Lost Distilleries―グレンロッキー

February 22, 2014

フォートウィリアムにあったふたつの蒸溜所のひとつ、グレンロッキーの歴史を探る

今回は北西ハイランドで人気の観光の中心地、フォートウィリアムを訪れる。ここにあったグレンロッキー蒸溜所は、このシリーズで取り上げた実に多くの場所の様に、1890年代のウイスキーブームの楽天的な風潮の中で誕生し、過剰生産されたウイスキーが防波堤を突き崩す危険が高まった1980年代にその幕を閉じた。

グレンロッキーは、1917年から1924年にかけての経済不況の影響を直に受けたのだ

グレンロッキー・フォートウィリアム・ディスティラリー社は、1897年に設立され、フォートウィリアムを通りロヒー湖へと流れ込むロヒー川からその名をとった。グレンロッキーとは、ゲール語で「黒い女神の渓谷」という意味を持つ。

この蒸溜会社は、ネアンにあるグレンコーダー蒸溜所デービッド・マッカンディーの指揮の下、1901年4月に製造が開始された。手っ取り早く儲かることを察知したマッカンディーは、会社創設から1年もたたないうちに自分の持ち株を売却し、7,500ポンドを獲得した。それは、当初の投資額の4倍に相当する額だったが、もしそのときまでにいわゆるウイスキーの「バブル」がはじけ、スコッチウイスキー業界の多くの会社が生き残りに躍起になっていなければ、おそらくそれより遥かに大きな額を儲けていただろう。

前述の通りグレンロッキーは、1917年から1924年にかけての経済不況の影響を直に受けた。しかし、同蒸溜所は1920年にその精算人によって、イギリスのビール醸造合弁会社に売却され、命を吹き返した。新しいオーナーは、その前任者たちと同様に成功を収めたが、そのわずか2年後、グレンロッキーは再び沈黙する。

1934年、同蒸溜所は特売価格で売りに出され、第三者を介して1937年に、ナショナル・ディスティラーズ・オブ・アメリカ社及びカナダ人実業家のジョセフ・ホブスが所有するトレイン&マッキンタイヤー社に売却された。スコットランド生まれの派手な億万長者であるホブスは、1941年より彼が死亡する1964年まで近在のベン・ネヴィス蒸溜所をも所有しており、また1957年にはモントローズのロッホサイドも設立した人物だ。

トレイン&マッキンタイヤー社の関連会社であるスコティッシュ・ディスティラリーズ社は既にブルイックラディ、グレネスク、グレンユーリー・ロイヤルなどを経営していたが、1940年、ホブスはあえてトレイン&マッキンタイヤー社での持ち株をアメリカの親会社に売却し、あるアメリカの「ワイルド・ウェスト」牧場化計画に賛同し、革新的なグレート・グレン・キャトル・ランチを設立した。ホブスは、今ではスコットランドで指折りの豪華ホテルとして知られる、フォートウィリアム近郊のインバーロッキー城で豪奢な生活をしていた。

トレイン&マッキンタイヤー社の経営の下、グレンロッキーは歴代のオーナーの時代よりも売上を伸ばし、同社の経営は1938年から1953年まで続いた。その後、所有権はディスティラーズ・カンパニー社(DCL)へと渡った。

1980年代初め、DCLが経営にてこ入れをする時期が訪れると、比較的時代遅れで一対のスティルしか備えられておらず、年間最大製造量が約100万ℓに過ぎないグレンロッキーは、真っ先に閉鎖の候補に上った。DCLの製造は全てブレンド製品で占められており、シングルモルトのブランドはひとつもなかったのである。

蒸溜作業が停止された後、施設の一部は取り壊されたが、キルンや麦芽倉庫など、いくつかの建物が残された。麦芽倉庫はその後、お手ごろ価格の宿泊施設として再開発された。

グレンロッキーは、1878年から1908年にかけてネヴィスの名の下に運営されていた、フォートウィリアムズで「失われた」ふたつの蒸溜所のひとつだった。ベン・ネヴィス蒸溜所ドナルド・マクドナルドが、需要が急増していた自身のウイスキー、デュー・オブ・ベン・ネヴィスを製造するために、元々あった蒸溜所に隣接して建てたものだった。

2台のウォッシュと5機のスピリット・スティルを誇り、1880年代には年間100万ℓ以上のウイスキーを製造していた。1908年、ネヴィスはその「親」会社に統合され、ネヴィスの倉庫保管法や床式麦芽製造法は後に、所有者がトレイン&マッキンタイヤー社となったグレンロッキーによって使用されることとなった。

ウイスキー評論家の故マイケル・ジャクソンは、その著書「モルト・ウイスキー・コンパニオン」においてシングルモルトとしてのグレンロッキーを、「ピートが強くフルーティ。ベッドタイムにデザートか本をお供に」と記述している。

このウイスキーを実際にテイストするには、シグナトリー社が1980年カスクストレングスのグレンロッキーを2ブランド発売しており、またユナイテッド・ディスティラーズのレアモルト・シリーズの中に、1995年から1996年にかけて発売された、1969年ビンテージがいくつか含まれている。経済的に余裕のある通の人ならば、ダグラス・レイン社が49年モノとしてジャスト1,000ポンドで発売した1952年グレンロッキーのボトリングを候補に入れても良いだろう。

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