北陸の秘宝「三郎丸1960」が55万円で限定発売
富山県の小さな蒸溜所から、55年もののシングルモルトウイスキーが発売される。その名は「三郎丸 1960 シングルモルト55年 カスクストレングス」。秘密を探るべく、富山県砺波市の若鶴酒造内にある三郎丸蒸留所を訪ねた。
文:WMJ
写真:チュ・チュンヨン
高岡を出発した2両編成のディーゼル車は、のどかな田園を眺めながらゴトゴトと走る。散居村の屋敷森が点在する砺波平野は、かつて加賀百万石を支えた穀倉地帯だ。飛騨高地から花崗岩層を通って流れる庄川の水が扇状地を潤し、どんな日照りの年にも水不足に悩まされることはない。
油田駅を降りると、若鶴酒造は目の前にある。2013年に創業150年を迎え、富山で知らない人はいない酒造りの名門だ。だがこの敷地内にある「三郎丸蒸留所」の存在を知っている人は決して多くない。戦後間もない1952年より細々とモルトウイスキーを蒸溜しており、地ウイスキー「サンシャインウイスキー」などのロングセラー商品も生産してきた古参のマイクロディスティラリーである。
若鶴酒造の工場敷地内に入ると、1922年に建てられた「大正蔵」が出迎える。木造切妻造を取り入れた見事な工場建築で、現在は資料館を兼ねたビジターセンターとしてイベントなどに利用されている。若鶴酒造の歴史は平坦なものではなかった。江戸時代末期に加賀藩から免許を受けて酒造り始めた人々が、この砺波の地で若鶴酒造を創立したのが1918年。昭和の金融恐慌にあえぐ1927年には、周囲の反対をよそに巨費を投じて深井戸を掘った。この井戸から得られる伏流水が、現在に至るまで若鶴の酒づくりを支えている。
ウイスキーづくりが始まったのも、戦争という惨禍がきっかけだった。富山空襲などで酒販網が壊滅し、米の統制により清酒の製造は往時の10分の1までに激減、満足に清酒が造れない局面を打開するために蒸溜酒部門への進出を決意した。1947年に若鶴醗酵研究所を設立。自力で獲得した技術によって1949年にアルコール製造免許を取得。1952年にはウイスキーとポートワイン製造の免許も取得した。
そしてサンシャインウイスキーを発売するが、翌1953年には工場施設約1,000坪を焼失。万事休すかと思われたが、地元の人々の協力によって半年かからずに復興したという逸話がある。また1989年の酒税法改正で94%の地ウイスキーづくりが廃れたときも、もともとモルト比率が高かったサンシャインウイスキーはしぶとく生き残った。いつの時代も、逆境をバネに成長してきた酒造メーカーなのである。
三郎丸蒸留所のモルトウイスキーづくり
ウイスキー蒸溜棟は、工場敷地の奥まった場所にある。瓦屋根の古い建物で、入り口には「三郎丸蒸留所」と筆書きされた木の看板。ここの住所が砺波市三郎丸で、三郎丸(さぶろうまる)とは田んぼの区割りが語源なのだという。
この蒸溜所は木造合掌造りで、上層部に骨組みを設けて、下に広い作業空間を確保している。もともとは金属加工の軍需工場を移築した建物だというから、歴史は戦前にまで遡る。
薄暗い内部に入ると、5,000Lはありそうな仕込み樽が目に飛び込んでくる。吉野の杉と能登の竹でつくられた第一級の工芸品だ。蒸溜所を案内してくれるのは稲垣貴彦氏。この地で酒造りを始めた稲垣小太郎氏の曾孫にあたり、自身もウイスキーの大ファンである。
「焼酎はもう何年もつくっていないので、設備はほぼウイスキー専用になっています」
ウイスキーづくりの設備は、わりとコンパクトにまとめられている。手前にウォッシュバックと一番奥にマッシュタンがあり、間にシルバーのポットスチルが鎮座している。
三郎丸蒸留所で生産するモルトウイスキーは年間2,000L。日本酒やリキュールが一段落する7月中旬から8月いっぱいまで、毎年真夏の作業なのだ。蒸溜の責任者である矢口恵一氏が説明してくれる。
「ウイスキーの担当は4人で、ひとたび始まったら休みなく続きます。真夏なので温度管理が大変ですね。気温が高いので発酵が鈍りますが、日本酒造りのノウハウも活かしながらウイスキーを仕込んでいます」
