インフルエンサーからプロフェッショナルへ【前半/全2回】
取材:マギー・キンバール
マーク・ニュートン
ウォーターフォード蒸溜所 ブランド責任者
Instagram: @mrmarknewton
まだ若い頃、家族でスコットランドを旅行した時のこと。用事もなくて暇な日、ふらっとホテルのバーに入りました。バーテンダーが「ブナハーブン12年」をおすすめしてくれて、それが人生を大きく変えることになりました。
ウイスキーについてあれこれ書きたくなり、2012年から「モルト・レビュー」というブログを立ち上げました。自分なりの考えをまとめ、知識を蓄えるのが目的です。妻が私のウイスキー蘊蓄にうんざりしていたので、何かを外部に吐き出さなければならないという事情もありました。
ブログの読者は増えていきましたが、まだSNSの炎上は珍しい時代です。コミュニティ内で、素晴らしい議論を交わすことができました。ブログがきっかけで、英国のウイスキーマガジンに執筆する仕事が一度だけ舞い込みました。
あるとき、ウェブサイトとウイスキーマガジンの両方がきっかけになり、ブルックラディ蒸溜所の元CEOであるマーク・レイニエさんにインタビューすることになりました。レイニエさんは私が書いたブルックラディ蒸溜所の記事を覚えていて、私はテロワールや地元産大麦へのこだわりを面白いと思っていました。
レイニエさんはちょうどウォーターフォード蒸溜所を立ち上げたばかりで、実は私が一緒に働いてくれるのではないかと期待していたそうです。つまり私が彼にインタビューしつつ、彼も私を面接していたんです。ウォーターフォード蒸溜所は、ウイスキー業界を変える存在だと確信していました。だから仕事のオファーには二つ返事。ブロガーをやめてウォーターフォードで働き始めました。
アリシア・バートン
ザ・スコウラー・カンパニー ウイスキー市場開発責任者
Instagram: @bourbonsipper
ケンタッキーで育った私にとって、ウイスキーは生活の一部でした。蒸溜所で働く家族を訪ねたり、祝祭用のバーボンケーキを数えきれないほど作ったり、いつもウイスキーが身近にありました。
でも私自身の人生を変えたのは、21歳の誕生日に兄から贈られた禁酒法以前のウイスキー。まるで歴史の一部を手にしているような気分になりました。その1本のボトルが、私にとってまったく新しい世界への扉を開いてくれたのです。
自由時間や週末のほとんどをウイスキーに没頭して過ごしました。テイスティングに参加したり、蒸溜所を訪れたり、レビューを書いたり、テイスティングノートを作成したり。さらにはウイスキー業界に関するポッドキャストまで配信し始めました。
そんなある日、自分がいつも月曜日を迎えるたびに憂鬱になっているとに気づきました。月曜日になると、午前9時から午後5時までの仕事に戻らなければなりません。この現実を変えなければならないと悟りました。
蒸溜所から仕事のオファーを受け、思い切ってウイスキー業界に飛び込みました。新しい世界でキャリアを築くため、全力で取り組もうと決めたのです。それは人生最良の決断のひとつになりました。現在はザ・スコウラー・カンパニーで蒸溜所に穀物の供給を担当しています。
これまでに培った情熱と技術を背景に、顧客であるウイスキー蒸溜所に本当の価値をもたらせる仕事です。さまざまな穀物ごとに、風味や収穫量などの理解を深めました。大好きな仕事に、自分の専門知識が役立っていると実感できます。とてもやりがいを感じる仕事です。
デビッド・ジェニングス
ブランド創設者兼著者
Instagram: @rbird101
大学時代は、バーボンをコカコーラで割って飲んでいました。それでも2013年からウイスキーの魅力にのめり込み、特にワイルドターキーが気に入ってブランドの歴史に魅了されました。
ワイルドターキーに関するブログ「レアバード101」を2016年に立ち上げ、それがきっかけで2020年に初の著書『アメリカンスピリッツ:ワイルドターキーの誕生からラッセルまで』を出版しました。この本の印税と2018年に立ち上げたコミュニティ「Patreon」の追加収入で執筆活動に専念できるようになり、最終的には24年間務めた銀行の仕事を辞めることができました。
ここ2年間は3つのウイスキーブランドを創設して、商品のキュレーションに携わってきました。そのウイスキーブランドとは「プライド・オブ・アンダーソン」「ラコンチュール・ライ」「ワシントン・ラファイエット」です。
「プライド・オブ・アンダーソン」はケンタッキー州ローレンスバーグの最高級樽に特化した独立系ボトラーのプロジェクト。「ラコンチュール・ライ」はルイビルにあるウッドワーク・コレクティブとのコラボレーションで、二次熟成には日本のミズナラ樽を使用しています。
「ワシントン・ラファイエット」は、私の父と取り組んでいる面白い新プロジェクト。私はアメリカンウイスキーのファンですが、父はフランスのブランデーが大好き。この2種類の蒸溜酒から、それぞれのお気に入りの要素を際立たせた製品を生み出すのが目的です。
ヘザー・ウィベルス
バーボン・ウィメン協会 マネージングディレクター
Instagram: @cocktail_contessa
テネシー州に17年間住んでからケンタッキー州に戻ってきたとき、この州の産業についてもっと知りたいと感じていました。バーボンはときどき飲む程度でしたが、40歳の誕生日に親友と家族を連れて蒸溜所3軒を巡る日帰り旅行に出かけました。
それから2013年頃に、親友とルイビルにあるフィルソン・クラブで開催されたバーボン・ウィメン協会のイベントに参加したんです。会場ではフレッド・ミニックが著書『ウイスキーウーマン』について語り、ペギー・ノー・スティーブンス、ジミー・ラッセル、ジョレッタ・ラッセル、ジョイ・ペリンといった人々も登壇していました。
私たちはその場でバーボン・ウィメン協会に入会して、活動的なメンバーとなりました。バーボンを愛する人々で構成され、それまでに体験したことがないほど懐の深いグループです。それからバーボン・ウィメン協会主催の「ピンク色のドリンクじゃない」コンテストに応募し、3年連続で優勝しました。
その後すぐ、イベントの審査と運営を手伝ってほしい、そして役員になってほしいとの依頼を受けました。今ではバーボン文化に焦点を当てた大規模な非営利会員組織であるバーボン・ウィメン協会の代表として、全米各地でイベントを企画しています。
バーボン・ウィメン協会は、数千人の会員と情熱的なボランティアグループを要する団体。ヘリテージブランド、中堅ブランド、クラフトブランドと協力しながら、ウイスキーを愛する女性たちとブランドの架け橋になっています。
(つづく)