山東半島の製樽業者が、成長著しい中国のウイスキー業界を支えている。ウイスキーマガジンの殿堂入りも果たした方基胜を訪ねる2回シリーズ。

文:ジャンヌ・ペイシアン・チアオ

 

コーヒーメーカーが、軽やかな音を立てている。

「焙煎中のコーヒー豆の香りは、オーク樽のトースト香に似ているんです」

ここは渤海と黄海を隔てる山東半島の北端だ。製樽工場のオフィスで、方基胜(ファン・ジシャン)は楽しそうにコーヒーを淹れてくれた。

「オーク樽の中で、二次発酵を経たコーヒー豆なんですよ」

中国を代表する製樽工場で、その技量を駆使した独創的なコーヒーを味わう。その豊かな香りは、最初の驚きだった。だが振り返ってみれば、このコーヒーなどほんの余興のようなものだったとわかる。

ここは方基胜という男が、人生をかけてオーク材とウイスキーの秘密を解き明かそうとしている現場なのだ。

中国大陸は、オークの多様性において世界で第2位の地域とされる(第1位は北米大陸)。しかし中国の森林被覆率が、他地域に比べてそれほど高いわけでもない。そして中国政府は自然保護の政策を重視し、伐採に厳しい制限を設けている。そのため樽製造に許可されるのは、間伐による木材に限られる。

豊富なオーク樹種の香味プロフィールを研究しながら、小さな樽材からでも樽を組み上げられる技術を開発した。沃林橡木桶公司(ウォリン・クーパレッジ)は、今や世界のウイスキーが注目するウイスキー樽のメーカーである。メイン写真は貯蔵庫で原酒をチェックする方基胜。

たとえば若木が密集しすぎた林の密度を調整したり、病害虫の被害を受けた樹木を除去したり、火災防止のための防火帯を整備したりする際の伐採だけが合法的な伐採とみなされる。このような伐採によって得られる木材からは、品質においてもさほど高級なものが望めない。

まれに大規模なインフラ建設(高速道路、高速鉄道、貯水池など)のプロジェクトで、一定区域の森林を一度にすべて伐採する「皆伐」が実施されることもある。ウイスキー樽の製造に適した上質なオーク材を得られるのは、そんな皆伐のタイミングに限られるのだという。

つまり米国や欧州で見られる大規模な伐採とは対照的に、中国では高品質なオーク材を確保するだけではるかに困難な課題が待ち受けている。

だが方基胜は、そんな中国特有の困難にも慣れ親しんでいる。中国にはもともと製樽業と呼べるような産業は存在せず、そのような企業を登録する公的な機関すらなかった。

在来オーク種に関する研究を10年以上も進めていた方基胜は、なぜこんなに多様なオーク材が生育する中国大陸で、製樽業が育っていないのかと不思議に思っていたのだという。

そして実際に沃林橡木桶公司(ウォリン・クーパレッジ)の設立に乗り出すものの、登記の手続きが遅延して将来は見通せなかった。ようやく会社の設立に認可が下りたのは2007年のことで、操業を開始したのは翌2008年である。

だがその後すぐに世界的な金融危機が発生し、初期投資家の一人であったアラン・コニグレイブが事業から撤退。それでもコニグレイブは、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るうまで中国内で技術指導を継続した。

パートナーたちが事業断念を検討し、方基胜だけが残った。つまり事業の全責任を担うチャンスが訪れたともいえる。正式に事業の舵取りを引き継ぎ、2009年から代表として沃林橡木桶公司を牽引してきた。一度は存続そのものが危ぶまれた会社だが、困難を乗り越えて今日まで事業を進めてきたのである。

 

ワイン樽の夢をウイスキーで継ぐ

 
中国では前例のない製樽業について、方基胜はその由来と目標を語ってくれた。

「一貫した事業の目的は、中国の特性を体現できるオーク樽の開拓にあります」

方基胜は、中国のなかでも特にワインの醸造が盛んな山東省煙台市で生まれ育った。そんな経験もあって、新しい製樽業には独自のテロワール感覚が必要だと確信していたのだという。

「国際市場での地位を確立するには、独自の個性がなければいけません。実はずっと中国ワインにもそのような個性を期待していたのですが、ワイン業界自体が衰退するなかで見失われていきました」

ワイン樽の夢が破れ、ビールとメーカーの協業を経てウイスキー樽にたどりついた。方基胜はその情熱でウイスキーマガジンのホール・オブ・フェイムにも選ばれている。

長年の努力にもかかわらず、中国内のワイン業界に中国産のオーク樽を供給するという計画はついに叶わなかった。

「でも国内のワイナリーがだめなら、フランスのワインメーカーに樽を供給できないかと考え始めたんです」

方基胜は、いつでも誰とでも協業する用意がある。そんな揺るぎない野心が彼の魅力である。

そして2014年になって、沃林は事業の転換を図る。マーケティング担当者と共に、中国で初めてオーク樽熟成のビールを開発したのだ。それもビール醸造所から依頼を待つのではなく、製樽所が主導で話を持ちかけた画期な新事業だった。

海外のクラフトビール産地で確立された技術を参考にしつつ、現地向けの改良を加えて、国内のビール醸造業者に提案した。すると次第に沃林の樽も採用されるようになった。

さらに2017年頃から、注目はウイスキーへと移り始める。オーク樽の香味を理解していた方基胜は、新しいチャンスを視界に捉えていたのだ。

「ウイスキーの風味の60~70%が樽から生まれるというのなら、中国産のオーク材がどんな個性をウイスキーに付与してくれるのだろう。その点について、しっかり探求すべきだと考えていました」
(つづく)