インフルエンサーとしてフォロワーを獲得すると、自然に情報が集まってコミュニティができる。ウイスキー業界に転身するチャンスも豊富だ。

取材:マギー・キンバール

 

ケンドリック・コールマン

パーシュート・スピリッツ共同創設者
Instagram: @BourbonPursuit

バーボンのコーラ割りを深堀りするのに凝って、大学卒業後は毎週のように新しいウイスキーのボトルを購入していました。気づいたら、ボトルがいつの間にか40本になっていました。

当時の同僚が私のウイスキー熱に気づいて、限定品を売ってくれました。「オールドリップ ヴァンウィンクル」のスクワットボトル、2013年に発売された「フォアローゼズ スモールバッチ リミテッドエディション」、それに「ジェファーソンズ18年」を300ドルで分けてくれたんです。

これがきっかけで、限定ボトルを買うために長い列に並んだり、キャンプで前泊するような日々が始まりました。そしてポッドキャスト「バーボン・パーシュート」を立ち上げたきっかけにもなったのです。このポッドキャストは、当時も今も真剣にやっています。

自分のウイスキーブランドを立ち上げようなんて、考えたことはありませんでした。でもある人のアドバイスで、「ほとんどの人はブランドを立ち上げてから客集めが始まるけど、君はもうポッドキャストのリスナーがついているからラッキーじゃないか」と言われて、なるほどと思いました。

しかし蒸溜所建設の資金も、時間も、専門知識もありません。そこで私たちは、アメリカンウイスキーの業界では比較的手つかずの分野であるブレンディング事業に参入しました。ポッドキャスト「バーボン・パーシュート」のおかげもあって、全米の素晴らしいウイスキーを試飲できていました。その知識を土台に、一歩進んだ事業にできたんです。さまざまなマッシュビルとオーク樽熟成を組み合わせ、異なる州でつくられた複数のバーボンをブレンドしています。
 
 

ジェシカ・アン・ジムリッヒ

ミッドウエスト・バレル シニアスペシャリスト兼戦略的パートナーシップマネージャー
Instagram: @BourbonInsider

私がバーボンに夢中になった正確な日付は、2017年2月19日です。それまでいろいろと辛い時期を過ごしていましたが、その日は数人の女友達に連れ出され、ケンタッキー州ルイビルにある「マールズ・ウイスキー・キッチン」の会場にいました。

夕方のバーにはウェス・ヘンダーソンが立っていて、みんなに「エンジェルズ・エンヴィ」を注いでくれました。バーボンの香りが苦手だったので口はつけず、それでも礼儀としてグラスはずっと握りしめていました。でもウェス本人がやってきて感想を尋ねられたので、創業者に対して無礼なことはできないと思って一口だけ飲んでみたんです。人生を変える瞬間でした。

その年の5月には、バーボン関連のイベントでバーテンダーを務めるようになっていました。また8月にはソーシャルワーカーの仕事を辞め、ペガサス蒸溜所で働くことになりました。私の担当はバーボンツアーの企画です。

さらに転機となったのは、ウイスキー評論家であるフレッド・ミニックのアシスタントとして働き始めたこと。ただ裏方に徹していたわけではなく、テイスティングやディスカッションなどのイベントに深く関わり、ウイスキーに関する知識を深めることができました。

フレッドと働いてから4年が経ったところで、樽業界の営業職として現在の会社に採用されました。樽の取引は本当に面白く、ウイスキー業界の鼓動を感じられます。会社の名前は、ミッドウェスト・バレル。新しいキャリアにワクワクしています。そして75年間も樽製造に関わってきた一族の人と結婚しました。アメリカンオークの新樽は、これからも私の人生と共にあるでしょう。
 
 

ウェンディ・ペヴェイチ

ペネロペ・バーボン 全米ブランドアンバサダー
Instagram: @tathelanaest83

亡くなった義理の叔父から、「ブランソン」という銘柄のウイスキーを譲り受けたのがすべての始まりでした。バーボンに興味を持ち始めたとき、膨大なウイスキーコレクションを持っていた叔父に話してみたんです。それが二人を結びつける架け橋となり、楽しくおしゃべりをしたことが思い出されます。

新型コロナの世界的な大流行で外出もできなくなったとき、私は看護師として最前線で働いていました。ちょうど同じ頃、自分にはバーボンの風味の特徴を識別できる才能があると気づきました。そのうちお手頃価格のウイスキーや、必ずしも著名ではない銘柄を探す日々の活動について記録し始めました。その時に、重要な気づきがあったんです。これまでの経験をもとに、何か新しいものを作り出せるのではないかと思いました。

クラフトウイスキーに情熱を見出し、すべて独学で学んできました。ポッドキャストに寄稿して人脈を作り、素晴らしい人々と出会えたことで新しい仕事も始めました。そうやって独自に知識を蓄え、粘り強い気持ちと情熱を発揮して、州ごとの酒税法なども学んできました。そうやってペネロペ・バーボンをオハイオ州だけでなく全米各州で販売するチャンスを広げています。
 
 

ニック・ララクエンテ

サゼラック アーカイブ担当兼バーボン史研究者
Instagram: @bourbonarchaeology

米国におけるウイスキー蒸溜所の歴史に興味を持ち始めた頃から、同じ分野の研究者に指導してもらいました。膨大なウイスキーコレクションを味わいながら、豊かな知識を分けて与えてもらったものです。

地方史を研究する会議でバーボンウイスキーの歴史について講演する機会があり、それがきっかけでバッファロートレース蒸溜所から「何か古いもの」にまつわるアイデアを提案してほしいと依頼されました。そこから生まれたプロジェクトが「バーボン・ポンペイ」です。

これは考古学をモデルとして、残された遺構のみから古い蒸溜所の詳細を知る作業。密造酒の蒸溜所、農場と一体化した蒸溜所、量産型の蒸溜所を識別するには、当時の蒸溜技術や流通の発展に関する基礎知識が必要で、生産の規模、技術、歴史を通じた社会的影響についても考察します。

この「バーボン・ポンペイ」プロジェクトが終わると、私はバーボン・フェスティバルでセミナーの講師や基調講演者として招かれるようになりました。もともと働いていたケンタッキー州歴史保存局での仕事は安定していましたが、ウイスキーに関わる仕事をしている時だけ元気になれている自分に気づきました。

だからサゼラックへの入社を持ちかけられた時、ためらいはありませんでした。最初の話し合いから3週間後には、もうバッファロートレース蒸溜所に出社していたと記憶しています。