スペイサイドの心を継ぐ日本人
スペイサイドを象徴するクライゲラヒの町に、世界中のウイスキー関係者に愛されたホテルとバーがある。ハイランダーインの新しいオーナー、皆川達也さんをクリストファー・コーツが訪ねた。
文・クリストファー・コーツ
初めてクライゲラヒにやってきたのは、ちょうど昼食時だったのを憶えている。当時のウイスキーマガジンの発行人とともに、私は小さなホテルの前に降り立った。村の中央を蛇行する細長い道沿いに建ち、外壁が白い漆喰で塗られ、木でできた深緑色の窓枠が印象的なホテルだ。
長時間のドライブの疲れをねぎらうように、背の高い玄関のドアが出迎えてくれる。らせん階段を下りながら、私の雇い主である発行人が肩越しにこう言った。
「スペイサイドの心臓部へようこそ。ここは誰もが知っているウイスキー界の有名人たちが、こっそり集まってくる場所なんだぞ」
ひょっとして、自分はからかわれているのではないだろうか。そんな疑いが頭をかすめた。初めてスペイサイドにやってきた私は、おそらく「アイコンズ・オブ・ウイスキー」として表彰された業界の有名人たちに会えるのではないかという期待から、そわそわと周囲をうかがっているように見えたのかもしれない。きっとそうだ。だがこれも新米ライターが通る道なのだろう。そんなことを考えながら廊下を歩いていたら、グレンファークラスのジョージ・グラント像にぶつかりそうになった。
ハイランダーインの新オーナーである皆川達也さんを前にして、そんな昔話を披露してみる。すると彼は、まったく驚くに当たらないといった笑顔で頷きながら、慎重に言葉を選ぶような感じで話し始めた。
「そうですね。大げさに言い募るつもりはないのですが、私もときどき感じることがありますよ。ひょっとしたら、この場所はウイスキーの宇宙の中心なんじゃないかって」
嬉しそうに声を上げた後で、はにかみながら彼は静かに付け加えた。
「少なくともスペイサイドの中心なのではないかと」
実際のところ、皆川さんが謙遜する必要はどこにもない。あれから何度もスペイサイドを訪ねたが、このホテルのバーに関しては、実に多くの人びとから同様の評価を聞くことになった。ハイランダーインが、ウイスキー界の心臓部であるといわれる理由はたくさんある。滅多にお目にかかれないような、ウイスキー界の著名人たちに会える隠れ家的な場所であるのはもちろんのこと、バックバーの品揃えも素晴らしい。ここにはアジア圏外で最大といわれるジャパニーズウイスキーのコレクションもある。
ウイスキー界でも指折りの有名人たちを常連客として迎えながら、居心地のよい田舎のパブの佇まいも失っていない。このバーの雰囲気は昔からまったく変わっておらず、これからも決して変わることはないと皆川さんは断言する。
「ここには200ポンドもする高級シガーはありません。客層もいいかんじで雑多です。いわゆるウイスキー界のセレブリティーといわれる方々も来られますが、地元のお年寄りや若者たちがいつも1杯やりに立ち寄ってくれる場所なんです」
そう言って微笑む皆川さんこそが、今ではここハイランダーインで一番の顔役だ。
伝統のホテルのオーナーに
有名なハイランダーインの前オーナー、ダンカン・エルフィック氏のもとで、約7年にわたってバーマネージャーを務めたこともある皆川達也さん。以前は人口150万人の京都に住んでいた彼が、この小さなクライゲラヒ村にどんないきさつでたどり着いたのだろう。
「20代後半でスコットランドにやってきて、しばらくエディンバラのウイスキーバーで働いていました。当時、ダンカン・エルフィックはクライゲラヒホテルを経営していて、スタッフにウイスキーの知識を教えられる人間を探していたんです。あるイベントで偶然知り合いになって、ほどなく彼のチームに招き入れられました」
皆川さんは当時を思い返しながら、最初に感じたジレンマについて語りだした。
「もちろん最初は迷いもありましたよ。エディンバラには親しい仲間たちもいたし、決して大都市じゃないけれど、やはりクライゲラヒのような田舎とは違いましたから」
そう言って、皆川さんは声を落とす。彼の当時の葛藤は、私にもよく理解できる。
「でも友人たちはみな、クライゲラヒに行くべきだ、素晴らしいチャンスじゃないか、と背中を押してくれたんです。まあ、最初の話では、最長でも2~3カ月という約束だったんですけどね(笑)」
だがその数カ月の約束は、いつしか2年半にまで延びていた。そしてダンカン・エルフィック氏がクライゲラヒホテルを退職してハイランダーインのオーナーになると、皆川さんも行動を共にした。2012年1月までこのハイランダーインでバーマネージャーとして働き、その後2015年前半まではヨーロッパ地区におけるサントリーのブランドアンバサダーを引き受けることになった。
「ブランドアンバサダーは本当に素晴らしい仕事でした。サントリーのウイスキーは大好きなんです。子供の頃から父がサントリーのウイスキーを飲んでいた思い出もあるので、なおさら特別な仕事に思えました。さらに嬉しかったのは、この村に居ながらにしてブランドアンバサダーの仕事ができたこと。ハイランダーインにもよく立ち寄って、ダンカンの顔を見ながら1杯やったものです」
そして皆川さんは、運命の日を回想する。
「ある日、この店に来るとダンカンが言うんです。このホテルを売りに出すつもりだと。まったく信じられませんでしたよ」
皆川さんは、目を大きく見開いてそのときの驚きを再現する。
「65歳でも、75歳でも、ずっと仕事を続けるタイプの人だと思っていましたから。でも彼はそろそろ引き際だと心に決めているようでした。だから私もすぐに決心したんです。『ダンカン、売りに出すなら、私が買いますよ』って」
椅子に深く腰掛けながら、皆川さんはこのホテルのオーナーになったいきさつをひと通り説明してくれた。
「私が継いだことを、ダンカンも喜んでいると思います。このあいだ会ったときは『かつてないほど人生が充実している』と言ってました。彼はなんとスペインに移住したんですよ。『ホテル代、ちょっと払い過ぎたかな』と冗談を飛ばして一緒に笑いました」
ゆったりとしたダンカンの第二の人生を、皆川さんが祝福しているのは明らかだ。バトンを受け取った今、彼はハイランダーインをどのように運営していくつもりなのだろうか。
「今度、秩父蒸溜所のブランドアンバサダーをしている吉川由美さんがはるばる日本からやってきます。スペイサイド・ウイスキー・フェスティバルに合わせて、ここで特別なテイスティング会を開催するんです。実をいうと、彼女もこのハイランダーインで働いていたことがあるんですよ」
今やこのホテルは、ウイスキー界の著名人を集めるだけではなく、輩出する場所にもなっているのだ。