シングルカスクのブローカーが活躍中【前半/全2回】
文:クリスティアン・シェリー
グラスゴーにあるパブ「ザ・ポットスチル」は、ウイスキーファンの聖地だ。店内はウイスキーとダークウッドが迷宮のように折り重なり、広大な宝箱のようにも見える。グラスゴーの名物であり、おそらく他のどんな他の店よりもウイスキーをきっかけとした出会いが期待できる場所。照明が落とされた店内で、膨大なメニューに目を通す。ウイスキー選びには、そこで出会ったばかりの人々から意見を聞いてもいい。棚には800本以上のボトルが並んでおり、弾んだ会話は尽きることがない。
ウイスキー愛好家にとって、ザ・ポットスチルは巡礼の目的地のようなものである。独立系ボトラー向けの原酒ブローカーとして有名になったザ・シングルカスクも、この店での出会いから生まれた。創業者であるベン・カーティスが、ある兄弟と運命的な出会いを果たしたのだ。彼らと話し込むうちに、自分たちのウイスキーをボトリングしようという話になったのだという。
カーティスは生き生きとした表情で回想する。
「店で売りに出していたウイスキーの樽を1本買おう。そして小さな樽に分けて楽しもうという話になりました。同じ原酒を樽で分けたら、義兄弟みたいで面白うそうじゃないかと。実際にその場で小樽も2本注文しました。そして後日、彼らはその樽に入っていた原酒で自分たちのウイスキーをボトリングしたんです」
そんな出来事のひとつひとつを思い返すだけで、カーティスは誇らしく感じるのだという。
「ふとした会話から、ウイスキーの仲間が広がる。樽を買って、ウイスキーに名前をつけて瓶詰めする。すべて本当に楽しい思い出ですね」
ザ・シングルカスクの活動は、ほとんどがこのような人々とのつながりに支えられている。カーティスはいつしか樽単位でさまざまなウイスキーを購入するようになり、自前でボトリングできる設備も整えた。そんな希少なウイスキーを味わってもらうため、シンガポールでバーまで開店させた。多角的なビジネスは、ザ・ポットスチルのようなバーで培われた人脈あってこそのものだ。
「ウイスキーへの愛。そしてウイスキーを愛する者同士の信頼。それがザ・シングルカスクの存在意義なのです」
そう語ってくれたのは、グローバル・セールス・マネージャーのトーステン・ツィマーマンだ。インタビューに同席したのは、シンガポールでバーの運営を統括するブレンダン・アシャー・ピライ。広報とマーケティングを担当するアンナ・ガルも加わった。Zoomの画面越しに会話は弾む。みんなの話を聞いていると、ザ・シングルカスクは会社というよりも独立した個人の集合体であるという確信が深まってくる。
原酒のブローカーを志した理由
もともとカーティスはアジア地域で洋酒の販売に携わっていた。当初はウイスキーについて多くを知らなかったのだという。それがインドネシア、タイ、シンガポールで、グレンファークラスの輸入販売を担当するようになった。
「ワインには詳しかったけれど、ウイスキーの経験はありません。短期間でウイスキーについて学ばなければならなかったんです」
そう振り返るカーティスはスコットランドを訪れ、2週間半で67軒もの蒸溜所を訪問した。印象に残ったのは、グレンゴイン、タムドゥ、そして独立系ボトラーズ各社。スコッチウイスキーに関する知識は、一気に広がっていった。そして2011年、彼はモルト・ヴォルトという名の事業を引き継ぐことになる。
皮肉なことに、ザ・シングルカスクはこの時期の失敗から生まれた事業なのだという。それはある蒸溜所から購入した4本の樽入り原酒が発端だった。原酒を購入したのはいいが、そのウイスキーを売るのに8年もかかってしまった。
「それだけ品質に見合わない金額で買わされてしまったということ。その樽を売りつけてきた相手は、今でも天敵ですね」
それでも樽入り原酒の購入は続け、各地のバーやレストランに売り込みに出かけた。カーティスは微笑みながら当時を振り返る。
「売り込みは楽しかったですよ。でもウイスキーの在庫がどんどん増えていきました。どうやって捌いていこうか考えた末に、バーを開こうと思いついたんです」
そして2016年初頭、シンガポールのブレンダン地区でウイスキーバー「ザ・シングルカスク」がオープンした。場所は19世紀の修道院跡を再開発したチャイムスだ。飲食店街にひっそりと佇むこのバーは、ウイスキーファンにとって心の故郷のような場所。バーを運営するピライが説明する。
「わずか25席の小さなスペースです。友達の家のリビングルームのような感じですね」
限られたスペースだが、バーには400種類以上のスピリッツが常備されている。独立系ボトラーズやマニアックな蒸溜所のウイスキーが中心で、もちろんすべて1杯から注文できる。ザ・シングルカスクが保有するウイスキーもあり、オリジナル商品は売店でもボトルで販売しているのだとピライが言う。
「来ていただいたお客さんに、くつろいでウイスキーを味わっていただく。そして何よりも楽しんでもらいたいんです。できれば楽しんでいただくついでに、ウイスキーについて学んでくれたらいいですね」
バーでは定期的にイベントやテイスティング会が開催されている。ゲストからはどんな質問でも受け付け、刺激的な学びの場になっているのだという。
バーの名称の通り、チームはシングルカスクというカテゴリーに注目するようになった。カーティスにとって、シングルカスク商品を発売する夢が芽生えたのはグレンファークラスの仕事をしていた時期だった。スコットランドの蒸溜所巡りが、自分の興味を確固たるものにしたのだという。
「もう6代も続いている一族経営の蒸溜所で、父と息子が年に一度だけ1つの樽を選んでシングルカスク商品を出していたりする。そんな光景を見てきました。もちろんこのようなファミリーカスクのシリーズは、コレクターズアイテムでもあります。いろんな意味でシングルカスクの魅力に取り付かれていきました」
そんなカーティスにとっても、シングルカスクはまだミステリアスな存在だったのだという。
「同じ日に蒸溜され、同じ日に樽詰めされて、樽材も同じ。完全に同じだと思われる原酒同士が、なぜまったく違う香味を表現しているのだろう? この違いは、いったいどこから来ているんだろう。そんな疑問が尽きませんでした。ウイスキーの希少性に惹かれた部分もあります。飲んでなくなったら、それで完全におしまい。そんな世界に魅せられて、シングルカスクに特化したブローカーになっていったんです」
(つづく)