ミドルトンの新リーダー
文:マーク・ジェニングス
アイルランドのコークにあるミドルトン蒸溜所は、分量でいうとアイリッシュウイスキーの大多数を生産している。ジェムソン、レッドブレスト、ミドルトンベリーレア、グリーンスポット、メソッド&マッドネスなどの世界的なブランドを擁しているためだ。
ウイスキーを語る前に、その人自身について理解しておきたい。人となりが経営スタイルに浸透し、ウイスキーづくりに影響を与え、製品の特性に現れてくるものと考えるからだ。まずはケビン・オゴーマン本人に「周囲の友人たちは、あなたをどんな人間だと言っているのか?」と尋ねてみた。
「そうですね。どんなことにでも情熱的な人間でしょうか。スポーツが大好きです。若い頃はゲーリックフットボール(アイルランドの国技)、ハーリング、サッカーに熱中しました。今でもたくさん走りますし、ゴルフにも真剣です。忠実なタイプで、家族が何よりも大切です。ここ30年以上、お酒ひとすじに情熱を傾けてきました。もちろんウイスキーが中心です」
ケビンはコーク州ミッチェルズタウンにある酪農家で生まれ育った。この出自は、職業の選択にどのような影響を及ぼしたのだろう。
「小さい頃から、大麦を育てて収穫していたことを憶えています。一部は発芽させてモルト原料にしていたかもしれません。コンバイン(収穫機)に乗せられたときの香りを憶えています。大麦、シリアル、埃っぽさ、酵母などのにおい。とても楽しい思い出です」
アイルランドで経済不安が増していた1990年に大学を卒業し、ダブリンで就職するために故郷を後にした。ギルビーのアイルランド支社に職を得て、やがてベイリーズ・アイリッシュ・クリームに移籍。ものづくりの行程やエンジニアリングに興味があったケビンには、完璧なキャリアのスタートだったといえるだろう。だがこの時点では、まだ熱心なウイスキーファンという訳でもなかった。
「スコットランド旅行で、人生が変わるような体験をしました。ポンコツの車に乗って、4人で旅をしたんです。蒸溜所巡りが目的でした。数は憶えていませんが、とにかくたくさんの蒸溜所を訪ねました。このときからウイスキーに首ったけで、蒸溜所ごとに異なるアプローチ、酒質、伝統、風味などについて学んだのです」
ミドルトンが1998年にディスティラーを募集すると、ケビンはチャンスに飛びついた。この時点で首都ダブリンに別れを告げ、友人や両親が住む故郷へと帰還する。伝説的なマスターディスティラーである バリー・クロケットのもとで学びながら、粉砕、糖化、発酵、 蒸溜、加水などの基本行程を身に着けていった。
「バリーはアイリッシュウイスキーの象徴であり、多くを学ばせてもらいました。偶然にもブライアン・ネイションが私の前年からここで働いていたので、彼とは22年も一緒に働いたことになります」
そのブライアン・ネイションこそ、ケビンの前任者であるミドルトンの元マスターディスティラーだ。ブライアンは米国ミネソタ州のオショネシー・ディスティリング・カンパニーのベンチャー事業に参画するため、アイルランドを離れることになった。ケビンは旧友の門出をあたたかく祝福している。
「ブライアンとは仕事でもぴったりと息のあう仲間で、職場を離れても親しい友人同士です。マスターディスティラーとしても非常に有能でした。革新的で、良きチームプレイヤーなのです。彼がいない蒸溜所は、寂しくなりますね」
アイリッシュウイスキーの頂点へ
ケビンのキャリアは、まず熟成部門の担当から始まった。2002年には熟成部門の業務マネージャーに就任している。ヴァッティング、ブレンディング、樽詰め、樽出し、貯蔵などの行程で責任者となった。やがて樽の調達も手掛けるようになった。
ウイスキーを熟成するのに適した魅力的な樽を調達するため、ケビンは世界中を訪ね歩いた。その先々で、家族経営のワイナリーや樽工房と懇意になり、親密な関係を築いてきた。ボルドー樽で熟成した「グリーンスポット シャトーバルトン」や、オロロソシェリーでフィニッシュした「レッドブレスト ルスタウエディション」などは、このような人脈のたまものである。また高く評価されている「ミドルトン ディアゲィーリッチ」は、ケビンが真剣に考えている環境保護への理想を体現した製品でもある。持続可能な方法で伐採されたアイリッシュオークのホグスヘッドでフィニッシュされているのだ。
2007年には熟成部門の代表者になり、13年間にわたってウイスキーの品質を管理した。そして2週間前に運命の日がやってくる。ブライアン・ネイションの後継者として、熟成部門の代表者とマスターディスティラーを兼任するように依頼されたのだ。
「ブライアンも驚いていました。私も同様です。ちょっと考えましたが、提案を受けることにしました。驚きやショックもありましたが、何といっても自分の手でウイスキーづくりを管轄できるのは素晴らしい仕事ですから」
ケビンは実に謙虚な男だ。これまでのキャリアで一番の思い出を尋ねると、こう答えてくれた。
「長年にわたって、一緒に仕事をしてきた人々みんなが最高の思い出です。ほんとうに仕事熱心な大勢の人たちと働いてこれたのは幸運なこと。これまでにいただいた励ましは、何物にも代えられません。22年も前に引退した人たちからも激励を受けるのは、信じられないほど嬉しいものです」
年に一度だけリリースされる「ミドルトン ベリーレア」は、ウイスキーファンやコレクターの間でも名高い逸品だ。発売が開始された1984年以来、ラベルに署名したのは2人しかいない。3人目のマスターディスティラーとして、ラベルに名を記すのはどんな気分なのだろうか。
「まだそんなことまで頭が回っていませんよ。私自身にとっても、チーム全体にとっても、とても誇らしい瞬間になるでしょう。もちろん家族も喜んでくれると思います。こんなボトルに自分の名前が記されるのは大きな名誉で、ちょっと言葉では感情を表現できません」
新しいマスターディスティラーを迎えたミドルトンでは、これから大きな変化が起こるのだろうか。
「ブライアンから受け取ったバトンを、まずは落とさずにしっかりと走ること。そして一生懸命働いて、今よりも良い状況下でそのバトンを後継者に受け渡すこと」
スポーツを愛する者として、ケビンはウイスキーづくりとスポーツの共通点も感じているようだ。
「ミドルトンでは、世界でも有数のウイスキーを生産しています。私の仕事は、その品質をしっかりと保つこと。イノベーションにも力を入れ、新しい挑戦を進めたいと思っています。ブライアンの後を受けて、新しい原料、新しい穀物、ライ麦やオーツ麦を使ったマイクロディスティラリーのような試みは継続します。そこに自分なりの要素が加わるかもしれません。チーム全員と相談しながら、新しい一歩を踏み出そうと考えています」
最後に、ミドルトンを去るブライアンへの思いを訊いてみた。
「ウイスキーづくりについて、ここ10年間はさまざまな対話を続けてきました。面白いアイデアや、時には困難なチャレンジもありました。ブライアンの仕事は、私に大きな影響を与えてくれました。私の仕事もブライアンに影響を与えたと思います。仕事上では強い結びつきがあり、2人でさまざまなことを乗り越えてきました。ブライアンのノージングとテイスティングには敬意を払っており、ブライアンも私の仕事を認めてくれます。この関係がなくなるのは寂しいですね。でもいちばん寂しいのはゴルフかな。ローリー・マキロイのような名手ではありませんが、ブライアンとラウンドできなくなるのは残念ですね」