温度管理では、おそらく冷たい地下水も役に立っているのだろう。使用している原料は、一貫してスコットランド産の50PPMのピーテッドモルトであるという。そういえば、サンシャインウイスキーには確かにしっかりとしたピートのスモーキーな感触があった。酵母は昔からビール酵母を使用している。「ウイスキー用酵母なんて昔はなかったし、どこで入手できるのかわからなかったからね」と矢口氏は語る。ポットスチルは古い国産のもので、珍しいステンレス製。容量は1,000Lだという。この1基で初溜と再溜の両方をまかなうのが三郎丸のスタイルだと稲垣氏が明かす。
「火災後には日本で5社にしかなかったというフランスのメル社製アロスパス蒸溜器で蒸溜していました。おそらく蒸溜器を導入したときに、日本蒸溜工業から指導を受けて蒸溜の基礎を学んだのでしょう」
スチルのネックはストレート型で、ラインアームは下向き。つまり三郎丸蒸留所のウイスキーは力強いフレーバーだと考えてほぼ間違いない。カットは初溜でアルコール度数50%を基準にしているのだと矢口氏が教えてくれた。
蒸溜棟を出て、貯蔵庫に向かう。日本酒や酒粕の保存庫と共用の建物なので、酒粕の匂いが立ち込めていた。「この匂いがウイスキーに移っちゃうかもしれませんね」と稲垣氏は笑うが、酒好きにとっては嫌な匂いではない。若鶴のロゴが入ったバーボン樽の他に、大小サイズの異なる樽も並んでいた。
「過去にはポートワイン製造のため山梨で購入した赤ワインの空き樽を利用していました。現在はバーボン樽がほとんどですが、赤ワイン樽などの実験も進めています。これからは樽のバリエーションを増やしていければと思っています」
樽の数が少なく、専門のブレンダーもいないので、みんなでブレンドを考えてボトリングする。まさに手づくりのウイスキーだ。
55年熟成のウイスキーの味は?
さて今回発売されたのは、55年の歳月を経て熟成された「三郎丸 1960 シングルモルト55年 カスクストレングス」。度数は47%で、限定155本という超希少品だ。富山の薬瓶をルーツとする吹きガラスのボトルに入り、桐箱と真田紐もついている。55万円という値段は希少性から考えると良心的かもしれない。1年1万円と考えても、その価値は十分にあるだろう。この樽は昨年、貯蔵庫にあるのを「再発見」されたのだと稲垣氏が発売のいきさつを教えてくれた。
「数年前に20年もののシングルモルトを限定品としてリリースしたら好評をいただき、同様のボトリングを続けようと考えていました。現在も貯蔵庫には、少量ですが小太郎おじいさんの遺産が眠っている状態です。これを活かすには、ひとつひとつの樽を見て判断していかなければなりません。同時に新しい原酒もつくっていきたいと考えており、北陸の活性化に貢献できればと思っています」
富山市内でBAR白馬館を経営し、日本バーテンダー協会富山支部長を務める内田信也氏は、三郎丸蒸留所のウイスキーを長年見続けてきた地元ウイスキーファンの一人である。今回のボトルもさっそく試飲し「長期熟成を経たブランデーやラムのような素晴らしい芳香」と評している。このウイスキーの発売を機に、これから三郎丸蒸留所では徐々に本格的なシングルモルトウイスキーにも力を入れていく方針のようだ。稲垣氏が今後のビジョンを語ってくれた。
「私が考える理想のウイスキーは、富山らしいウイスキーです。富山の人は、第一印象では頑固な感じがしても、長く付き合っていれば優しさや丸みが感じられるのが魅力。そんなタイプのウイスキーが私自身も好きなのです」
老朽化した三郎丸蒸留所の建物も、過去の雰囲気を残しながら修復したい。銅製のポットスチルを導入して、初溜釜と再溜釜のセットにしたい。伝統のピーテッドモルトだけではなく、原酒の幅を増やしたい。稲垣氏の夢は大きく、細部まで具体的だ。
三郎丸蒸留所の前には、カシの苗木が植えられていた。この木が大きく育って樽材となり、その樽で熟成されたウイスキーが味わえる日は、遠い未来の先にある。
三郎丸 1960 シングルモルト 55年
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