ビール樽熟成がもたらす影響
文:イアン・ウィズニウスキ
アイリッシュウイスキーの熟成に使用する樽は、アイルランドに届く前に世界中で「シーズニング」が施されている。つまり米国ではバーボン、スペインではシェリー、ポルトガルではポートの熟成に使用されてきた樽であるということだ。それぞれの樽が、最終的に出来上がるウイスキーのフレーバーに特有のアクセントを加えてくれる。
だがアイルランドでは、自国内でシーズニングできる新たな熟成樽の候補も注目を集めてきた。手を組む相手はビール業界である。ウイスキーと並んで、ビールもアイルランドの国民的なドリンクだ。スタウト、ポーター、レッドエール、IPAなどを貯蔵していた樽で後熟をすると、独特なフレーバーがウイスキーに加わる。手法としては、ビール樽だけで熟成するのではなく、熟成後のフィニッシュに使用するのが一般的だ。ティーリングウイスキーの業務マネジャーを務めるイアン・ウッド氏が語る。
「どんな樽のタイプでも原則的な使い方は一緒ですが、ビール樽がワインや酒精強化ワインの樽のように重層的なフレーバーをウイスキーに追加してくれる訳ではありません。ビール樽によるフィニッシュでは、ビール樽が含むフレーバーの効果がワイン樽などよりも短期間で消えてゆくため、結果としてフレーバーの変化を予測しにくい樽でもあります」
ならばマスターブレンダーたちは、どうやってビール樽の風味を首尾よくウイスキーに取り入れているのだろうか。ミドルトン蒸溜所を保有するアイリッシュ・ディスティラーズでマスター・オブ・ウイスキー・サイエンスを務めるデービッド・クイン氏が説明する。
「ビールをテイスティングしたり、樽をノージングしたりすることで、ある程度は仕上がりが予測できます。でもビールの特性がそのままウイスキーに備わるという訳でもありません。IPA樽は柑橘、リンゴ、ホップなどのフレーバーを授けることが多く、スタウト樽はコーヒー、チョコレート、バタースコッチなどの風味で舌触りを和らげます。熟成中にどんなことが起こっているのかを精細に理解するためには、まだまだ解明すべき謎が残されていますね」
望ましいビールのタイプを選んだら、ウイスキーメーカーは自社用の樽(主にバーボンバレル)をシーズニングしてもらうようにビールメーカーに依頼する。ダブリン・リバティーズ蒸溜所でマスターディスティラーを務めるダリル・マクナリー氏は語る。
「バーボンバレルの送り先は、3社の地元ビールメーカーです。『オハラ』ではスタウト、『ラスカルズ』ではコーヒースタウトを樽詰めします。このコーヒースタウトはアイリッシュコーヒーの風味があって、スタウトとはまた異なった力強い影響をウイスキーに授けてくれるんです。『ファイブランプス』ではレッドエールを樽詰めします。こちらはスタウトほどの濃密さがないタイプです」
このバーボンバレルのなかにも変わり種がある。例えばティーリングは、カリブ産のラムの熟成樽をゴールウェイベイ醸造所に送って、インペリアルスタウトビールを2ヶ月間以上樽詰めしてシーズニングを施してもらう(このラム樽はもともとバーボンバレルである)。
樽材の残余ビールがもたらす影響
ビールによる樽のシーズニングが終わると、ビールメーカーは熟成済みのビールを限定エディションとしてボトリングして、空いた樽をウイスキーメーカーに返却する。この樽板には一定量のビールが染み込んだいわば「残余ビール」が含まれており、樽にウイスキーを詰めると樽板からビール成分が滲み出してウイスキーに混じり合う。これがフィニッシュの期間中にもっとも大きな風味上の影響を授けてくれるものと考えられている。
それでは残余ビールがどんなタイミングで、どのようにして風味プロフィールに変化をもたらすのだろうか。イアン・ウッド氏が語る。
「スタウトでシーズニングした樽に初めてウイスキーを詰めたときは、ダークチョコレート、コーヒー、ローストした大麦などの風味が、スタウトからもたらされることを期待していました。この3種類の風味は確かに捉えられますが、各風味のレベルが同時にピークに達するわけではありません。風味は急に高まってから上昇をやめ、時には消え去ってしまうこともあるからです。例えばチョコレート風味は週を追うごとに高まっていきますが、12〜16週間後にはなくなってしまいます。つまり重要なのは、後熟を止めるタイミング。適切な時期を逃さないようにするには、サンプルをテイスティングし続けるしかありません。後熟の期間は、だいたい4〜6ヶ月で終わりますが、樽によって熟成状態が異なるので最善の状態になった時点で完成です」
ビールでシーズニングされた樽から得られる個別の影響は、もちろんウイスキーのスタイルによっても異なってくる。例えば「ジェムソン カスクメイツ スタウトエディション」は、まずバーボンバレルで熟成してから5ヶ月間の後熟を加える。この後熟で使用されるのは、2ヶ月間スタウトを貯蔵してシーズニングしたバーボンバレルであるのだとデービッド・クイン氏が語る。
「ジェムソンの特徴であるアップルパイと英国風クリスマスケーキの風味はしっかりと維持しています。でもそこにスタウトを飲んだときに感じるコーヒー、ココア、バタースコッチなどの風味が加わるのです。ウイスキーの口当たりも柔らかくなりますね」
ジェムソンのカスクメイツシリーズにはIPAエディションもある。こちらはシーズニングしてくれるビールメーカーをアイルランド国外にも求めた商品だ。デービッド・クイン氏が説明する。
「ジェムソンカスクメイツシリーズの協力者には、世界中のビールメーカーが含まれています。 オーストラリア、カナダ、 米国などのビール醸造所と一緒に、ハイパーローカルな『ジェムソンカスクメイツウイスキー』をつくっているのです。ビールメーカーが樽を使って限定エディションのビールをつくり、その後でアイルランドに送り返してジェムソンの原酒をフィニッシュするために使われるのです。こうやって出来たウイスキーは、ボトリング後にビールメーカーの所在する都市に送られて販売されます」
ウイスキー業界とビール業界の歴史的な協働
ビール樽でアイリッシュウイスキーを後熟する手法が盛んになったのは最近のことだが、そのアプローチには伝統的な要素もある。もともとビールメーカーは、ウイスキー蒸溜所から調達した木製の樽を容器として使用していた。後にステンレス製の容器が主流になったが、それまではメーカー同士の間で樽が行き来していたのである。
IPA、スタウト、ポーターには、ウイスキーと切っても切れないつながりがある。それは精麦した発芽大麦を主要な原料にしてことだ。例えばドライスタウトで有名なマーフィーズは未発芽大麦と発芽大麦を使用し、同じドライスタウトのギネスは発芽大麦をローストして使用している。インペリアルスタウトはアルコール度数が約8%なのでスタウトの約4%%よりも高い。レッドエールもローストした大麦を原料とするが、同じ原料はポーターにも使用される。
グレンダロッホの創設者であるケビン・キーナンが語る。
「チョコレートモルトが原料のポーターでシーズニングした樽を使っています。チョコレートモルトは、モルト原料をローストすることでトフィー、ココア、チョコレートなどの風味を引き出したモルト。バーボンバレルで7年間熟成したモルトウイスキーを、ポーターの樽で半年から1年後熟します。ウイスキーにはもともとビスケット、モルト、ハチミツ、バニラ、キャラメル、柑橘、スパイスなどの風味がありますが、この後熟によってウイスキーにトフィー、ココア、チョコレートなどの風味が加えられるのです」