ビリー・ウォーカーの終わりなき挑戦【第1回/全3回】

January 15, 2025


ウイスキー業界で50年以上も活躍し、今なおチャレンジを止めないビリー・ウォーカー。インタビュー第1部は、ウイスキー業界のキャリアを積み重ねて大きな挫折に至るまで。

聞き手:ステファン・ヴァン・エイケン
写真:高北謙一郎

 

ウイスキーマガジンの殿堂入りを2021年に果たしたビリー・ウォーカーが、特別なウイスキーを携えて来日した。新しい「グレンアラヒー17年ミズナラ&オロロソカスクフィニッシュ」と「グレンアラヒー35年」は、ビリーの経験と挑戦を凝縮したようなウイスキーだ。東京六本木のバー「カスクストレングス」で落ち合い、午後のひとときを静かに語り合った。

ウイスキー業界で50年以上の経験を持つビリー・ウォーカーは、スコッチの生ける伝説の一人。グレンアラヒーにたどり着くまでの道のりを辿るには、その人生の始まりまで遡らなければならない。

ビリーは1945年にダンバートンという町で生まれた。グラスゴーの北西およそ35kmにある町で、同名のダンバートン蒸溜所があった。このダンバートン蒸溜所は1938年にカナダの企業であるハイラム・ウォーカー社によって設立され、バランタインにブレンドするグレーンウイスキーを製造するための生産拠点だった。

ちなみに当時スコットランド最大のグレーン蒸溜所であったダンバートン蒸溜所では、スコットランドで主流のコフィー式スチルではなくアメリカ流のステンレス製連続式蒸溜機が使用されていた。ダンバートンで育ったビリーにとって、ウイスキーに人生を捧げることは必然だったのだろうか?
 

ウイスキー業界に入ったきっかけは、ウイスキー業界で働いている親戚がいたからですか?
 
ウイスキー業界で働いている親族はいませんでした。でもダンバートン出身者として、いつかはウイスキーの世界に関わる運命だったのだと思いますね。
 

グラスゴー大学で化学を学び、優等学士として1967年に卒業されました。化学を専攻したのは、ウイスキー業界への足がかりを得たいという思いから?
 
なかなか科学的な推測ですね。でも当時はそんな考えもなく、ただ化学が好きだったんです。簡単な分野ではありませんが、有機化学の面白さにのめり込みました。卒業後の5年間は、製薬会社の研究部門で働きました。科学全般についてさまざまな分野を学べる職場で、あれは素晴らしい経験でした。
 

ウイスキー業界でのキャリアをスタートさせたきっかけは?
 
バランタインから、チームに参加しないかと誘われたんです。とても魅力的なオファーでした。素晴らしいブランドを抱える一流企業で、ウイスキー業界の状況もかなり安定していましたから。大きな裁量を与えてもらい、自由に働きながら業界について深く学べる職場だと聞かされました。入社すると実際にその通りで、自分にとっても素晴らしい経験になりました。
 

入社後はどんな仕事を?
 
基本的には化学者として入社したので、最初から実際の生産工程に携わりました。具体的には発酵と蒸溜ですが、蒸溜所の規模が想像よりもはるかに大きくて驚きました。

ダンバートンで製造されていたグレーンウイスキーは、おそらくこれまでスコットランドで製造されたグレーンウイスキーの中でも最高品質でした。そう考える理由は、糖化後のウォートを濾過している蒸溜所がダンバートン以外になかったからです。原酒はとてもすっきりとして、クリーンな味わいでした。

グレーンウイスキーの原料には、小麦ではなくトウモロコシを使用していました。当時は世界最高品質だった南アフリカ産のトウモロコシを可能な限り使っていました。ダンバートン蒸溜所は残念ながら2002年に閉鎖されてしまいます。敷地内にはモルト原酒を製造するローモンド蒸溜所とインバーリーブン蒸溜所もありました。ともあれ、私は製造工程にまつわる化学的な問題に深く関わっていました。
 

