富嶽蒸溜所のウイスキーづくり【前半/全2回】
文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン
富士山麓の富士吉田市で、ベンチャー企業が新しいウイスキー蒸溜所を設立するらしい。そんな噂は、もう数年前から流れていた。製造開始から1年が経過し、日本のクラフトウイスキー界でもその高品質が話題になっている。そろそろ現地で実態を確かめなければならない。
富嶽蒸溜所に到着すると、SASAKAWA WHISKY創業者で代表取締役の笹川正平さんが出迎えてくれる。笹川家はもともと酒造業を営んできた家系であるという。
「先祖は江戸時代に大阪府箕面市で酒造業を始めました。祖父の良一が別の道に進むまで、100年以上も酒造りに携わっていたんです」
祖父の良一と父の陽平は、社会課題の解決を通して日本の発展に貢献しようと力を注いできた。そんな一族の糸をたどるようにして、正平さんはかつて家業でもあった酒造の伝統を再開させたいと考えるようになったのだという。
「以前はフジテレビのプロデューサーとして働いていましたが、7年前に会社を辞めました。家業の酒造りを再開したい、でも今度はウイスキーをつくりたいと父に相談してみました」
子供時代からラグビーを始めた正平さんは、やがて発祥の地である英国の文化にも惹かれていく。ラグビー熱が高じてスコットランドを訪れた際に、初めてウイスキーを口にしたのだという。
「豊かな風味に驚かされました。まさに人生を変えるような出会いです。そのときから、自分でもウイスキーをつくってみたいという夢で頭がいっぱいになりました」
理想的な創業地との出会い
蒸溜所の建設地を探し始めた笹川正平さんには、意中の場所があった。それがここ富士吉田市である。
「父が40年ほど前に富士山麓で別邸を建てました。私もよく訪れていたので、周囲のことはよく知っています。この地に蒸溜所を建てたいと思った最大の理由は、やはり清らかな水。天然水のボトリング会社がたくさんあるので、良質な水がふんだんにあることは知っていました」
それでも蒸溜所の建設地を確保するまでには、かなりの紆余曲折もあったという。
「土地を購入するのに苦労しました。天然水を採取する会社がたくさんあって、このあたりの土地を所有しています。当然のことながら、所有している土地の一部だけを売ってもらう交渉は大変でした。でも市役所に足繁く通ううち、ある会社が土地を売却するという知らせが届いたんです」
このチャンスを逃してはいけない。そう確信した正平さんは2021年に首尾よく土地を購入。父の別邸から、わずか5分の場所という嬉しい偶然も重なった。深さ200メートルの井戸を掘り、雪解け水が何十年にもわたって濾過された湧き水を汲み上げる。こうしてウイスキーづくりの冒険は本格的に始まった。
折しも新型コロナウイルスが流行し、ウクライナ戦争が世界経済に打撃を与えていた頃。蒸溜所の建設も予想以上に時間がかかり、建物と設備が完成したのは2023年11月のことだった。記念すべき最初の初溜は2023年11月7日、再溜はその翌日におこなわれた。
蒸溜所の施設は、入口でつながった2つの主要な建物から構成されている。建物のひとつは製造棟で、もう一方には貯蔵庫とウイスキーラウンジがある。建物全体の半分くらいを占めるウイスキーラウンジは2階にあり、大きなガラス窓から建物の残り半分を占める第1貯蔵庫の樽が見える。
ウイスキーラウンジは、プライベートカスクのオーナーやゲストがくつろげる場所。すべての家具(梁やバーカウンターも)がミズナラ材で組み上げられた居心地のいい空間だ。製造棟も印象的で、大きなガラス窓からは素晴らしい富士山の威容が見晴らせる。
「アイラ島を旅行したとき、アードナホー蒸溜所を訪れました。アードナホーの大きな窓からは、有名なジュラ島の山々が見えます。あの眺めに感動して、ここも似たような場所にしたいと思ったのです」
(つづく)