先史時代の古墳に、宇宙の光が差し込んでくる。アイリッシュの伝統復活を目撃すべく、ボアン蒸溜所を訪ねた2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

ダブリンの北方にあるミーズ県は、肥沃な田園地帯が広がるのどかな土地柄だ。そんな風景の奥深くに、5,000年以上の歴史を持つ古墳「ニューグレンジ」がある。

古墳には中央の空間に続く長さ19メートルほどの羨道があり、その壁や天井が芸術的な巨石で装飾されている。この横穴は古墳のただの通路ではない。年間で最も日が短い冬至の朝になると、この細長い羨道を通って朝日がまっすぐ差し込んでくる。中央の部屋を朝日が照らすのは、およそ17分ほどだ。このような天体の配置を計算した設計に、後世の私たちはただ驚嘆するばかりだ。

このニューグレンジは、アイルランド島で最も有名な先史時代の遺跡として世界遺産に登録されている。ここから東に6キロほど進んだドロヘダの町に、アイリッシュウイスキーの新鋭として注目されるボアン蒸溜所がある。

ボアン蒸溜所の社長を務めるパット・クーニーは、ドリンク業界でさまざまな事業を手掛けてきた人物。長年の夢をかなえたウイスキーづくりは、4人の子どもたちも参画するファミリービジネスだ(メイン写真)。

ボアン蒸溜所が最初に発売したウイスキーの名は「ソルスティス」だ。英語で冬至または夏至を意味する言葉である。もちろんニューグレンジの遺跡にあやかったのネーミングである。ウイスキー自体は3年熟成のシングルポットスチルウイスキーで、熟成にはペドロヒメネスのシェリー樽(サイズはホグスヘッド)を使用している。

その後に発売された夏と冬の限定版も、「ソルスティス」の名前を引き継いでいる。アイリッシュの伝統を追求したシングルポットスチルウイスキーは、ボアン蒸溜所の哲学と実践を力強くアピールしている。

ドロヘダの町には、かつて18軒もの蒸溜所が存在した時代があった。しかし1850年代に最後の蒸溜所が閉鎖されると、長らくウイスキー生産の伝統は途絶えることになった。その一方で、ドロヘダでは1968年までアイルランド特有のウイスキーボンディング事業が続いていた。これは他地域の蒸溜所からニューメイクスピリッツを購入し、自社所有の貯蔵庫と樽で熟成した原酒をボトリングするビジネスである。

長い沈黙の時代を経て、ドロヘダにおけるウイスキー製造の伝統が復活したのは2016年のこと。その立役者こそがボアン蒸溜所である。この事業は、パット・クーニーを社長とするクーニー家のファミリービジネスでだ。パットにはサリー=アン、ピーター、パトリック、ジェームズという4人の子供がいる。

クーニー家はアイルランドの飲料業界で豊富な経験と実績があり、小規模な独立系ボトラーだったグリーソン・グループを年間売上高3億ユーロ超の企業に成長させて2012年に売却した。

そんなパット・クーニーは、自分の蒸溜所を開業したいという夢を長年にわたって抱いていた。その夢が実現したのは、皮肉にもアイルランドの伝説的な「ケルトの虎」経済(1995〜2007年のアイルランドにおける急速な経済成長)が失速したときだったのだという。

経済成長が終わった2008年から2009年にかけて、ドロヘダで営業を続けてきた高級自動車販売店が倒産した。その建物と跡地が、蒸溜所の建設地を探していたパットの目に留まる。そして建物ごと新しいウイスキーづくりの拠点とすることに決めたのである。
 

シングルポットスチルへのこだわり

 
旧自動車販売店の広大なショールームは、ビール醸造(発酵)、蒸溜、ボトリングを統合した施設に改装された。その後2019年になって、当初は事業の一部だったビール製造とシードル製造をカーロウ・ブリューイング・カンパニーに売却。クーニー家が購入していた別の建物が貯蔵庫として再利用されることになり、そこに大規模なソレラシステムも導入された。

蒸溜所には、イタリアのグリーンエンジニアリング社に特注した3基の銅製ポットスチルが設置されている。スチルは初溜器(ウォッシュスチル)、中溜スピリットスチル)(インターミディエイトスチル)、再溜(スピリットスチル)が3回蒸溜に対応する。ディレクターのサリー=アン・クーニーが、このスチルの性能について説明してくれた。

「この3基のスチルには、特許取得済みのナノテクノロジーが組み込まれています。蒸溜工程で、従来型のポットスチルに比べて銅とスピリッツの接触を6倍にまで増やすための仕組みです。中溜器と再溜器のラインアームには、精溜制御装置も取り付けられています。このような機構によって、生産するスピリッツのスタイルを細かく変えられるのが特長です」

アイリッシュ伝統のポットスチルによる3回蒸溜。主要な原料となる未製麦の大麦は、油分が多いため2回蒸溜に適さない。

蒸溜所名の「ボアン」とは、近所を流れるボアン川を創造したとされる女神の名だ。伝説によると、ボアン(アイルランド語の綴りは「Bóinn」)は詩、豊穣、知識の女神でもある。

この地はボアン川の戦い(1690年7月)の舞台となり、カトリックのジェームズ2世の軍勢がプロテスタントのウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)の軍勢に敗れた古戦場だ。アイルランドがイングランド王の勢力に屈し、プロテスタントの支配が確立された出来事である。英国領の北アイルランドとアイルランド共和国の人々にとって、今でも忘れられない象徴的な土地なのだ。

アイルランドの歴史と伝統は、ボアンのチームにとっても深い意味を持っているのだとサリー=アンは語る。

「私たちがここで蒸溜するウイスキーは、その90%がシングルポットスチルウイスキーです。あとは年に何度か少量のシングルモルトウイスキーも生産します。蒸溜されたスピリッツのほとんどは、当社のウイスキー『ザ・ホイッスラー』シリーズにブレンドされる原酒のストックとなります」

シングルポットスチルウイスキーは、ボアン蒸溜所の事業にとって絶対に欠かせないものだとサリー=アンは力説する。

「シングルポットスチルこそが、当社の専門分野だからです。でも全製品がシングルポットスチルアイリッシュウイスキーと表示できるGI(地理的表示)の定義に準拠しているわけではありません。これまでに40種類のレシピを使用してきましたが、なかにはシングルポットスチルとは名乗れない例外もあるんです」

ボアン蒸溜所のマッシュビルを構成する重要な穀物原料として、オーツ麦とライ麦を忘れてはならない。現在のシングルポットスチルアイリッシュウイスキーの定義によると、大麦モルトと未製麦の大麦以外の穀物は5%以下に留める規則がある。だがアイリッシュウイスキー業界には、この大麦以外の穀物原料の許容量を30%まで引き上げようという動きがあるのだとサリー=アンは説明する。

「定義の変更に向けて、現在EUで検討が進められているところです。現在の規定には準拠していないスピリッツでも、ボアンにとっては個性を打ち出せるコアな原酒として大切にしています。オーツ麦とライ麦のスピリッツはオイリーかつスパイシーで、粉砂糖のような独特の風味をもたらしてくれるからです」
(つづく)