ハイラム・ウォーカーで何年か働いた後は、インバーハウスに移籍されましたね。
 
インバーハウスに入社したのは1976年ですが、その前に2年ほどペニシリンの発酵に携わりました。あらゆる面でウイスキーづくりとは異なる挑戦です。ウイスキーづくりに比べたら、はるかに退屈な日々でした。でもペニシリンの発酵を通して自然の産物に関する学びを深められ、その点ではやはり視野が広がりました。

インバーハウスは素晴らしい会社で、私はマスターブレンダーに任命されました。親会社はアメリカ資本のパブリッカー社で、本社はフィラデルフィアです。広大な蒸溜所の敷地では、グレーンウイスキー「ガーンヒース」を生産していました。

敷地内にはモルト蒸溜所もあって、さまざまなスタイルのモルトウイスキーを生産していました。有名なのは、「グレンフラグラー」や「キリーロッホ」など。本当に多彩なスタイルのウイスキーを生産する素晴らしい職場です。さまざまな種類の樽材についても研究し、最終製品に果たす役割について多くを学べたのも素晴らしい経験になりました。やりたいことを自由にやらせてもらいましたから。
 

そして6年後には、再びバーンスチュワートに転職されますね。
 
ええ、1982年のことです。バーンスチュワートはとても小さな会社で、自分にとっても初めてのことばかり。そこで働いていた人たちは、常に新しさを追い求めており、果敢に挑む彼らと意気投合しました。バーンスチュワートはまだ蒸溜所を所有しておらず、基本的には「スコティッシュリーダー」などのブレンデッドウイスキーを販売する会社でした。私の役割は、ブレンディングの専門知識を提供すること。そんな仕事が7年ほど続きました。

ビリー・ウォーカー(左)が、新しいグレンアラヒーのボトルを携えて来日した。ステファン・ヴァン・エイケン(右)と東京六本木のバー「カスクストレングス」で語り合った。

バーンスチュワートは慢性的な経営難にあり、壊れかけた家屋のような会社でした。でも最終的には、数名の仲間たちと会社を買収することで新たな自由を手にしました。経営する立場になると、そこから休眠状態にあるモルトウイスキー蒸溜所の買収というプロジェクトに進んでいったのです。

モルトウイスキーの蒸溜所を手に入れ、仕事はますます面白くなりました。今から考えると意外ですが、当時のシングルモルトウイスキーは比較的おとなしい分野でした。市場に出回っているのは、グレンフィディック、グレンリベット、グレンモーレンジィなどのごく限られたブランドだけ。ウイスキー市場全体を考えると、シングルモルトはごく小さなカテゴリーに過ぎなかったのです。当時のバーンスチュワートもあくまでブレンデッドウイスキーの「スコティッシュリーダー」を主力商品としており、アフリカや東南アジアの一部で大きく販路を広げていました。
 

廃業同然の蒸溜所を復活させるプロジェクトが、1990年のディーンストン蒸溜所の買収から始まりましたね。
 
ディーンストン蒸溜所は、買収当時ですでに2〜3年ほど休業状態にありました。これを再稼働させて軌道に乗せる事業は大変でしたが、ワクワクするような興奮もありました。高い品質のスピリッツをつくるのはもちろん、やりたいことを自由にやれるという環境が貴重でした。カットのタイミング、発酵時間、樽材の選択が自由にできるということに、計り知れない価値があるのです。
 

そしてバーンスチュワートは1993年にトバモリー蒸溜所(1980年代の大半が休眠状態)を買収し、2003年にはブナハーブン蒸溜所(1982年以降経営不振)を買収します。
 
その通りです。でもブナハーブンに関わったのは、バーンスチュワートにいた最後の数週間だけ。その頃はもう会社に嫌気がさしていて、バーンスチュワートを去ることに決めていました。もっと大きな自由を手に入れたかったのです。
 

バーンスチュワートから離れると、忘れられた蒸溜所の再生者として本格的に注目されるようになりました。南アフリカのビジネスパートナー2人と2004年にご自身の会社を設立し、最初の蒸溜所を手に入れます。買収した蒸溜所は、立地やタイミングで選んだのでしょうか?
 
