富山で世界初のポットスチル鋳造が進行中
世界で初めてとなる鋳造ポットスチル「ZEMON」(ゼモン)が、北陸唯一のウイスキー蒸留所に生まれつつある。前例のない挑戦を決断した若鶴酒造と、高度な技術で新分野を拓いた老子製作所を訪ねた。
文:WMJ
写真:チュ・チュンヨン
暖かい南風が、北陸の大地にも春を運んでくる。
富山県砺波市の若鶴酒造は、1952年からモルトウイスキーを生産してきた老舗酒造メーカー。ここ数年は北陸唯一のウイスキー蒸溜所である三郎丸蒸留所の設備を強化している。クラウドファンディングで蒸留所を改装し、その後マッシュタンを更新し樽のタガ締め機を導入した。そして、このたび新型のポットスチル(単式蒸溜器)を開発に取り組んでいる。
ウイスキー用のポットスチルは、銅板を加工する鍛金製法が世界基準。だが三郎丸蒸留所の新しいポットスチルは、伝統産業である高岡銅器の鋳造技術で造られているという。鋳造によるポットスチルは、世界中どこにも前例が見当たらない。つまり史上初の画期的な挑戦ということになる。
木造合掌造りの三郎丸蒸留所を訪ねると、真新しい2基のポットスチルは吹き抜けエリアに行儀よく収まっていた。容量は1基3,000Lで、同じ鋳型から生まれた双子のような姿である。若鶴酒造5代目の稲垣貴彦氏が説明する。
「富山が誇る高岡銅器の技術を、ウイスキーづくりに活かしたいと思っていました。従来のポットスチルは製造に時間がかかり、銅板の厚みにも限界があります、また、複雑な形状を造るためには高度な技術が必要になってしまいます。技術的な条件さえクリアできれば、鋳造によりそのような課題も克服できるのではないかと考えていたのです」
砺波市に隣接する高岡市は、日本の銅器の9割以上を生産している。有力メーカーの中から白羽の矢が立ったのは、創業約300年の老子(おいご)製作所。江戸時代以来、梵鐘の製造で日本一のシェアを誇る老舗だ。50トンクラスの超大型梵鐘を製造できる国内唯一のメーカーでもある。
いかに経験豊富な老子製作所といえども、ポットスチルは初めての挑戦だ。それでも製造部長を務める老子祥平氏は、稲垣氏に「できる」と請け合った。納期は約6ヶ月で、一度型を作れば2基目からは低コストで造れる。だが世界初の試みゆえ、稲垣氏には製造前に払拭すべき懸念があった。
「鋳物は銅合金なので、錫が8%ほど含まれます。もともと錫は焼酎の冷却蛇管にも使用されており、酒質をまろやかにするといわれています。、この錫のニューポットの風味への影響を分析する必要がありました。そこでステンレス板金、純銅板金、銅錫合金の3種類で容量2Lの小型スチルを製造してもらい、パーツを入れ替えながら成分と風味の変化を検証しました」
ポットスチルに銅を使用するのは、硫黄化合物の不快な風味を取り除いてくれるから。それが銅錫合金ならどうなるのだろう。業界の常識を一変させるかもしれない検証に、富山県立大学、富山工業技術センター、パネラーとして酒類総合研究所が協力した。
実験結果は、予想を上回る内容だった。初溜と再溜の両方で、銅錫合金は純銅と同レベルで硫黄臭を低減させている。そればかりでなく、肉や汗のような不快臭については、わずかだが純銅を上回る低減効果も示したのである。
「銅と錫はよく似た金属なので、同様の化学的効果は予想していました。それに加えて鋳物の表面は滑らかな鍛金よりも凹凸が多いので、表面積に比例して触媒作用が発揮されたのではないでしょうか」
鋳造ポットスチルのメリットは豊富
老子製作所は、若鶴酒造から北に5kmほど離れた高岡市内の工業団地にある。梵鐘や銅像を始め、日本中の銅器を幾世紀も造り続けてきた職人の町。鋳造は江戸時代初期に勃興した産業だが、ここ高岡では室町時代から鋳造師がいたらしい。
