アードナムルッカン蒸溜所が守る3つの原則【前半/全2回】
文:ジャスティン・ヘーゼルハースト
独立系ボトラーの仕事として、世界に名高いアデルフィ・セレクション。その齢の離れた弟分は、同社が初めてウイスキーづくりに乗り出したアードナムルッカン蒸溜所だ。アデルフィ・ディスティラリー社の社長を務めるアレックス・ブルースには、3つの大切な原則があるという。
まず第1に、唯一無二の個性。そして第2に、妥協なき上質な味わい。最後に、サステナビリティへのこだわりだ。
2004年に創業したアデルフィ社は、アレックスの経営手腕にょって大きく進化を遂げてきた。創業時の資産といえば、3本の樽に入った原酒と数百本のボトル入りウイスキーだけ。それが今では、ウイスキー業界屈指の名声を誇るまでの独立系ボトラーに成長した。
そんなアデルフィ社が大切にする3つの原則は、互いに分かちがたく結びついた内容だ。ボトラーズとしての業務だけでなく、自社で蒸溜所を所有する新興ウイスキーメーカーとしても、これらの行動原則は等しく貫かれることになるのだとアレックスは説明する。
「アードナムルッカン蒸溜所を建設しているときは、そんなにはっきりと意識もしていませんでした。でもこの新しい蒸溜所が完成することで、他のたくさんのウイスキーメーカーと同じ立場で競争しなければならないという現実が真に迫ってきました。ウイスキーが独自のアイデンティティを確立し、そのアイデンティティを忠実に守る必要が切実に理解できたのです」
アードナムルッカン蒸溜所では、熟成を含むウイスキーづくりの全行程が敷地内でおこなわれる。そうすることで、まずは第1の原則が遵守できるからだ。
第1の原則である「唯一無二の個性」は、「そのウイスキーに特有な味わいを構築すること」を意味する。蒸溜所所在地の気候や環境を変えると、ウイスキーの特性がぼやけてしまう。
しかしながら、この現地生産主義には別の理由もある。アードナムルッカン蒸溜所のプロイジェクト全体の鍵を握るのは、むしろサステナビリティなのだとアレックスは語る。
「再生可能な地元産の原料のみを使用し、パッケージまで100%再生可能なものにこだわること。この理想を追求すると、巨額の追加コストがかかります。それでもサステナビリティに関しては、一切の妥協をしたくなかったのです」
アデルフィ社を育てた恩人たち
このように確固たる哲学が育ったのは、アレックスが時間をかけて多くの人々の声に耳を傾けてきたからに他ならない。アレックスに対して建設的な批判や助言を投げかけてくれた人々や、大きな挑戦への意欲をかきたててくれた人々がアレックスの経営哲学に影響を与えている。
そのような重要人物の1人が、高名なウイスキーのエキスパートであるチャールズ・マクリーンだ。ワイン業界から不案内なウイスキー業界へと移り住んだアレックスに、チャールズはメンターとして助言を与えながら本物の友情を育んだ。
だがアレックスの哲学に大きな影響を与えた人物は、チャールズ以外にも2人いる。今となっては、彼らのことを知る人もそんなに多くはないかもしれない。アレックスがみずから「下積み時代」と呼ぶ時期に、フランク・クラーク(アビモアにあるケアンゴーム・ウイスキー・センターの元オーナー)とヒュー・メトカルフェ(マッカランの元マーケティング部長)が重要な役割を果たしている。ブランドを確立させて宣伝する手法について、2人はそれぞれ有意義な洞察とアドバイスをアレックスに与えたのだ。
そしてアレックスの親友の父親にあたるフランク・クラークは、みずからの行動によって完璧な仕事のやり方を教えてくれた恩人なのだとアレックスは言う。
「彼の仕事を見ているだけで、本当に勉強になりました。スコットランドらしさを大切にし、消費者を教育しながら反応をうかがうのが彼のスタイル。最後には、みんながウイスキーのファンになってしまいます。そんな一連の流れを目の当たりにしました」
別の友人の父親にあたるヒュー・メトカルフェは、1980年代初頭にマッカランの新しい市場を開拓した立役者としても知られている。
「年間予算を500英ポンド(約7万円)だけ与えられ、台湾の市場開拓を成功させた有名な逸話があります。その後、台湾ではマッカランが大人気となりました。お小遣い程度の予算しかなくても、消費者の心を動かして市場全体を拡大することができる。これを実証してみせたことも、私の考え方に大きな影響を与えてくれました」
アレックスに大きな影響を与えた重要人物はもう1人いる。それは実の父親だ。「キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」の組織づくりに一役買った生粋のスコットランド人で、世界中で「正統なスコットランド的ホスピタリティ」を広めることに腐心しながら、スコットランド産の製品を販売するすべての人への感謝を忘れなかった。
「父はいつもとっておきの逸話を織り交ぜながら軽妙に話を進め、聴衆の関心を惹くことに長けていました。気取らないスタイルで、陽気にスコットランドの魅力を伝えていたんです」とアレックスは語る。ウイスキーとスコットランドを語るときのアレックスには、そんな父から受け継いだ気風や話術が長年にわたって生かされているのである。
(つづく)