スコットランドのラッセイ島で、長らく廃れていたウイスキーづくりが復活した。興味深い島の歴史と蒸溜所建設までのいきさつをクリストファー・コーツが紐解く。

文:クリストファー・コーツ

 

岩がちな海岸線と丘陵が美しいラッセイ島(アイル・オブ・ラッセイ)は、ロマンティックな景色で訪れる人々を魅了する。南北に約23km、東西に約5kmという細長い形で、ラッセイ湾越しのスカイ島や、アップルクロス湾越しのグレートブリテン島本土が見渡せる。

ラッセイ島の人口は約150人ほどだが、季節によって変動がある。近年は本土からの旅行先としても人気も高まってきた。かつてマクラウド氏族 (スカイ島のマクラウド氏ではなく、ルイス・マクラウドの系譜)の支配も経験し、1840年代に支配者一族によって売却された。その1世紀前に起こったジャコバイト蜂起の失敗から、財政的に完全な建て直しができなかったのが島を手放す遠因になったようだ。

今でもインベラリッシュの町では、1913~1919年に採掘がおこなわれた鉄鉱山と、採掘の労働者達が住んだ現地の村を偲ぶことができる。当時から減る一方だった島内の人口が、急上昇したのは鉄鉱採掘があったからだ。鉄鉱の生産は、第1次世界大戦の勃発とともに本格化した。採掘された鉱石はスイスニッシュにある専用埠頭から英国軍需省のサプライチェーンに向けて船で出荷された。当時の埠頭は今でも港に残されている。

たくさんのラッセイの男たちが外国での戦争を後方支援する一方で、約260人のドイツ人捕虜たちもラッセイでの鉄鉱採掘に借り出された。地元民たちとの関係は良好であったと伝えられているが、あいにくスペイン風邪の大流行が島を襲った。多くの捕虜と労働者が命を落とし、島内の人口も激減することになったのである。残酷な運命の悪戯によって、働き者の男たちは戦争を生き延びながらも家族が待つ故郷の地を踏むことが叶わなかった。彼らの亡骸はラッセル島に埋葬されている。

スコットランド農村部の常として、ラッセイもまた長期間にわたってウイスキーを密造してきた歴史がある。ウイスキーはいくつかのグレン(谷)で蒸溜されていたが、そのひとつが「エア」という名のグレンだ。歴史的な屋外蒸溜施設の名残りは、場所さえ知って入れば今でも訪ねることができる。

長いウイスキーづくりの歴史があるにも関わらず、ラッセル島で合法的にウイスキーづくりがおこなわれたことは過去に一度もなかった。そんな歴史が終わりを告げたのは2017年9月のこと。ラッセイ蒸溜所の創業者であるアラスデア・デイが、長年の夢を達成した瞬間だった。主要メンバーは他に3人いる。創業パートナーのビル・ドビーは、テクノロジー系の起業家で、オンラインの出会い系プラットフォーム「Cupid」の創設者。イアン・ロバートソンは、名高いヘリオットワット大学の醸造蒸溜科を卒業した蒸溜責任者。そしてビジターセンター専任チームを率いるのはイアン・ヘクター・ロスだ。

 

18世紀のブレンドを再現し、約束の地と出会う

 

乳業に長く関わってきたアラスデアにとって、フレーバーや熟成などの分野は馴染みが深いものだったという。食品科学、健康、安全、物流などの複雑な諸問題も恐れるに足らない。だがアラスデアには、ウイスキーのブレンディングに携わっていた曽祖父の知恵を生かしたいという欲望があった。それを具現化したのが、蒸溜所で最初のブランド「トゥイーデイル」だ。ブレンディングに関して明らかな天賦の才を感じさせるアラスデアだが、それに加えて自宅の地下に眠っていた曽祖父のウイスキーレシピを切り札として活用したのだ。

一族内で何世代も前からひっそりと継承されてきたブレンドの知識を使って、アラスデアは古いブレンデッドウイスキーの商品を創作してみせた。そのすべてがかなりの好評を博すことになり、特に「トゥイーデイル 12年 オールドバッチ 2」は2013年度のワールド・ウイスキー・アワード(WWA)で「ベスト・スコッチ・ブレンデッドウイスキー(12年以下)」のタイトルを獲得。その後のすべてのバッチでも、同アワードのブラインドテイスティングで8.6〜9.0という高得点を維持してきた。ウイスキー業界での経験がまったくない状態から、前職を辞めてウイスキー会社を設立するという夢を追った男にしてはほとんど偉業と呼ばねばなるまい。アラスデアは次のように語っている。

ラッセイ島で初めての合法的な蒸溜所。創業者のアラスデア・デイには、曽祖父がブレンドしていたウイスキーをつくりたいという夢がある。

「ほとんどの人は、難しいウイスキーの仕事よりも楽な仕事を見つけて続けようと思うでしょうね。いい車に乗って、安定した生活を送って。でも私は別の道を選んでしまったんです」

アラスデアによると、そもそも最初の計画は、先祖がコールドストリームで続けていた事業を復活させることだった。当時のコールドストリームでは、ビクトリア朝時代のブレンダーだった曽祖父がビール醸造にも乗り出しており、その後でボーダーズ蒸溜所を設立したというゆかりの地なのである。

だが旧い学友でもあったイアン・ヘクター・ロスを通して、ウイスキーづくりに相応しそうな場所がラッセイ島で売りに出されていると教えてもらった。その話に飛びついたのはビル・ドビーだった。ラッセイ島なら、これからつくる新しいウイスキーブランドの本拠地としてもユニークだ。ラッセイ島で生まれたイアンの妻にも強く勧められ、ビル・ドビーは誰も住んでいない「ボロデール・ハウス」を購入することにした。

ボロデール・ハウスは美しいビクトリア朝の邸宅で、「ボロデール」の名は近所にある鉄器時代の石造円塔にちなんでいる。敷地からはスカイ島のクイリン・ヒルズが一望できて、まさに息を呑むような絶景だ。この物件を購入して蒸溜所を創設する計画が固まった時点で、運営会社の社名は「ラッセイ&ボーダーズ・ディスティラーズ」に決まった。ちなみにザ・スリー・スティルズ・カンパニーがホーウィックに新設したボーダーズ蒸溜所とは一切関係がない。
(つづく)