マルス津貫蒸溜所の輝ける未来【前半/全2回】
日本国内に多数のウイスキー蒸溜所が新設された2016年もそろそろ終わり。最後に紹介したいのは、本坊酒造が鹿児島に建設したマルス津貫蒸溜所だ。フル稼働を初めて約1ヶ月が経った南さつま市の現場を、ステファン・ヴァン・エイケンが訪ねる2回シリーズ。
文:ステファン・ヴァン・エイケン
津貫蒸溜所でつくられたウイスキーを味わえる日まで、これからまだ何年もかかるだろう。しかしそれは蒸溜所訪問を先延ばしにする理由にならない。もちろん本州からは距離もあるし、蒸溜所の道のりも交通至便という訳でもない。実際にはレンタカーを手配するか、鹿児島空港からバスで加世田まで行ってタクシーに乗り換えることになるだろう。だが多少の苦労をしてでも、この蒸溜所まで足を運ぶ価値は十分以上にある。
真新しい蒸溜所と前述したものの、マルス津貫蒸溜所の所在地には長い歴史がある。津貫は本坊酒造や創業家の本坊家にとって極めて重要な土地だ。ここは本坊酒造が蒸溜酒づくりを始めた創業の地であり、本坊家がかつて住まいを構えていた場所。土地の所有者である2代目社長、本坊常吉氏の旧邸はすぐ隣に残されている。現社長の本坊和人氏もここで生まれ育った。
だがこの土地と蒸溜所のつながりは、家族の歴史に由来する情緒的なものばかりではない。100年以上にわたって、この地で焼酎が生産されてきたという事実は決定的である。新しいウイスキー蒸溜所は、かつて焼酎を熟成させ、ボトリングのラインも置かれた貯蔵庫のひとつを改装して造られている。焼酎用の設備は、みなウイスキーづくりのスペースを確保するために他所に移動された。
そして、ことビジター体験についていえば、これほど見どころの多いウイスキー蒸溜所は日本のどこを探しても他に見当たらないだろう。訪問客を楽しませようという配慮が、最初から蒸溜所の設計に組み込まれていたのは間違いない。蒸溜所全体の設計から、設備の細部に至る工夫まで、訪問客の視点を最大限に意識した気配りが行き届いている。
日本屈指のビジター体験
蒸溜棟に入場した訪問客は、まず階段を上って2階の中央付近に導かれる。そこからガラス越しに、糖化、発酵、蒸溜というすべての生産工程が観察できるのは画期的だ。ここからモルトの粉砕だけは見えないが、稼働中のモルトミルを眺めるのはペンキが乾く様子を観察するようなものであるから大きな不足はない。関心の高いみなさまのためにお伝えすると、モルトミル(粉砕機)は4本ロール型で、ドイツのキュンツェル社製である。
マルス津貫蒸溜所は、マルス信州蒸溜所と同様に10月から6月までの1シーズン操業である。毎年180トンのモルト(大麦麦芽)を使用するというから、おおむね1日あたり1トンのモルトが180バッチ必要となる計算だ。モルトもやはりマルス信州蒸溜所と同様にノンピート(0ppm)、ライトピート(3.5ppm)、ヘビーピート(20ppm)、スーパーヘビーピート(50ppm)と4種類のピートレベルで用意される。量的には60トンのノンピートと80トンのライトピートが主体で、ヘビーピートとスーパーヘビーピートの割当ては20トンずつ。ただし初年度が終了した時点で内容を吟味し、この割合を次年度から変更する可能性もある。
モルトを粉砕して粗挽き状の麦粉(グリスト)にする際、多くの蒸溜所はグリスト:ハスク:フラワーの比率を2:7:1に設定している。だがここマルス津貫蒸溜所では、その比率が2:6:2に近い。この比率も後に変更対象となるかもしれないが、重要なのはマルス津貫蒸溜所がマルス信州蒸溜所よりもヘビーなスタイルのウイスキーをつくろうと考えている点にある。粉砕のレシピは、あくまでスタイル上の目的に従って調整されるはずだ。
蒸溜所で使用される水は、焼酎づくりの水と同じである。蒸溜所の背後にそびえる蔵多山から湧き出す軟水だ。大半の蒸溜所では糖化を3回に分け、3回目に投入したお湯を次回のバッチの1回目に流用しているが、マルス津貫蒸溜所のチームはすべての糖化を純粋な水(お湯)でスタートする。つまり糖化は3回ではなく2回である。興味深いのは、マッシュタンの横に細い縦長の窓がついており、内部の状態がよく観察できること。たいていの蒸溜所では、マッシュタンの上部からマッシュの上に浮かぶ泡のレイヤーを覗き込むことしかできない。だがマルス津貫蒸溜所では、流れ出すクリアな麦芽汁がマッシュタン横の窓からよく見えるため、蒸溜所見学の経験が豊富な方でもかなり貴重な体験となるはずだ。
次の工程は発酵室。マルス津貫蒸溜所には5槽のステンレス製ウォッシュバック(各6,000L)が設置されている。このウォッシュバックは、発酵時にウォータージャケットを被せて温度調整をおこなう。使用される酵母は、ここでもマルス信州蒸溜所と同様に3種類。ドライタイプのウイスキー用酵母、ビール酵母、スラント酵母という構成だ。発酵時間は90時間(約4日間)で、これもマルス信州蒸溜所に倣っている。もともとマルスウイスキーの発酵時間は約3日間だったが、2016年から1日延ばすよう変更がなされた。乳酸発酵の度合いを高め、フルーティーでエステリーな風味を強調するためである。
(つづく)