ジョニーウォーカーを擁するディアジオが、4箇所のモルトウイスキー蒸溜所でビジター体験の刷新を進めている。ローランドのグレンキンチー蒸溜所を訪ねた2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

ディアジオ傘下の蒸溜所を訪ね、「屋内の設備は、好きなだけ写真を撮ってもいいよ」と言われて驚く。これは大きな時代の流れを感じさせる変化である。

ディアジオの蒸溜所といえば、かつてはカメラの使用さえ禁止されていたものだ。蒸溜所ツアーも、ほとんど検閲が目的なのではないかと思うほど自由がなかった。だがそんな時代も終わりのようだ。

「スコットランドの庭園」と呼ばれるイーストロージアン地方。グレンキンチー蒸溜所でも、美しい庭園が来場者を出迎える。

変化の口火を切ったのは、ローランドのグレンキンチー蒸溜所である。場所はエディンバラの南西約27キロ。数百万ポンド(数億円)の巨費を投じた新しいビジター体験は、ダブリンのギネス・ストアハウスも手掛けたBRCイマジネーションアーツ社が請け負っている。

近年のディアジオは、スコッチウイスキーのビジターセンターを改修するのに総額1億8500万ポンドに及ぶ巨費を投じている。ビジターセンターがあるのは、ディアジオいわくスコットランドの「4つのコーナー」に所在する蒸溜所。すなわちグレンキンチー、カーデュ、クライヌリッシュ、カリラである。

この4箇所のビジターセンターは、ジョニーウォーカーブランドの本拠地であるエディンバラの「ジョニーウォーカー・プリンセスストリート」と深いつながりを持ってデザインされる予定だ。グレンキンチー蒸溜所における改修は、このプロジェクトの口火を切るものと位置づけられている。

各蒸溜所に併設されたビジターセンターは、特別に熱心なウイスキーファン以外のビジター層を取り込むことに主眼が置かれている。それがディアジオの大きな狙いなのだ。

通常のビジター向けツアーは「フレーバー・ジャーニー・ツアー」と名付けられている。販売数や生産規模などを誇るのではなく、スピリッツの特性を理解してもらうのがツアーの主目的だ。巨大なグレンキンチーのスチルを背景にして、インスタ映えを狙った撮影スポットまで用意されている。
 

ジョニーウォーカーブランドとの一体感

 
蒸溜所長のラムゼイ・ボースウィックが、次のように説明してくれた。

「スコットランドの地図を見ると、ちょうど四隅にあたるような場所にディアジオの蒸溜所はあります。これらの蒸溜所は、ジョニーウォーカーというブランドを構成する4つの巨大な積み木に例えられますが、そのひとつがグレンキンチーというわけです」

ウイスキーマニアだけでなく、幅広い来場者が楽しめるように工夫を凝らしたビジター体験。その背景には、世界的なウイスキーブランドならではの戦略がある(メイン写真も)。

それぞれの蒸溜所は、ジョニーウォーカーとのつながりを強調している。以前と大きく異なるのは、それぞれの蒸溜所のフレーバー特性を明らかにして、ジョニーウォーカーのブレンディングに統合される過程を強調している点なのだとボースウィックは語る。

「そもそもウイスキーにあまり馴染みのない人や、シングルモルトよりもブレンデッドウイスキーやカクテルに親しんでいる人たちは、シングルモルトの本拠地として神聖化された蒸溜所をアピールしてもさほど興味を覚えません。だから、そんなウイスキー特有の近寄りがたさをなくしてみようと考えたのです」

数あるウイスキーブランドの中でも、ジョニーウォーカーの知名度は世界随一なのだとボースウィックは強調する。新型コロナウイルスの流行前は、グレンキンチーもすでに年間約65,000人の来場者を迎えていた。これもジョニーウォーカーという有名ブランドの威光あってのことなのだ。

このような背景から、現在のグレンキンチーはジョニーウォーカーにおける「ローランドの故郷」としてブランディングされることになる。蒸溜所ツアーでは、グレンキンチーの歴史とジョニーウォーカーの歴史が並んで図解されている。ジョニーウォーカーの貯蔵庫の記録を見ると、グレンキンチーのシングルモルトウイスキーが初めてブレンド用原酒として登場するのは1894年のことである。
 

グレンキンチーの歴史

 
グレンキンチー蒸溜所は、農家を営むジョン・レイトとジョージ・レイトの兄弟によって1825年に設立された。当時の名称はミルトン蒸溜所で、レイト兄弟は原料の大麦を自分たちの畑で栽培していた。

グレンキンチーという蒸溜所名が最初に使われたのは1837年のことだったが、レイト兄弟は1853年に蒸溜所を地元の農家に売ってしまう。そしてウイスキーづくりをやめて、敷地内で製材所や牛舎を営むようになった。

だが1880年にスコッチウイスキーの人気が高まってくると、エディンバラのビジネスマンたちが共同で蒸溜所を買収し、グレンキンチー・ディスティラリー・カンパニーの名のもとでスピリッツの蒸溜を再開させた。1890年には大規模な再建計画が実行され、その時に出来たのが現在も残る赤レンガの建物である。

1914年、 グレンキンチーはローランドにある他の4軒の蒸溜所(クライスデール、グレンジ、ローズバンク、セントマグデラン)と一緒にスコティッシュ・モルト・ディスティラーズ(SMD)の設立に加わった。このSMDは、やがて1925年にディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL)によって買収される。そしてフロアモルティングが1968年に廃止されると、製麦設備が「モルトウイスキー製造博物館」に改修された。その後、DCLは統合を経てユナイテッド・ディスティラーズ&ビントナーズ(UDV)となり、現在のディアジオに引き継がれる。

1986年には新しい「クラシックモルト」のラインナップで、「グレンキンチー 10年」がローランドを代表する商品に選ばれた。その頃から、蒸溜所ツアーが宣伝されるようになっていたのは先見の明を感じさせる。
(つづく)