スペイサイドのドライブコース
ハイランド北部にある、ウイスキーの名前を冠した架空の峡谷。古いガイドブックを片手に、スペイサイドを駆け抜ける。(文:ロブ・アランソン)
スペイサイドを南から訪ねるにはドラモクター峠を目指すのが通例だが、今回は東へ進路をとっている。まず立ち寄ったのは、インヴァネスにある古書店「リーキーズ」。ここは古地図、古書などの宝物が豊富な古物商。18世紀にゲール人教会だった建物を店舗に改装している。
年代物のウイスキー本を掘り出して、今回の旅のガイドブックにしよう。手に入れたのは「スコッチウイスキー:その過去と現在」(デーヴィッド・ダイシェズ著、1978年)と「グレンリヴェット:ロマンとビジネスが出会う場所」(1924年)の2冊。後者はグレンリヴェット製造許可100周年を祝うパンフレットだ。
「このウイスキーは比類がない。齢を重ね、成熟してまろやかだ。優れた香り。繊細なアロマ。純粋さ。芳醇なエーテル。穏やかな刺激は感覚を逆立てず、他のウイスキーと異なっている。この品質は、ブレンダー、問屋、洋酒販売業者たちが真似ようと苦心している。だが本物は、グレンリヴェット地区以外ではつくられない」。
19世紀半ば、グレンリヴェットの評判は格段だった。同業者の多くが人気にあやかって自社ブランドに「グレンリヴェット」と名付けたほどである。このため、オーナーのジョン・ゴードン・グラント大佐は1880年に商標の無断使用を禁ずる法的措置を講じる。それ以来、各蒸溜所は本来の蒸溜所名とグレンリヴェットの名をハイフンで結ぶという苦肉の策に出た。
当時の東部モルト蒸溜所群(当時はスペイサイドという概念がなかった)には、下記の蒸溜所が名を連ねている。バルヴェニー=グレンリヴェット、ベンロマック=グレンリヴェット、グレンマレイ=グレンリヴェット、そして何とマッカラン=グレンリヴェット。これらの蒸溜所を線で繋ぐと、大変な長さになる。ここから「グレンリヴェット」(リヴェット峡谷)がスコットランド最長の峡谷であるというジョークが生まれた。
架空の峡谷に沿って走る
最初に現れる「旧グレンリヴェット」の蒸溜所が、トーモア蒸溜所だ。落ち着いた緑色の屋根と、見事に刈り込んだ装飾的な庭園を眺めるのはいつもの楽しみ。元々はロングジョン蒸溜所がアルバート・リチャードソン卿の設計で1958~59年にかけて建設した、展示作品のように端正な蒸溜所だ。
エンジンは低いうなりを上げながら坂道を上る。クラガンモア蒸溜所に人影はなく、社旗が風でパタパタと音を立てているだけ。この蒸溜所はストラススペイ鉄道の開通に乗じて1869年に創設され、「クラガンモア=グレンリヴェット」の名で売り出した。
やがてグレンリヴェットの敷地に入ると、急カーブが続く。ダイシェズの記述を読んでみよう。「グレンリヴェットは1972年にマッシュハウスを、1973年にスチルハウスを新築した。新しいマッシュタンにはすべて覆いが被せられている。蛇管と桶でできた伝統的な冷却装置の代わりに、効率の良い最新式のコンデンサーも採用した」。
クラウン家の敷地の中心を突っ切るように車を走らせる。ジョージ・スミスがグレンリヴェットを運営していた頃は密造酒の時代。届け出なしのウイスキーを、山道に紛れて運ぶのはたやすいことだったろう。リヴェット渓谷にアーチを架ける2つの古橋を越えるとき、そんな過去へと思いを馳せる。
トムナヴーランの町を目指して坂を上り、タムナヴーリン蒸溜所で一時停止する。この蒸溜所は1966年に「タムナヴーリン=グレンリヴェット蒸溜所株式会社」によって設立され、リヴェット川から取水している。蒸溜所自体は、1960年代の粗塗りの建物で、斜めに傾いた緑の屋根が印象的だ。
旅の終わりは、トミントール。1本のメインストリートに、西部劇の映画セットを思わせる懐古趣味のホテルやカフェが並んでいる。カウボーイ気分で名店「ウイスキーキャッスル」へと足を向けた。この先も、素晴らしいドライブコースがまだまだ続く。