グレンオードのモルティング体験【前半/全2回】
文:クリスティアン・シェリー
インヴァネスから車でおよそ30分。周囲にはブラック・アイル半島のなだらかな丘陵や森林が広がっている。ミュア・オブ・オード村を抜けると、目指す蒸留所が現れた。
広大な自然のただなかにあるグレンオード蒸溜所は、近隣の蒸溜所からも遠く離れている。国道から下りて蒸溜所の敷地に入ると、そびえ建つ製麦塔が右手に見えた。蒸溜所の建築様式にも、周囲の農耕地にも長い伝統が息づいている。石造りの建物の中から、光り輝く銅製の設備が顔をのぞかせる。
長い歴史を意識させる周囲環境に、モダンで親しみやすいデザインが溶け込んでいる。シングルトンのシンボルカラーであるティールブルーや象徴的なサーモンのモチーフ。到着した瞬間から、古き良き時代とモダンな現代性のコントラストが心地よく出迎えてくれる。
モダンなブランディングは、伝統を強調するだけのウイスキー蒸溜所に対する建設的な批判のようにも思えてくる。スコッチウイスキーは由緒ある産業だが、若い世代の観光客にアピールする努力が乏しい時期もあった。この10年でイメージが一変したのは、有力メーカーたちによる努力の賜物でもある。
そのような戦略の象徴が、グレンオード蒸溜所の親会社でもあるディアジオ社による施設のリニューアルだ。成長が見込まれるウイスキー観光を盛り上げようと、1億8500万ポンド(約347億円)規模の投資を発表したのが2018年のこと。エディンバラには華やかな体験施設「ジョニーウォーカー・プリンセスストリート」がオープンし、ジョニーウォーカーが「スコットランドの4つのコーナー」と位置付けるモルト蒸溜所としてグレンキンチー(ローランド)、カードゥ(スペイサイド)、カリラ(アイラ)、クライヌリッシュ(ハイランド)の改装でビジター体験を強化した。
グレンオード蒸溜所の改修も、そんなディアジオのウイスキー観光強化戦略に含まれていた。動機は主に3つある。まず1つ目は、ディアジオが世界最大のシングルモルトブランドに成長させたいと考えている「ザ・シングルトン」の本拠地であること。そして2つ目は、その恵まれた立地だ。グレンオード蒸溜所は、スコットランド北部を周遊する人気の観光ルートである国道ノースコースト500号沿いにある。休暇にドライブを楽しむ観光客が、立ち寄りやすい場所なのだ。
そして最後の動機が、グレンオードに自前の製麦所があること。製麦施設を持つウイスキー蒸溜所は、スコットランドでも数えるほどしかない。全面的な改修によって、製麦工程を含むほぼ唯一無二のビジター体験を提供できるメリットもあるのだ。
ユニークなスタイルと生産力を備えた蒸溜所
グレンオード蒸溜所の歴史をおさらいしておこう。創業は1838年で、スコットランド屈指の歴史があるシングルモルトウイスキーの生産拠点だ。発酵時間は76時間で、年間1,100万リットル以上の生産力がある蒸溜所としてはかなり長めといえる。
蒸溜時間も長めで、初溜は最長で6時間をかける。効率よりも、じっくりと品質を追求するのがポリシーなのだろう。このような方針は、すべて滑らかな酒質のためでもある。現場のオペレーション責任者を務めるエイリー・ニールソンによると、グレンオードで使用される水にも深く関係があるのだという。
ウイスキー蒸溜所の仕込み水について尋ねると、普通なら単一の水源について説明がなされる。だがグレンオード蒸溜所の水源は2つあり、それぞれ大きく性質が異なっている。まさに2種類の水が得られる場所だからこそ、蒸溜所が現在の場所に設立されたのだとニールソンは語る。
「いわば天の水と地の水の2種類が手に入る場所です。ハイランドの雨が山肌を伝って、湖を潤します。この湖の水は軟かい水質です。それだけでなく、古代の地層に浸み込んだミネラル豊富な水も井戸から組み上げられます」
そんな壮大な大地の歴史を聞かされた後、蒸溜所の中に一歩足を踏み入れると別世界が現出する。たしかに外壁は昔ながらの雰囲気を醸し出しているが、内部はディアジオが誇るモダンなウイスキーツーリズムの最先端なのだ。
スコッチウイスキー協会の統計によれば、2022年には200万人以上の観光客がスコットランドの蒸溜所やビジターセンターを訪れた。グレンオード蒸溜所も2022年の大改装を経て、ウイスキー観光の波を受け止める態勢が整っている。グレンオード蒸溜所は、2024年のワールド・トラベル・アワードで「スコットランド・リーディング・ディスティラリー・ツアー賞」を受賞したばかりだ。
没入感のある銅製のエントランスをくぐると、内部には魅力たっぷりの空間が広がっている。ショップでは定番商品や限定商品が販売されており、「ボトル・ユア・オウン」のコーナーで自分だけのウイスキーも瓶詰めできる。
さらに奥に進むと心地よいバーがあり、ウイスキー、カクテル、大皿料理、デザートなどが楽しめる。天井を漂う銅の波をティールブルーの色調が彩り、洗練された照明器具とむき出しの石がムードを高める。高級バーのようでありながら、地元パブのような温かみもある空間だ。ニールソンは誇らしげに説明する。
「私たちの目標は、ワールドクラスのデスティネーションを作ること。ウイスキー愛好家や地元の人々だけでなく、ここを訪れるさまざまな人々が満足できるゲスト体験の提供です。国道ノースコースト500号からふらりと立ち寄る旅行者も含め、たくさんのお客様を歓迎するために努力しています」
(つづく)