フランスのケルト文化【前半/全2回】
文:マルコム・トリッグス
フランスのウイスキーと聞いて、意外な気がする人もいるだろう。しかしここがケルト文化とのつながりも深い北部のブルターニュ地方であることを考えれば、ウイスキーの蒸溜所があっても驚くにはあたらない。
ブルターニュ地方には数軒の蒸溜所があり、ケルティックウイスキー蒸溜所はもっとも長い歴史を持つ生産者のひとつだ。創業した1997年以来、ブルターニュの北海岸で静かにモルトウイスキーを生産している。
創業者のジャン・ドネーとマルティーヌ・ドネーの夫妻は、蒸溜所を建設する以前からスコットランド(主にアイラ島)産のウイスキー原酒のブレンドを試みていた。故郷であるコートダルモール県は、一年を通じて温暖で湿度も高い。そんな気候がウイスキーづくりに適していると考えたドネー夫妻は、スピリッツをつくり始めるとすぐにフランスだけでなく本場スコットランドのウイスキー業界にもその名を知られるようになった。
フレンチウイスキーという概念を訝しく思う人の多くは、フランスがブランデーで実践してきた熟成蒸溜酒製造の専門知識を軽視している。しかしなかにはフランス人がスピリッツづくりに熟練していることを認めつつも、ウイスキーの本場には成り得ないと考える人もいるようだ。
だが近年のウイスキー界には、大きなひとつの傾向があると断言しておこう。それは、今やウイスキーが世界規模の産業であるということだ。
ケルティックウイスキー蒸溜所は、最近になって国際的な蒸溜酒製造販売会社であるメゾン・ヴィルヴェールに買収された。ブルターニュ産のウイスキーが単なる観光客向けのウイスキーという評判を払拭するには、国際的なアワードでの受賞歴がますます重要になってきている。
しかしブルターニュのウイスキー生産者の精神や哲学を真に理解するには、現地を実際に訪れてそのライフスタイルを体験し、何よりもブルターニュ特有の職人気質を実感することが大切だ。
フランスでも異質なブルターニュの風土
パリからブルターニュへ鉄道で向かう。ブルターニュ地域圏の首府レンヌからさらに北西へ伸びる路線で、それまで見てきた車窓の風景が一変する。この風景の変化は、ブルターニュ旅行の名物といってもいいだろう。何の変哲もないのどかなフランスの田舎が、突如としてまったく異質な世界に変わってしまうのだ。
大西洋に突き出たブルターニュ半島は、メキシコ湾流と西風に晒された場所だ。ピンクの花崗岩の海岸線と松林に囲まれた天然の良港が点在し、海岸線の長さも灯台の数もフランス全体の3分の1を占める。この風景の美しさは原始的で、英国南西端のコーンウォールにもよく似ている。
ブルターニュのすぐ北には、英国のグレートブリテン島がある(ブルターニュの英語名はブリテン)。そのためブルターニュと英国には、気候以外にも多くの文化的な共通点が感じられる。ブルターニュ人がみな愛国者とまで言うつもりはないが、自分たちの誇り高きアイデンティティを守ろうという気持ちは強い。口述で受け継がれてきた民間伝承も多く、ブルトン(ブルターニュ語)は独立した古語として保護の対象になっている。
つまりブルターニュが似ているのはコーンウォールだけではない。ウェールズ、マン島、アイルランド、そしてもちろんスコットランドも、すべてブルターニュと同じケルト文化のいとこなのだ。スコットランド人の両親を持ち、コーンウォールに生まれた私は、ここブルターニュにまるで故郷のような親しみを感じる。
ケルティックウイスキー蒸溜所の建物は、17世紀に建てられた農家の一室を改装したもの。ほぼ4世紀前から変わらない小さな建築からは大西洋を一望できる。東へ向かって潮が激しく流れ、大渦巻きの中には岩だらけの小島イル・ヴィエルジュが見える。この島には世界で最も高い石造りの灯台があり、今でも現役で夜の海を照らしている。
蒸溜所内では、製麦された大麦モルトがポンプで木製マッシュタンに送られ、出来上がった麦汁はオレゴンパイン材の発酵槽(2槽)に移される。発酵で使用されるのは土着の酵母で、これがスピリッツに蒸溜所固有の特性を授けている。
蒸溜に使用されるのは、銅色というよりも深紅色に近い素朴なポットスチルだ。スチルはもう何年も磨かれておらず、赤レンガの壁でできたガス燃焼炉の上に置かれている。この光景からも、蒸溜設備がコニャック製造の設備によく似ていることがわかるだろう。スコットランド式(木製、オープントップ、屋外)でありながら、蛇管式のコンデンサーはコニャックづくりの定番だ。事実、コニャック製造ではコンデンサーがレ・セルパンタン(コイル)と呼ばれていた。
(つづく)