歴史あるアイリッシュウイスキーのスタイルが、大西洋を隔てたテロワールで復活する。米国コロラド州のタルヌア蒸溜所を訪ねた2回シリーズ。

文:ジェイ・マッキニー
写真:ジョニ・シュランツ

 

「すべてが不確かなこの世の中でも、死と税だけは必ずやってくる」

ベンジャミン・フランクリンはそう言った。つまり税は死と同じくらい確実にやってくる。

世界的なウイスキー産地のアイルランドでも、為政者の悪税が歴史を変えてきた。なかでも最大の税のひとつが、英国によって大麦モルトに課された1785年のいわゆる「モルト税」だ。

しかしアイルランドのウイスキー業界は、ここで一計を案じる。大麦モルトにかかる税をなんとか回避するため、原料に未製麦の大麦を加えるという裏技を生み出したのだ。アイルランド独自のスタイルとして知られる「シングルポットスチルウイスキー」というカテゴリーは、徴税対策によって確立されたイノベーションといえる。

エネルギー会社に務めていたパトリック・ミラーは、アイルランドへの新婚旅行がきっかけでアイリッシュウイスキーにのめり込み、コロラド州で蒸溜所を創設するまでに至った。メイン写真はウイスキーへの情熱を共有する妻のミーガン・ミラー。©Joni Schrantz

当時からすでにウイスキー産地として高く評価されていたアイルランドは、この新しいシングルポットスチルウイスキーで19世紀の世界市場を席巻した。やがてモルト税は1855年になって廃止されることになるが、シングルポットスチルウイスキーというスタイルはしばらく人気を維持し続けた。

やがてシングルポットスチルウイスキーは、20世紀に入ってほとんど姿を消すことになる。しかしこれはスタイルが古びたのではなく、米国の禁酒法、1930年代の英アイルランド貿易戦争、そして2度の世界大戦などの影響によるところが大きいと思われる。

アイルランドのウイスキー業界が大きな打撃を受けて衰退すると、スコットランドや米国のブレンデッドウイスキーが人気を博すようになった。そしてアイルランドのウイスキー生産者も、市場の需要に応えることを余儀なくされた。

シングルポットスチルウイスキーが、税法から生まれたニッチなカテゴリーであることはご理解いただけたことと思う。しかし近年になって、一度は衰退したこのスタイルが、まったく意外なところから復活の兆しを見せている。しかも熱狂的に支持しているのは、米国の若い世代などだというから驚きだ。

その立役者であるパトリック・ミラーとミーガン・ミラーの夫妻は、新世代のウイスキーメーカーとしてシングルポットスチルウイスキーを製造している。夫妻が経営するタルヌア蒸溜所は、米国コロラド州にある。シングルポットスチルウイスキーの故郷であるアイルランドからは、大西洋を乗り越えた上に北米大陸を半分以上横断しなければ辿り着けない。

なぜこんな場所で、ミラー夫妻がシングルポットスチルウイスキーをつくっているのか。そのいきさつは、実にロマンチックとしかいいようがない。
 

アイルランドでの運命的な出会い

 
ミラー夫妻は、2011年に新婚旅行でアイルランドを訪れた。ゴールウェイのパブでウイスキーを飲みながらラグビーワールドカップを観戦し、バーテンダーとおしゃべりを楽しんでいた。ちょうどそのとき、酒屋がパブに「レッドブレスト12年 カスクストレングス」を1ケース配達するのに居合わせた。

そのウイスキーの配達を待ち望んでいたバーテンダーが、興奮気味にレッドブレストの美味しさについてミラー夫妻に力説してくれた。さらにポットスチルウイスキーの歴史を簡単に説明した上で、2人に試飲までさせてくれたのだ。そして夫妻は、その深い味わいに圧倒されたのだと夫のパトリックが回想する。

「シングルポットスチルウイスキーは、私たちにとって本当に興味深い存在でした。新婚旅行前の私たちが知っていたアイリッシュウイスキーといえば、ジェムソンやブッシュミルズなどのブレンデッドばかり。米国ではアイリッシュよりもスコッチの方が入手しやすいので、2人ともスコッチのファンでした。大麦原料のお酒が好きなので、バーボンにも興味がなかったんです」

アメリカという異なる土地で、アイリッシュウイスキーの伝統に従うという決断をした。タルヌアの個性は、ウイスキーの香味と品質によって着実に評価されつつある。©Joni Schrantz

ミラー夫妻はシングルポットスチルウイスキーの歴史に魅了され、そのスパイシーな風味と滑らかな口当たりがいたく気に入った。そして故郷のコロラドに戻った後、このスタイルの復活を支援しようという思いに駆り立てられたのだ。

石油やガスなどのエネルギー業界でキャリアを積んでいた2人だが、余暇は自宅でスピリッツの蒸溜実験や研究に費やすほどのウイスキー愛好家でもあった。そしてシングルポットスチルウイスキーと出会った後は、毎年のようにアイルランドに通うようになる。アイリッシュ特有のウイスキー製造について学び、伝統的なシングルポットスチルウイスキーを試飲し、アメリカでは買えないボトルをスーツケースにいっぱい詰めて帰ってくる生活がしばらく続いた。

そんなときに、人生の転機は訪れる。パトリックの会社が人員削減を余儀なくされ、2人は本社のあるテキサスへの移住を迫られたのだ。だが夫婦は結局コロラドに残り、新たなスタートを切ろうと決意した。つまりフルタイムでウイスキー製造を仕事にしようという決断である。

パトリックはコロラド州ブレッケンリッジにあるブレッケンリッジ蒸溜所のコースでウイスキーづくりを学び、その後はコロラド州デンバーでシングルモルトウイスキーを製造するストラナハン蒸溜所で職を得た。

ストラナハン蒸溜所で働いていた2016年11月、勤務中にある男性からかかってきた電話が次の転機をもたらした。電話の主は土地と建物を所有する地主で、店子が蒸溜所を閉鎖したので現地に残された蒸溜設備の処分に困っていた。設備を買い取ってもらえないかという期待から、ストラナハン蒸溜所に連絡してきたのだった。電話を受けたパトリックは、ストラナハンの蒸溜所長に地主の要望を伝えつつ、個人的に設備の詳細について問い合わせた。

ミラー夫妻は、いつか自分たちの蒸溜所を開業したいという夢をずっと抱いていた。これはシングルポットスチルウイスキーへの情熱を成就させる絶好の機会だ。パトリックはそう考え、地主に熱弁を振るって交渉した。そして蒸溜所の所有権を部分的に買い取る条件で、建物へ住み込んでウイスキーづくりが始まるのである。
(つづく)