ブリュードッグとモルトウイスキー【後半/全2回】
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文:ピーター・ランスコム
ブリュードッグの蒸溜部門は、当初「ローンウルフ蒸溜所」という名称で出発した。この名称は、現在もジンのブランド名として使用されている。蒸溜設備は2015年から導入され始め、倉庫の片隅に置かれたスチルでスピリッツの蒸溜が始まった。そしてローンウルフ蒸溜所のウイスキーは、2017年に初めて樽詰めされた。
ブリュードッグ・ディスティリング・カンパニーの社長を務めるスティーブン・カースリーは、2015年からこのプロジェクトに参加している。それ以前には、スコットランド最大のウイスキーメーカーであるディアジオで経験を積んだ。インヴァネス北部のアルネスにあるティーニニック蒸溜所などの蒸溜所で勤務し、現場の責任者を務めている。グラスゴー大学で化学を学んだ後、ヘリオットワット大学で醸造と蒸溜の修士号を取得した専門家でもある。
カースリーは蒸溜事業を運営する責任者として、2023年から現在の建物に事業を移転した。ブリュードッググループ全体を管轄するマーティン・ディッキーも、ウイスキーづくりには深く関わっている。
ディッキーは叔父が経営するアバディーンシャーの大麦農場周辺で育ち、オークニー諸島の親戚を訪ねた際にハイランドパーク蒸溜所で過ごしたこともある。ウイスキーはディッキーの人生に大きな影響を与える存在だったのだとカースリーは説明する。
「マーティン・ディッキーから、ウイスキーへの情熱が消えたことは一度もありません。彼と私には共通点がたくさんあるんです。ウイスキーを愛し、ヘリオットワット大学でウイスキーのつくり方を学び、ウイスキー業界でさまざまな職務に就いていたこと。私は大学時代の夏休みにオーバンのツアーガイドとして働いていたし、マーティンはダンカンテイラーに雇われてハントリーの貯蔵庫で働いていました」
現在のマーティン・ディッキーは、自社の農場でライ麦や大麦などの穀物を栽培している。栽培する大麦品種もロリエット、コンチェルト、マリスオッター、ゴールデンプロミスなどと多彩だ。カースリーはディッキーの農場で収穫された穀物を使用し、積極的にモルト原酒を蒸溜しようと考えている。革新的な垂直農場を設計し、そこで葉野菜やハーブを栽培する目標もある。
革新的な品質至上主義
そのようなカースリーの実験精神は、生産工程全体に反映されている。蒸溜所のスチルは、実にバラエティ豊かだ。糖化工程では、スコットランドで唯一マッシュフィルターとラウタータンの両方が使用できる。
そしてもちろん、ブリュードッグがビール造りで培ってきた製粉、糖化、発酵の専門知識もフル活用している。 麦汁は道路を挟んだ醸造所からパイプを通って蒸溜室へ流れ、蒸溜室内のウォッシュバックで発酵される。
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カースリーは標準的な優良ウイスキー酵母(M 株)を基本としながら、赤ワイン、コニャック、ラム酒などに使用される酵母も組み合わてきた。これは長年にわたる実験的な香味研究の実践である。麦汁の殺菌にも力を入れて、菌環境の制御を重視しているのだという。
「伝統的な発酵法では乳酸菌が繁殖し、望ましい風味の形成を制御できなくなる可能性があります。ブリュードッグの風味は、酵母と長鎖エステルのはたらきを最大限に引き出しながら、酵母が活動する環境を制御して風味の悪化を防ぐことで生み出されます」
特別設計の貯蔵庫は、温度と湿度を変えながらさまざまな地域の熟成環境に似せられる。これもまた斬新で画期的なアプローチといえるだろう。
「温度が26℃、湿度が75~80%のような熟成環境を確保しています。庫内に入ると湿度が顔全体で感じられて、まるでフロリダ旅行で飛行機から降りたときのような感触ですよ」
カースリーは笑いながら説明する。ウイスキーの生産拡大に伴い、伝統的な貯蔵庫も建設中だ。だがバーボン樽とオロロソシェリー樽の両方で熟成した樽は、そのほとんどがあくまで特別設計の貯蔵庫で一定期間にわたって貯蔵される予定である。
大規模なビール醸造会社が所有しているからといって、価格が急上昇中の熟成樽をしっかり確保するのは難しいこともあるとカースリーは説明する。
「ブリュードッグが無限の資金力を持っているように誤解する人もいますが、実際そんなことはありません。この蒸溜所もブリュードッグが運営するビジネスですが、それでも単体で独自の実績を積み重ねなければならないからです」
ビール人気の恩恵を受けてはいるが、あくまで実利主義に根ざした製造方針なのだ。ウォッカ、ジン、ラム、テキーラ、カクテルなどの品質がしっかりと保てるように維持しなければならないとカースリーは言う。
「このような品質に問題があれば、高価な樽材に投資したり、ウイスキー製造にかかる他のコストを正当化するのも難しくなりますからね」
急成長ゆえの歪みを乗り越えて
これほど大きなビジネスに成長する過程では、ブリュードッグにもつまずきがあった。元従業員グループが、社内の「恐怖文化」と新入社員に対する「有害な態度」を公開書簡で批判したのは2021年のこと。労働組合「ユナイト」は、ジェームズ・ワットを「これまで交渉した中で最も不誠実な上司の一人」と非難した。さらにはブリュードッグが自発的な「リアル・リビング・ウェイジ(本当の生活に必要な賃金)」から撤退して、最低賃金のレベルにまで給与水準を下げたことも厳しい批判の対象になった。
これを受けてジェームズ・ワットは2024年5月にブリュードッグの最高経営責任者(CEO)を退任。後任のCEOは、2023年9月にブーツ・オプティシャンズから移籍してきた最高執行責任者(COO)のジェームズ・アローが務めることになった。そしてアスダやパンドラの元CEOを務めたアラン・レイトンが、2021年後半に会長として迎えられた。
ジェームズ・ワットの退任は、企業文化を変えたのだろうか。カースリーが答える。
「ジェームズ・ワットが最後の年に取り組んだのは、自分が退任できる状態にまで会社を成長させることでした。ジェームス・アローが当初COOとして入社し、さらにはCEOに昇格したことでスムーズに経営が移行できました。蒸溜チームについて言えば、私たちの企業文化はここで製造するスピリッツに敬意を払い、製造に貢献するすべての人々に大きな敬意を抱き続けることが基本になっています」
ウイスキー蒸溜所がクラフト蒸溜所であるか否かは、一般的に純アルコール換算の年間生産量によって決められる。だがカースリーにとって、この生産量の問題はやや複雑である。なぜならここでは何種類ものスピリッツを製造するので、各々の需要に応じて生産量が変動していくからだ。
蒸溜所のスタッフは現在12名体制だ。現場のオペレーターは、週5日で9時間勤務の2交代制となっている。初めてのスコッチウイスキーを発売する頃には、純アルコール換算で年間約150,000Lのウイスキーを生産できるだろうというのがカースリーの見込みだ。
ブリュードッグのウイスキーが出来上がる日は、刻一刻と近づいている。カースリーが予測するところによると、2026年に最初のウイスキーが店頭に並ぶだろう。それまでに、このウイスキーブランドは新しい名前で呼ばれることになるかもしれない。蒸溜所の革新性を反映し、かつウイスキー愛飲家を惹きつける適切な名前が必要だ。