案内してくれるのは、ポットスチルの製造を指揮した老子祥平氏。ベテラン職人と若手が混在し、活気あふれる職場だ。炉内で溶かした銅を鋳型に流し込む作業がおこなわれている。
老子氏が、初めてのポットスチル製造を振り返って語る。
「普段から細かい造形を鋳造しているので、鋳型さえ造れば製造工程は大差ありません。それでも材料の均一性と耐久性については気を配りました。鋳物の良さは、鋳型さえあれば再生産が容易なこと。砂に樹脂を混ぜた自硬性砂型に液体の銅を流し込みます。銅は炉内で1,200℃くらいにまで熱しますが、鋳造時の温度はもう少しさがります」
鋳造でポットスチルをつくるメリットは、意外なほどに多いと稲垣氏は説明する。三郎丸蒸留所のポットスチルは厚みが従来の倍以上もあるので、板金のポットスチルより耐用年数が長くなることを期待できる。銅板では難しい複雑な曲面なども実現できる。
ポットスチルは2基で1対となることが多いので、同じ鋳型を利用できるメリットは大きいだろう。まったく同型のスチルで、風味を変えずに増産対応ができるからだ。ユニット単位で設計しているためネックランタン型からバルジ型に変えたり、ネックとラインアームの長さや角度を変えたりといった調整も部品交換で可能になる。銅と錫の両方からの効果が得られる点も、風味上の特徴になりえると稲垣氏は考えている。
世界唯一のポットスチルでモルトウイスキーをつくる
三郎丸蒸留所の新しいポットスチルは、浅いくびれのあるランタン型だ。ストレート型よりもネック上部を太くして、鋳物らしい丸みも出したかったのだという。左右対称のデザインで、2つの窓は採光用と視認用になる。
下向きのラインアームは、すぐコンデンサー(冷却器)に接続されている。このコンデンサーは銅板金で、大阪のケミカルプラント社が製作したもの。同社は三郎丸蒸留所の以前の蒸留器の改修を担当した企業でもある。同社の酒井博也社長は、稲垣氏が信頼を寄せる蒸溜設備のプロフェッショナルだ。グラビティだけで留液を流せるよう、コンデンサーの位置が高い。自然エネルギーを無駄にしない設計思想が各所に見受けられる。
世界で初めての鋳造ポットスチルは「ZEMON」(ゼモン)と名付けられた。老子製作所の屋号が次右衛門(ジエモン)で、地元の方言で「ゼーモン」に聞こえるのが由来だという。古来からの伝統技術に敬意を評し「高岡式蒸溜器」と呼んでもいいだろう。
本格的な稼働までは、試験蒸溜で模索が続くことになる。初溜では迅速な加熱により豊かな香味成分を得るため、間接加熱と直接蒸気加熱並式方式となる。これは焼酎づくりの経験がある若鶴酒造らしいノウハウで、共沸による高沸点成分の抽出を狙っているだが再溜は間接加熱だけでゆっくりおこない、精溜効果を重視するのだと稲垣氏は言う。
「初めての挑戦なので、未知の要素はたくさんあります。でも鋳造ポットスチル特有の厚みは、熱効率でも有利に働くはず。カットポイントなども研究しながら、試行錯誤を続けてみます」
若鶴酒造のウイスキーシーズンは、6月から9月までの約3ヶ月間。これまでは1基のポットスチルで初溜と再溜を賄ってきたが、2基になれば生産量も倍増する。だが設備投資で工程を効率化した分、4人いるスタッフの作業はむしろ軽減される見込みだ。
稲垣氏が構想する「富山らしいウイスキー」は、重厚でありながら華やかな香りも兼ね添えたタイプ。一見頑固そうなのに、優しさあふれる富山県人のイメージだ。高岡産の酵母や南砺市産のミズナラ樽を手に入れ、このたびユニークな高岡銅器のポットスチルも加わった。大きな夢は、着々と実現に近づいている。
北陸でただひとつの蒸留所、三郎丸蒸留所の公式ホームページはこちらから。
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