常陸野ネストビールでも有名な茨城県の木内酒造が、4年前から続けてきたウイスキーづくりを本格化させる。開業目前の八郷蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。

文・写真:ステファン・ヴァン・エイケン

 

2016年以来、木内酒造はウイスキーをつくっている。ゆっくりと、しかし着実に、常陸野ネストビールの醸造所の片隅で続けてきた事業だ。

しかし同時に、木内酒造はもっと大きなウイスキー用の施設も準備していた。このたびウイスキーづくりに特化した単独の蒸溜所がオープンする。これまでの設備より、はるかに大きなスケールだ。

糖化をおこなうツィーマン・ホルブリーカ社のマッシュタン(手前)とブリッグズ社製のラウタータン(奥)。多彩な原料を使用するアプローチにあわせた選択だ。

場所は筑波山のそばにある八郷(やさと)である。公式な生産開始を目前に控えた木内酒造に頼み込み、蒸溜所への潜入を取り付けた。そしてよく晴れた3月上旬の火曜日の朝。茨城県の農村地域を通って、日本のウイスキー地図に加わったばかりの新しい生産拠点を目指す。

出迎えてくれたのは、副社長の木内敏之さんだ。木内敏之さんは、兄の木内洋一さんと一緒に会社を経営している。そして日本とスコットランドにルーツを持つサム・ヨネダこと米田勇さん。だがここで、スコットランドの伝統を日本に持ち込んだ竹鶴政孝のような物語は期待しないでほしい。木内兄弟が思い描くウイスキー事業は、ラジカルなまでに他の前例と異なっている。

木内敏之さんが蒸溜所設立の意図を語る。

「スコッチウイスキーの物真似ではなく、本当に新しいウイスキーをつくろうと考えているんです。日本のクラフトウイスキーの蒸溜所は、その多くが設立時からスコットランドの蒸溜所を真似ているようです。この状況を見ると、20年前に日本で始まったクラフトビールのムーブメントを思い出します。当時のクラフトビール醸造所は、ほとんどがドイツのビール造りを真似ていました。1996年に小規模なビール醸造が規制緩和されて、日本各地でクラフトビール造りがスタート。その第一世代である我々は、最初から自分たちのオリジナルなビールを造ろうと出発したんです」

 

模倣を拒絶してオリジナリティーを追求

 

そして木内兄弟は、ウイスキーでもビールと同じビジョンを描くに至った。その理由には説得力がある。現在、常陸野ネストビールは45の国や地域で販売され、フクロウのラベルもすっかりおなじみになった。世界でもっとも有名な日本のクラフトビールとして、認知度を広げている最中である。他とは一線を画した独自路線が、理にかなっていたのは明らかだ。

独立した蒸溜所を設立しよう。そんなアイデアが浮上したのは、2018年初頭のことだったと木内さんは振り返る。

「今から2年くらい前に、候補地を探し始めました。最初は廃校になった学校を中心に探していました。でも見つかった学校の建物はどれも状態が悪く、ウイスキーづくりには向いていないので諦めたんです。その後で、この建物に出会いました。地元の有名な建築家が設計して、以前は公民館として利用されていた物件。理想よりもちょっと小さかったのですが、なんとか工夫してみました。築50年で震災の損傷もあったので、完全にリノベーションしています。今から考えてみれば、全部壊して新しく建て替えたほうが安く上がったもしれませんね」

イタリアのガルベロット社が製作した木製の発酵槽が4槽ある。容量は8,400Lで、木材も3種類というこだわり。

新築せずに改築を選んだのは、一見すると合理的に思えないところもある。だが同様に不可解な要素は他にもあった。蒸溜所の設備を世界中のさまざまなメーカーから別々に取り寄せているのだ。通常はひとつの設備メーカーに依頼するほうが安上がりで、設置やメンテナンスも容易である。だがこの奇妙に思える方針にも理由があった。

「僕たちはウイスキーづくりの初心者です。だからいろいろ試した上で、これだという方向性を見つけたい。もしスコットランドのフォーサイスみたいなメーカーに蒸溜所の設備をまとめて注文したら、きっとフォーサイス的な考え方に縛られることになるでしょう。つまりスコットランドの慣わしに追随するだけになってしまいかねません。でも幸いなことに、木内醸造には日本酒やビールを造ってきた技師がいます。だから自分たちの手で蒸溜所を設計して、設備を世界中から調達しようと決めました。調達先は、ほとんどが以前から付き合いのあるメーカーです」

だが、このように別々のメーカーから装置を購入して、つなぎ合わせて設備を整える工程はひどく骨が折れるのではないだろうか。

「ええ、そうですね。でもビール醸造所を設計するほうが、よほど複雑ですよ。タンクやボトリングのラインも数が多くなりますから。それに比べたら、ウイスキーの蒸溜所はずっと簡単だと思っています」
(つづく)