個性的な歴代オーナーが、ウイスキー市場の変遷を乗り越えてきた。シェリー樽熟成の芸術を極めるため、グレンドロナックは今でも進化を続けている。

文:ライザ・ワイスタック

 

ブラウンフォーマンがグレンドロナックを買収したのは2016年のこと。同系列のベンリアックとグレングラッサも傘下に収めた。この3軒の蒸溜所はいずれもハイランド地方北部にあり、互いにおよそ60kmほど離れた三角形の位置にある。

ブラウンフォーマンの前にも、さまざまなグレンドロナックの歴代オーナーがいた。その中には、風変わりな人物もいたようだ。 グレンドロナック創業者のジェームズ・アラダイスは、1826年にボインズミル蒸溜所でウイスキーの生産を開始した。当時は、ゴードン公爵が議会でウイスキー生産の合法化法案を推進してからわずか3年後。違法蒸溜が横行し、酒税徴収官が毎月1万個もの密造蒸溜器を押収していた時代でもある。

オーナーが変遷するたび、シェリー樽熟成の重要性がアップデートされてきた。しかしレイチェル・バリーいわく、グレンドロナックの最盛期はまだこれからだ。

ウイスキー生産の合法化が可決されると、公爵の友人であるアラダイスが本格的に動き出した。アラダイスは、ロンドンの宮廷で公爵の友人たちと交流することが多くなった。「アラダイスは、自分が販売するウイスキーよりも多量のウイスキーを飲んでいたかもしれません」とブキャナンは言う。アラダイスは自他ともに認めるアイデアマンで、シングルモルトウイスキー商業化の先駆者となった。

ジェームズ・アラダイスは、茶目っ気のある悪戯好きとしても知られていた。よく知られているエピソードのひとつに、エディンバラの娼婦2人を巻き込んだものがある。エディンバラでの営業訪問が不調に終わった日、アラダイスは2人の娼婦をホテルの部屋に招き入れて自分のウイスキーを振る舞った。

翌日から、娼婦の知人たちが自分用の「グレンドロナック」を手に入れようと動き回った。需要の高まりを意識した街中の酒屋が、グレンドロナックを切らさないように注文を入れてくるようになったのだという。それでもアラダイスが最も賢明なビジネスマンではなかった。アラダイスは1837年に蒸溜所を火災で焼失し、1842年までに破産している。

アラダイスの後を継いだオーナーは、ティーニニック蒸溜所も保有していたウォルター・スコットだ。スコットはアラダイスに欠けていた正統なマーケティング手腕を発揮した。販促活動を強化し、市場でグレンドロナックの存在感を高めたのだ。

スコットの指揮下で、グレンドロナックは地域最大のウイスキーメーカーとなった。そして1860年代には、ハイランド地方の蒸溜所で税金の支払額が1位となる。これほどまでに自立した企業となるのは、並大抵のことではない。グレンドロナック蒸溜所は辺鄙な場所にあり、スペイサイドにある多くの蒸溜所のように鉄道沿いに立地していた訳でもなかった。そのため原料の搬入やスピリッツの搬出に余分な費用がかかっていたのだとブキャナンは言う。

「まったく不利な場所にありますから、当時は月に住んでいるような気分だったでしょう」

グレンフィディック蒸溜所創設者の息子であるチャールズ・グラント大佐が、1920年にグレンドロナック蒸溜所を購入する。グレンドロナックをシングルモルトで有名にしたいという、アラダイスのビジョンを継承したのはこのグラント大佐だ。

グラント大佐の指揮下で、ボトルのラベルには「完璧なシングルモルトウイスキー」という文字が記された。ラベルには「薬用に最適」とも記載されていたが、これはグラント大佐が抜け目ないブランディングの専門家だった証拠でもある。
 

さまざまな変遷を経て新しい未来へ

 
そして1960年にはウィリアム・ティーチャー&サンズが蒸溜所を買収し、グレンドロナックの原酒は「ティーチャーズ」のブレンドの要となった。その6年後にウィリアム・ティーチャー&サンズが窓付きの蒸溜棟を建設し、蒸溜器の数も4基に倍増させた。

さらに1976年になるとアライド・ディスティラーズが経営権を取得する。しかしウイスキー市場の低迷により、1996年には閉鎖を余儀なくされてしまった。それでもアライド時代には「グレンドロナック 12年」「グレンドロナック 15年」「グレンドロナック 18年」の主力商品を発売して後世の基礎を作った。世界的なウイスキー業界が成長と縮小を繰り返し、新しい流行が浮かんでは消える中で、グレンドロナックの主力商品は現在もブランドの要となっている。

圧倒的な個性を打ち出すこアレンジに加え、プレミアムな商品も次々とリリースする。グレンドロナックの進化は止まらない。

蒸溜所は2002年に操業を再開したが、間もなくペルノ・リカールに買収される。この時にフロアモルティングは廃止され、蒸溜棟の加熱方式が石炭の直火から蒸気の間接に変わった。そして2008年にはベンリアック・ディスティラリー・カンパニーが所有権を取得。著名なディスティラーのビリー・ウォーカーが、あらためてシェリー樽熟成に重点を置いた。

ブラウンフォーマンが買収した後は、蒸溜所設備の拡張と新商品の発売に力を入れている。物理的にも、哲学的にも、これまではブランド価値の拡張に重点が置かれてきた。

グレンドロナック蒸溜所は、2020年にビジターセンターを改装した。ショップ、テイスティングルーム、ウイスキーバー、ラウンジなどを刷新し、グレンドロナックの歴史的な商品が展示されている。その目玉は1913年に瓶詰めされた最古のウイスキーだ。さらに2022年には、ブラウンフォーマンがグレンドロナックに3000万ポンド(約57億円)を投資すると発表。この資金は、歴史的建造物の保存と旧製麦工場の修復に充てられる。この旧製麦工場は、酵母や衛生管理施設となっている。改修が2026年に完成する頃には、生産能力も倍増している予定だ。

昨年はウイスキーのパッケージを一新し、さらに「マスターズ・アンソロジー」も発売した。これは3種類のウイスキーによって構成されたシリーズで、「オード・トゥ・ザ・バレー」(ポート樽とシェリー樽)、「オード・トゥ・ザ・エンバーズ」(ピーテッドスタイル)、「オード・トゥ・ザ・ダーク」(ペドロヒメネスシェリー樽)である。今年の後半には21年熟成、30年熟成、40年熟成のウイスキーを追加した「ウルトラ・プレミアム・コア・シリーズ」が順次発売される予定である。これはグレンドロナックにとって、シェリー樽熟成を押し出す新たな物語の幕開けとなるだろう。レイチェル・バリーが語る。

「グレンドロナックのメッセージは、すべてがシェリー樽熟成の芸術にまつわること。発売されるすべてのウイスキーに、ファーストフィルのシェリーが使用されています」

新しいグレンドロナックのウイスキーには、例外なく二面性が宿っているとバリーは言う。

「常にここにあった香味ですが、かつて表現されたことのないバランスで仕上がっています。チョコレートとタバコの香りがほのかに漂うしっかりとした味わいで、同時にスペインオークならではの趣きもあるんです。つまり複雑さとフルーツ香が深まって、一流シャトーのワインのような素晴らしさに結実しています。グレンドロナックの全盛期はこれからですよ」