当時は2004年で、休眠状態のモルトウイスキー蒸溜所が15軒ほどあったはずです。その事実だけ振り返ってみても、あの頃のウイスキー業界は前途が不透明な面白い時期でした。少なくともシングルモルトには現在のような勢いがありませんでした。

そんな中で特に魅力的だったのがベンリアックです。キャパドニックも惹かれたし、他にもいくつか大きな蒸溜所が候補に挙がりました。それでも立地と原酒のストックから、ベンリアックはずっと優先順位のトップにありました。休眠中でありながら、製麦所が併設されていることも魅力的でした。全体として、ベンリアックは私たちが望んでいた事業展開の雛形にぴったりだったのです。
 

ベンリアック蒸溜所の経営では、まずどんな課題に直面しましたか?
 
まず取り組んだのは、原酒の在庫についてくまなく調べること。あらゆる蒸溜所再生がそうなのですが、まず原酒の在庫を把握し、自分たちが引き継いだ蒸溜所の個性を理解しなければなりません。旧来の個性を維持するのか、自分たちが望む方向に転換させるのか。もし路線を変更するのなら、新しい原酒をどうやって既存の原酒に調和させ、スムーズな均衡を取りながらブランドの個性を訴えていくのか。そんな計画を練る必要がありました。
 

数年後の2008年に、グレンドロナック蒸溜所を買収した理由は?
 
とても面白いきっかけで、驚くほど思いがけない展開から手に入りました。ハイラム・ウォーカー在籍時代にもつながりがあった蒸溜所なので、なおさら運命のようなものを感じたものです。ハイラム・ウォーカーは、グレンドロナックを所有していたウィリアム・ティーチャー&サンズを買収していましたから。当時のグレンドロナックは、極めてリッチなシェリー樽熟成のウイスキーを製造する数少ない蒸溜所のひとつでした。

だからこそ、グレンドロナック蒸溜所が入手可能だと知って有頂天になったものです。グレンドロナックは、間違いなく眠れるスーパースターでした。当時すでに5〜6年もの休業期間があり、その空白期間をどう埋め合わせするのかが問題でした。でも幸いにして、私たちには十分な経験があります。グレンドロナックを買収できたのは、本当に素晴らしい瞬間でした。またとない蒸溜所を手に入れたことは明らかだったし、歴史的に高く評価される個性的な風味を自分の手で再現できるようになったからです。
 

そして3番目の蒸溜所として、グレンドロナックから少し北にあるグレングラッサを2013年に買収しました。でも結果的には、さほど長く関わることができませんでしたね。
 
ある意味では、人生最大の失望がグレングラッサかもしれません。蒸溜所ではさまざまな工夫に取り組みましたが、その成果を十分にアピールする機会がありませんでした。グレングラッサは素晴らしい蒸溜所で、潮風が吹き抜ける海沿いの立地も魅力です。樽熟成もかなり手の込んだ戦略で管理していました。新しいオーナーは、これから数年のうちに素晴らしい商品をリリースできることでしょう。

 

その新しいオーナーとは、ブラウン・フォーマンのことですね。会社の買収を持ちかけられたのは、やはり辛い体験でしたか?
 
本当に辛い瞬間でしたね。南アフリカから参画していた2人のパートナーは、素晴らしい人たちでした。良好な協力関係にありましたが、彼ら自身の事業が重要な局面を迎えていて、やむなく撤退せざるをえない事情もあったのです。それまでも理想的なパートナーだったので、彼らを支援するために納得して事業を手放しました。でもやり残したことがたくさんあったので、非常に残念な思いはありました。
(つづく)
 

 

日本市場向け限定商品

グレンアラヒー12年 オロロソ&PXシェリーカスクフィニッシュ


アルコール分:58.8%

容量:700ml

発売日:2025年2月


価格:オープン価格

 

 

 

会場協力

 

     カスクストレングス CASK strength

  •      【住所】東京都港区六本木3-9-11 メインステージ六本木B1F
  •      【電話番号】03-6432-9772
  •      【営業時間】18時~goodtime
  •      【休日】日曜日
  •      【Web】 http://cask-s.com

 

 

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