ158」の仕込みが進行中である。担当するのは坂倉みなみさん。高校卒業後に笹の川酒造に入社し、2016年より蒸溜所で働いている。面白いことに、坂倉さんは自分がつくる商品を飲める年齢に達していない。今年の9月で20歳になるという。成人になって初めて飲むお酒が、自分の手でつくったウイスキー。現在そんな幸福な立場にいる人物は、おそらく日本のウイスキー業界でただ一人だけだろう。
8時47分、坂倉さんが65°Cのお湯300Lをマッシュタンに入れる。数分後、マッシュタン内部の熊手にスイッチが入り、マッシュの投入が開始される。ワンバッチ分の粉砕された大麦(1,600L超)が、徐々にマッシュタンを満たしていく。約30分の間、この温かいマッシュを熊手でゆっくりとかき混ぜながらゆっくりと糖分を引き出す。
9:12
そうこうしているうち、蒸溜エリアが忙しくなる。9時12分にウォッシュスチルが沸騰。その5分後には、スチルからローワインが流れ出した。田浦さんの説明によると、火入れから最後の掃除までを含む初溜の全プロセスは6〜7時間ほどで、ときには9時間かかることもある。
ウォッシュスチルに関しては、もう当面やることもない。だが今度はスピリットスチルの世話が必要だ。田浦さんはスピリットセーフからサンプルを抜き出し、香りと度数を確認する。76%なら「ほぼオーケー」だと田浦さん。ベンチャーウイスキーのスタッフからアドバイスをもらい、カットポイントは75.5%に固定されている。9時24分、田浦さんは香りをチェックして、カットをおこなうタイミングが到来したと判断する。「ハート」とも呼ばれるミドルカットには約1時間半かかるので、終わるのは午前11時ちょっと前くらいだろう。その後もスピリットスチルからは目が離せない。
9:40
マッシュタンは、そろそろ「循環」の時間だ。底に溜まったワート(麦芽汁)が、積もった穀物の上に引き戻される。この穀物がフィルターの役割を果たして、ワートをすっきりと濾過してくれるのだ。安積蒸溜所では、この工程に1時間半ほどかける。だがひとたび循環の準備が終わると、さらなる重労働が待っている。坂倉さんは明日マッシング(糖化)する「バッチ159」の粉砕に取りかかかった。
坂倉さんによると、ひとつのバッチは400kgの大麦麦芽を原料としている。安積蒸溜所では、1カ月あたり20バッチをこなしている。大麦は英国のクリスプ社から輸入され、1袋25kgの袋に入って運ばれてくる。つまり袋を取り出して開封し、2ローラーのミルに中身を投入する作業を坂倉さんは16回おこなうことになる。ひとつの袋に2分半かかるので、たっぷり1時間の労働だ。10時13分、坂倉さんは粉砕作業を一時中断して、マッシュタンから最初のワートを排出させる。ワートは熱交換器を通って22°Cにまで冷やされ、「発酵槽702号」と名付けらたウォッシュバックに入れられる。
今日仕込んでいる大麦は、フェノール値50ppmのヘビリーピーテッドモルトだ。坂倉さんは、正直いってこのピートの効いたマッシュの匂いが苦手だという。でもこれからお酒が飲める年になって、ピートの効いたウイスキーを飲むことがあれば考えも変わるかもしれない。
10:55
蒸溜エリアでは、ミドルカットも終了に近づいている。田浦さんが、スピリットレシーバーに注がれるニューメイクの量を注視している。今日の目標は、度数約71%のニューメイクを204Lつくること。田浦さんはミドルカットが終わりそうなタイミングが匂いでわかるという。それは「出がらしのお茶」みたいな独特の匂いなのだそうだ。11時5分、そろそろフェイントカットの時間で、これが約3時間ほどかかる予定だ。ウォッシュスチルはまだフル稼働中で、蒸溜に関しては今のところ厳重な監視も必要ない。11時から12時までは、比較的静かな時間が続く。
明日は初めてピーテッドモルトの蒸溜がおこなわれる日だ。田浦さんは見るからに待ちきれない様子である。今よりも若かった頃 (あえて細かく触れずにおこう)、初めてウイスキーを飲み始めたときから、田浦さんはすぐにアードベッグとラフロイグの虜になった。いくら飲んでも飽きることはなかったが、バーテンダーになったときに店のマスターがストップをかける。1年間はピートの効いたウイスキーを飲まずに我慢して、他のウイスキーの味も覚えるようアドバイスしたのだ。そのおかげで、田浦さんはグレンフィディックやグレンリベットの素晴らしさも理解することができたという。
今日の状況は、1年の禁止期間が明けてピートの効いたウイスキーを再び飲んだときの期待に似ている。これまではノンピーテッドモルトばかりを蒸溜してきたが、ようやく明日から念願のピーテッドモルトを蒸溜できるのだ。田浦さんには、蒸溜の他にもやるべきことがある。実は福島県南酒販(笹の川酒造の関連会社だろう)でも働いており、「963」と名付けられたウイスキーをつくる仕事があるのだ。県南酒販が輸入したモルトウイスキーとグレーンウイスキーを田浦さんがブレンドする。安積蒸溜所での仕事と、「963」の仕事を行き来することが、自分にとって貴重なチャンスなのだと彼は語る。麦芽の粉砕からブレンディングまで、ウイスキーづくりのあらゆる段階を実地でマスターできるからだ。
(次回に続く)